第二十五話 大樹
小さな丘の上には一本の大木。その枝は広がりに広がって、丘全体に木陰を作り出していた。その木になっているのは美味なる果実ではなく、小さな魔物である。種のようなそれは羽が生えていた。そして大樹を守るように、その周りには根っこの生えた枝のような魔物がいる。大きさは大人より少し背が高いほどで、細長いのも太いのもある。
騎兵は一気に丘を駆け上がり、神速の勢いで枝の魔物を切り裂いていく。その大樹は間合いに入ってきた敵をようやく認識したのか、枝葉を震わせた。その木に生っていた無数の種は羽を広げて騎兵へと降り注ぐ。それを受けて騎士たちの進行速度は遅くなりつつあった。
一人の騎士が種の魔物の羽を切り落とした。魔物は地に落ち、地中へと潜っていく。騎士たちは大した相手ではないと、再び目線を前に向ける。そしてその後を兵士たちが追っていく。騎士によって蹂躙された残骸の上を進んでいく兵士たちは興奮し、警戒が疎かになっていた。
そして若く経験の浅い兵士は背後からその胸を貫かれた。国から支給されている安価な鎧はひしゃげて、その隙間から木の枝が刺さり込んでいた。土中から延びているその枝は血を吸って赤くなっていく。
やがてその本体が土の中から現れた。倒された枝の魔物が再生した、ということではなく、その魔物を栄養として、種の魔物が成長して枝の魔物になったようである。
騎士たちは背後の兵士たちの死によって退路が断たれていた。囲まれる前に脱出する手段もある。しかし騎士の隊長は声を張り上げた。進め、敵を倒せ、騎士団の誇りにかけて引くことはできない、と。
「お前ら、これが稼ぎ時だ! ここは金貨の山だ! 報酬がいらねえ奴はすっこんでろ!
」
それと同時にファーガスが叫ぶと、冒険者たちは一斉に奮起する。ギルド長をしているだけであって、冒険者の心を刺激する言葉は把握しているようだ。冒険者たちは兵士たちの屍を乗り越えて枝の魔物を倒さんとすさまじい勢いでなだれ込んでいく。
宍粟はそれを見ても、行くべきかどうか逡巡していた。宍粟の常識が通用しないことは分かっていたが、これほどまで生物の生活環から外れていると何も言えなくなる。そして大樹の間合いに入らなければ攻撃されることはない。まだ逃げることは可能なのである。
「シソウ様、どうします?」
「あの魔力を吸収して魔物を再生するのは何とか出来ないんですか?」
「おそらく、その下に大樹が根を張っているのでその届かない範囲まで引き付けるか、あるいは空中で倒すか、倒した魔物を一気に消し去ることで瞬時に魔力を放出させるかをすれば、それほど再生はされないでしょう」
人目がなければ遠方から槍を投げ続ける選択をするが、これほどの人がいる中でそれは出来ない。そうしているとクゼンたちはじれったくなったのか、慌てだした。
「おい! 乗り遅れたら獲物がなくなっちまうぞ!」
「いや……多分、魂が消失する前に養分にされてるから、あれは討伐数に入らないと思う。少しずつ大樹の魔力は減っているみたいだが、それより騎士たちの分が悪い」
「じゃあ逃げろってのか!?」
「それが賢明な選択だろうな。……でもそれじゃ面白くないだろ? テレサさん、敵を引き付けて来たら、倒してもらえますか?」
「ええ、ですが危険ですよ」
テレサの返事から、宍粟は自分の作戦が不可能ではないということを知る。今更冒険者たちの波に入り込むのは難しいし、大手柄を上げようという気もない。それならば少しでも魔力を消費させてやろう、と危険を承知で決行する。彼女を守るには、こんなところでビビってはいられないのだ。
「作戦は単純だ。護衛一人と、アリスとテレサとエリナを残して、俺たちが魔物を引き連れてくる。大樹の射程外に出たら一気に魔法で焼き払う。何か問題はあるか?」
