第二話 スキル
宍粟は手にしている木刀をまじまじと見る。これは毎晩素振りに使用していた木刀である。それがここにあるということは、物質の召喚だろうか。それとも複製だろうか。それを確かめるのはおそらく、既に無くなったものを願えば良いだろう。
存在しないものは召喚出来ないのだから、それが出来れば複製である可能性が高い。もちろん、可能性が高まるだけであってそれが正しいかどうかは分からない。
仮に出来なかったとしても、存在しないものの複製が出来ないだけかもしれないからだ。その場合は、食べ物のように消化してなくしてしまえるもので試してみればいい。
「どうせ何もしなけりゃのたれ死にだ。食える雑草の知識もないし、何より感染症の危険が高すぎる。うん、試すのが一番だ」
そうと決まれば実行あるのみである。彼は短慮性急なのだった。力が抜ける正体や、それによる弊害などはそっちのけ、今はこの現象への興味が彼を突き動かしていた。
「何がいいかな。んー、とりあえず簡単なものから……」
当面の問題は食糧である。そこで真っ先に思いついたカロリーの高い菓子パンを念じる。
「菓子パン! 菓子パン! さあ来い菓子パン! うおおお!」
妙に高いテンションで叫んだ。
しかし、叫びがこだまするだけで何も起こらなかった。
「……召喚だったのか? それとも条件が……使用回数か? でもさっき敵を倒して復活したような……」
自分の言動を気恥ずかしく思いながら反省する。とりあえず他のもの、より簡単なもので試してみる。
「ご飯、ほっかほっかのご飯、どうかおいでくださいませ」
先ほどと大差のない言動で、もう一度繰り返す。すると体の力が抜け始めた。彼は思わず口角を上げた。そして、手の上に熱い飯が生成された。
「熱っ!」
思わず放り投げそうになるのを堪えて、もったいないと口内に押し込み嚥下する。のど元を過ぎる熱さにむせながら、思考を続ける。
これはどこかのご家庭の夕食から失敬したため召喚出来たのかもしれない。他に思い当たるのはやはりこの能力のレベルである。魔法と言えば、使えば強くなるもの、というのが現代人の認識だろう。
「さあ来い文明の利器! パソコン! さあさあ!」
彼がこれを願ったのは、思いつきと言うわけではない。もしこれが成功すれば、彼の展望は明るいのである。医学事典や技術書の電子データが蓄積されており、サバイバルにも多少は役立つからだ。
しかしそう上手くは行かず、やはり何も起こらなかった。彼は一度ため息を吐いた。よくよく考えてみれば、レベルが足りないという点は、召喚においても適用される考えである。
結論が出せないまま、時間ばかりが過ぎていく。こうしているうちに日は沈み始めていた。あれから何かを生成するたびに横になって休息を取っていたのだから、それも当然である。夜になる前に何とかしなければ、と考えを切り替えて、野宿のための用品を片っ端から試すことにした。まずはテントである。
念じると力が抜けていくのが分かった。しかし中々現れず、暫くしてから空間に二,三人は寝られる布のテントが生成された。どうやらもののサイズか質量か、そのあたりで生成時間が変わるようだ。
それからライトを試したが生成できず、仕方がないので薪を生成した。それから着火マンは無理だったがマッチは可能であった。どうやら基準は技術レベルや物質によるものらしい。それから更に試したところ、自分が触れてきたものしか生成できないということが分かった。
「これは……未来は明るいぜ」
彼はテントの中で独り言ちた。野望はまだ始まったばかりである。大の字に横になると、疲労困憊の体はすぐに眠りについた。
宍粟は目が覚めると、周囲に何かの気配を感じた。テントの外の様子を、影の動きから探る。それは動物で四足歩行、そして尻尾があり、頭は先ほどのコボルトと同様で……。
(野犬!? まずいぞ、これは殺される!)
恐らくは魔物よりも強敵である。人間を狩るのに慣れていれば、喉仏を一噛みで即死させられるだろう。宍粟は音を立てないように、けれど慌てて武器になりそうなものを探す。手近にあった木刀を手に取り、マッチを準備する。いざとなれば木刀に火をつけて追い払うしかない。野生動物に戦いを挑むなんて正気ではないのだから。
暫く緊張が続き、やがて獣は去っていったようだ。宍粟は安堵の息を付いた。そして用意しておいた薪を手に取り、テントから顔を出す。周囲に燃えるものが無いことを確認してから、置いた薪に火をつける。ぱちぱちと心地好い音が精神を落ち着けてくれる。気温は低く、どうやら冬であるらしい。
それから火に薪をくべながら、夕食を取る。ご飯を生成し、水は器が無いので手の中に出してすぐに飲む。今までの快適な生活とは程遠いものの、生きていられることには感謝しなければならない。
そもそも、今までの生活であればここですぐに通報されて牢獄行きである。焚火は御法度なのだから。しかしそれも悪くないかなあと思う。身元が判明して、数年間の投獄されれば元通りだ。そんなことを考えながら、夜は更けていく。
元の生活が恋しいわけではないが、今までの努力はなんだったのだろうか、と思わなくもない。武道をいくつか習ったが才能がなく諦め、最後に剣道を始めたが、周りは幼少時からの技術の蓄積があり、そして越えられない才能の壁があった。どれほど努力しても叶わないこともある。
そしてそれ以外の私生活はほとんど勉強に費やしていた。というよりも、それらの習い事の時間を取りすぎて、あまり時間がなかったのである。その結果、娯楽の時間もなく、その上第一志望の大学には不合格になった。
それでもめげずに、周囲の学生が遊んでいる中勉学に励み、成績は常に一番であった。卒論も真っ先に着手し、もうすぐ終わりそうだったのだ。
ここまでは失ったとしてもいい。別に好きでやっていたことなのだから。しかし宍粟には耐えられないことがあった。
そこまでして良い人生を送ろうとしたのは、偏に可愛い彼女が欲しかったからである。甲斐性を身に着け、幸せな生活を送りたかったのだ。それ以外のことの興味も人並みにあったが、彼を惹きつけてやまないのは可愛らしい女の子であった。
もちろん、そんなことを周囲に言ったことは無い。言えるはずもない。親しい友人がいないのだから。しかし周囲もそうだろうと、宍粟は勝手に思っていた。そんなわけで女性との縁もなく、この年まで過ごしてきた。それなのにこの仕打ちはひどすぎる。
宍粟はため息を吐きながら複製か召喚か未だよく分からない魔法を試していると、やがて薪がなくなり火が消えた。空も白んできており、夜行性の動物の心配はなくなってきた。宍粟は眠たい目をこすりながらテントに戻り、再び眠りについた。