第三話 翌日
昼ごろになって、宍粟は目が覚めた。まるでニートのような生活であった。彼は普段、早起きである。朝起きて、隣の可愛い彼女とおはようのチューをするのが夢なのだから、寝坊するわけにはいかなかったのだ。
宍粟は起きると決意を新たにする。これほどファンタジーな世界なら可愛い女の子も見つかるはずだと。そう思うと俄然やる気になってきた。まずは野犬に対応できる、安心安全な住処を見つけなければならない。そしてこのスキルを使いこなせるようになった暁には、立派な剣士になっているはずだ。
街に行って普通の生活をしながらスキルを鍛えるのが一番手っ取り早いのだろうが、彼の頭からそんなことは抜け落ちていた。立派になって、可愛い女の子と付き合う、これが彼の野望であり第一目標なのである。野生動物ごときに遅れを取っていては、呆れられてしまう、そんな考えが過ぎったのだ。
早速、木刀を手に街道から外れて森の中を歩く。時折、ウサギのような小動物が飛び跳ねているのが見つかるが、向かってくる様子はない。ウサギは臭くておいしくないというし、特に興味は示さなかった。
やがて獣道がいくつも付いたような場所があった。そしてすぐに、灰色の尻尾が見つかった。コボルトである。まだこの世界のことをよく分かっていない宍粟は先制攻撃を仕掛けるよりも、正当防衛が働く状況を作ることを優先した。実は攻撃してはいけない魔物だった、というようなことがないように。
それは宍粟の余裕から来るものであったが、単純にコボルトが弱い魔物だったからでもある。
「こんにちは、大麻宍粟22才です。よろし――うわ!」
言い終わる前に、コボルトは槍を投擲してきた。低い知能しか持たないと侮っていたコボルトにそんな技能があったことに宍粟は驚く。そして油断していたことを反省しつつ、武器が無くなり無防備になったコボルトの脳天に一撃を入れ、沈める。
「こいつらの知能かなり低いのかね」
コボルトの死体から魔力――宍粟が勝手にそう呼んでいるだけだが――を吸収したことを確認し、ほんの少し魔力を使用する程度の水を生成する。ここで生成する水も水道水から井戸水、天然水まで様々なものが選べた。どうにも水道水は技術的な問題があるのか、相当な魔力が消費されてしまう。そこで一番ローコストな天然水を生成する。味の方も申し分ない。
少しずつこの技術は向上してきているようで、生成が容易くなり、疲労感も少なくなってきている。それは宍粟にとって初めての体験であった。いくら練習しても上手くならない武術やコミュニケーション能力。努力ではどうしようもない壁にぶち当たってきた彼はこの結果に浮足立っていたのだ。
さらに歩いていくと、奇声を上げながらコボルトが落ちてきた。彼らとしては奇襲のつもりだったのだろう。実際、宍粟も周囲だけでなく頭上の警戒も怠らないようにするいい経験にはなった。しかし、コボルトは打ち所が悪かったのが、うずくまったままほとんど動かない。そして木刀の一撃ですぐにぴくりとも動かなくなった。
「こんなに弱くていいのかこいつら?」
宍粟が心配するほどに、彼らは弱かった。しかしすぐに宍粟はその理由を知ることになる。前方にコボルトが現れたのだ。その数は十ほど。弱いということは、繁殖力が強いということである。
さすがにこの数は、と思ったが投擲さえ気を付ければ何ということもないはずだ。奴らはまだ気が付いていない。木を盾にしながら少しずつ接近する。
コボルトのうちの一体が、仲間の死骸に気が付き叫び声を上げた。それに呼応するように、叫び声は広がっていく。混乱が生じた今が好機と見て、宍粟は飛び出した。既にコボルトの側面に回っていたため、前方しか見ていない彼らに気が付かれる前に一体を仕留めることに成功する。
その打撃により生じた音に気が付いたコボルトが宍粟を見る。すぐさま隣にいた一体を殴り飛ばし、それに巻き込まれて倒れ込んだコボルトを足蹴にしながら更に一体を叩き潰す。
囲まれないよう集団の側面から一体ずつ仕留めていく。混乱が収まったときには、残り一体が逃亡を始めていた。宍粟は槍を取って、コボルトへと投げつけた。辛うじて足には命中したが、致命傷には至っていない。数本の槍を追加で投げて、ようやく最後の一体は動かなくなった。
「平然とやってしまったけど、結構残酷なことしてるんだよなあ……」
そう呟くが、罪悪感はあまりない。さほど危険はなかったとはいえ、既に殺されかけているのだから。十体分の魔力が流れ込んできて、宍粟はあることに気が付いた。
回復している感覚がないのだ。どうやらこれが魔力の上限らしい。これはもしかして村人レベルの魔力しかないのではないか。その考えを打ち消すように頭を振った。もしそうだとしても、やることは変わらないはずだ。
折角最大まで回復したようなので宍粟は頭部を守るヘルメットを生成しようとする。しかし何も起こらない。帽子も同様であった。唸りながら、汗で気持ちが悪いのでとりあえず着替えを、と思うと一瞬で着ているものと同じシャツが生成された。
その際の魔力の消費は少なかった。もしかすると、これは今までの記憶の中のものより、この世界で実際に触れたことがあるものの方がコストが低いのではないか、という考えが浮かぶ。そして同じものが出来たのだからこれは『複製』の能力であると思われた。
周囲を警戒しながら着替え、汚くなったシャツも何かに使えるだろう、と腰に巻いておく。そして彼が小学生の頃、よく上着を腰に巻いている女の子がいたのを思い出した。どうにも最近では見かけなくなっていたが、流行のファッションなんてものはそんなものだろう。平和だった昔を懐かしく思い出して、ため息を吐いた。
更に進んでいくと、一つの集落のようなものが見えた。宍粟は僅かばかり気分が浮ついていた。覗き込んでそこを見ると、到底人が住んでいるようには見えない、というより住んでいるのはコボルトであった。
(襲ってきたのって、集落の防衛か? ……完全に俺が悪人じゃないか)
さすがに集落を襲うのは悪いと思い、踵を返す。そして歩き始めたとき、集落の向こうで激しい音が聞こえた。そして振動が近づいてきていた。