「それだと時間がかかっちまうだろ?」
「じゃああれの中に突っ込むか?」
宍粟が指す先では、冒険者たちが我先にと敵を切り裂いている。しかしそのうちの一割ほどは既に骸になっていた。屍の上を進む彼らは興奮状態にあるため冷静さを欠いている。
「……よし、その案で行こう」
「テレサさん、アリスちゃん、頼みますよ」
「はい!」
宍粟は剣を抜き走り出す。大樹の木陰に入るとすぐさま上から種の魔物が降ってくる。その羽を切り落とし、地面に落とす。その魔力はまだ尽きていないため、すぐにその場から離れ、周囲にいる枝の魔物に殺さない程度に切り込みを入れていく。その集団を抜けるときには、地に落ちた種の魔物は枝まで成長しており、宍粟を追いかけてくる。
それから隙が出来ない様に最小の動作で敵を切っていく。魔物たちは高度な知性がない上移動も遅く、引き付けるのは簡単である。しかし既に二十を超える魔物が後ろから追いかけてくるため、立ち止まれば立ち所に袋叩きである。ミスが許されない緊張感の中、宍粟は敵を切る。他の冒険者たちは宍粟とは別の方向に行ったので邪魔も入らなければ、救助が来ることもない。
一際大きくもはや枝というよりは木に見える魔物を前方に見つけ、これを終いとすることにした。近づけば近づくほど巨木の威圧感は増してくる。それでももう止まるわけにはいかない。
宍粟が近づくと、その木は腕を振り上げる。宍粟はその先の行動を予見しつつ接近し、懐に入り込む。しかし巨木は振り上げた腕ではないところから攻撃を繰り出した。等しく知性がないと判断していた宍粟はその攻撃を躱し損ねて胴体に一撃をもらった。
宍粟は地を転がりながら、巨木に切っ先を引っかける。そしてそのままテレサの元へと走り出した。痛みに悶えている暇はなく、背後で地面を抉る音が聞こえた。そして宍粟の進行方向にいる枝の魔物は一斉に向かって来る。
この巨木の魔物は他の魔物を率いることが出来るようだ。眼前の枝の林を見ると、狙うべきではなかったと思わずにはいられなかった。しかし宍粟はさらに速度を上げて突っ込んだ。
剣を寝かせてその腹で枝の魔物を殴打、そしてフルスイングとまではいかないものの、体を捻って遠心力を生かして吹き飛ばす。飛ばされた魔物はドミノ倒しのように次々と倒れていった。
移動に時間がかかっていると、ますます敵は増えてきて、背後からはずんずんと近づく音が聞こえてくる。そうして足元に転がる敵が邪魔でうまく移動できず、次第に包囲され始めた。向こうに見えていたテレサの姿が見えなくなる。背後に五十、前に三十ほどの魔物がおり、集まってきているのも含めれば百を超えるだろう。
宍粟は剣を納めた。そして全力で走り、槍を『複製』して地面に叩きつけた。その勢いで二メートルほどの魔物の頭上まで跳び上がり、蹴り飛ばす反動で一気に十メートルほど先まで移動する。一瞬魔物は宍粟の姿を見失うが、一体がすぐに気付くと全体が一斉に動き始めた。宍粟は着地すると同時に剣を抜き、行く手を阻む敵を薙ぎ倒す。
そして、視界が開けた。待っているテレサが見えると、宍粟は一直線に走り出す。後方に魔物が付いてきているのを確認しつつ、大樹の間合いぎりぎりまで後退する。魔物の集団は真っ直ぐに向かって来るが、宍粟がこれ以上は粘れない、と判断して大樹の木陰から出た瞬間、枝の魔物は一斉に向きを変えた。
(……しまった!? 範囲外まで追ってこないのか!?)
これでは全てが水の泡になってしまうと宍粟は手段を探す。クゼンたちも30体ほど魔物を引き連れているが、同様に魔物の反応に困惑している。ここまできて、打つ手がないなんてことは避けたかった。
「シソウ様、後は私が何とかしますよ」
宍粟が焦燥感に駆られていると、テレサの優しい声が頭の中にすっと入ってきた。宍粟はもはや何も心配してはいなかった。