第十五話 失意の中
オーガの襲撃から一夜明けて、馬車は再び目的地へと動き出す。馬車の上で見張りをしているのは昨日と同じく宍粟である。テレサに負担を掛けないようにと、昨晩はあれからも暫く見張りを続けたため、睡眠時間は四時間もなかったが体は全く眠さを感じていなかった。宍粟は風景を楽しむ余裕などなく、二メートルほどの木の棒を振っている。
昨晩考えた結果、思いついたのは複数の武器を扱うということだった。戦闘において間合いに適切な武器を選ぶことで常に有利に戦闘を進めることが出来る。『複製』の能力を生かすには適切な判断ではある。しかしそう理想的にはいかない、適切な武器であっても、『適切に使える』とは限らないのだ。
宍粟は剣の扱いしか知らない。槍を扱う上で剣の技術は必要ではあるが、だからといってそれだけで槍が扱えるわけではない。そこで宍粟は見張りを続ける中、槍に見立てた木の棒を振っているのである。槍は集団戦においては剣よりも力を発揮し、個人戦においてもその間合いを詰められない限り剣より安全に戦闘を運ぶことが出来る。
その様子はどこか不格好に見えたが、そうして自主的に訓練する冒険者は少なかったため、馬鹿にするものなどいない。死と隣り合わせである冒険者は刹那的に生きるものが多い。しかし生き残るのは冷静で慎重な臆病者であることが多かった。宍粟は先日の戦闘でそれをより実感していた。あらゆる状況に対応出来るようにしておかなければ、格上の魔物がわんさかいるこの世界で生き残ることなど出来やしない。
木製とはいえ、剣よりも長い槍は振るだけで大きな回転力が生まれるため、手に加わる負担は大きい。魔物が出たときに疲労していては元も子もないので、宍粟は腕を休めるべく鍛錬を終えた。
暫く見張りを続けていると、コボルトが道を歩いているのを見つけた。それを見ても馬車は進む速度を落とすことは無い。コボルトは魔物の中でも最弱の座にあり、手にしている槍さえ気を付ければ、冒険者でなくとも倒すことは容易いからだ。
宍粟はそれを好機と見て、馬車から飛び降りる。一人で先行するその手には木の槍が握られている。コボルトは気づいて手にしている槍に力を込める。その時には既に宍粟の槍は敵を捕らえていた。敵の間合いの外から強烈な一撃を頭部に加えると、コボルトは転倒した。その衝撃で槍は折れてしまうが、隊商の誰も見ていないのをいいことに、コボルトを森の中へと蹴飛ばし、同じ木の槍を『複製』した。
もはやコボルトなど敵ではなく、倒したことによる魔力量の上昇など微々たるものである。しかしそれを手放し喜ぶほど宍粟は愚かではなかった。何事も無かったかのようにコボルトがいた、とだけ隊商の者に伝えて再び馬車の上に戻る。
「シソウさん、どうかしたんですか?」
「うん? どうして?」
「何だか焦っているような気がします」
馬車の荷台からアリスは宍粟を見上げている。アリスは同年代の子よりはるかに聡く、宍粟はそれを好ましく思っていた。しかしまだ十五にも満たない少女に見透かされるとなると、宍粟は自嘲せねばならない。だから宍粟はおどけてみせた。
「働かざる者食うべからずってね。それに向こうに付いたら珍しいものもあるんだよね?」
「はい。ルナブルクではアルセイユとは異なって、商業が発達しています。ですから様々な国の特産品が集まってきています。そして多様な人材が集まることで多様な文化がもたらされることになったそうです。……とお母様が言ってました」
「アリスちゃんは何か見てみたいものとか欲しいものってある?」
「うーん。見てみないと全然想像がつかないです」
アリスはこれまでアルセイユから出たことは無かった。街道を行くとはいえ、それなりの危険が伴うのだ。幼いアリスを抱えてテレサが一人で魔物を警戒するのには限界があり、人を雇うだけの金もなかった。従って十四になる今まで他国に行ったことは無い。
「じゃあ俺と一緒だ。暇があったら、色々見てみようよ」
「はい!」
宍粟はいつしか心の中のわだかまりが解けていた。アリスの美しい緑の瞳で見つめられると、自分の中の暗い感情はすっかりと失せていくのだった。
それから日の出ている間は時折コボルトやオークが現れる程度で、槍の練習の丁度いい相手になっていた。日が沈むころには、ルナブルクまで残すところ三分の一を切っていた。
不寝番は再び宍粟が引き受けた。この世界ではわざわざ明かりを点けて夜遅くまで起きているものは少なく、その代わりに朝日が昇るとすぐに起きる人が多い。そのため徹夜や夜遅くまで起きていることも多かった宍粟が引き受けることで負担を軽減しようと考えたのだ。
隊商から出された見張りは昨日の青年とは異なって、人のいい中年の男性だった。彼は子供に見える宍粟を見ても侮ることはなく、人当たりのいい笑顔を向けてきた。
「今晩は私が担当になりました。よろしくお願いしますね」
「よろしくお願いします」
「シソウさんはお若いのにしっかりしていますね。私の息子にも見習ってほしいくらいです」
「息子さんがいらっしゃるんですか」
「ええ。今年で十三になります。遊びたい盛りなのは分かりますが、もう少し商人としてやっていく覚悟を持ってほしいと思っていまして……と、すみません」
彼は子供のことを話すときやけに饒舌になって、嬉しそうであった。そうして話を聞いていると、ほんの少しだけテレサがアリスに抱いている気持ちの片鱗を理解出来たような気がした。
この世界も元の世界も、人は変わらない。自分の幸せを願って、人を傷つけたり助けたり、大切な人を守ろうとする。宍粟は自分が本当に大切なものを未だに見つけられていないのではないか、という気がした。テレサやアリスはとても大切だが、自分がどうこうしたいという将来は全く見えなかった。それが軽薄に感じられたのである。
宍粟は夜空を見上げた。この世界の星は本当にきれいに見える。どんな星々も自分が一番だとばかりに輝いて、それぞれの魅力がある。この世界には星を見る習慣はなく、占星術といったものもない。その代わりに星からは魔物が来る、という噂話などがあった。それは余裕がないこの世界の有様を示していたのかもしれない。
宍粟はほんの少しいい明日になりますように、と願った。