第十二話 プレゼント
それから数日間、宍粟は毎日ギルドに行って簡単な依頼を受け、その帰りに食材を買い、それからテレサの家で過ごす、という生活を続けた。何の代わり映えもないが、充実した日々であった。
受けている依頼は雑用の延長にあると言っても過言ではない。ただ、魔物の生息地に侵入するという一点を除けば、であるが。この点、冒険者でない者には難しいのだろう。
現代社会で育った宍粟の中で、武術は極めなければ意味がないものであった。それは生きていく上で必要なものではなく、それを生業とするにはほんの僅かな者だけが持つ才能が必要だったからだ。しかし宍粟はその考えを改めつつある。人よりほんの少しでも優れていれば、その分だけ長く生きていられるだろう。その点、宍粟が培ってきた経験は無駄ではない。
そして依頼にも魔物にも慣れた頃、大分金銭も貯まっていた。依頼の報酬は全てテレサに渡すことにしていたので、貯まった分は全て『複製』によるものである。袋の中の銀貨は百枚を超えている。だから宍粟は依頼を終えた帰りに、二人を連れて寄り道をした。行先は既に決めてあった。
「シソウ様、どこに行かれるのですか?」
「ん、買い物ですよ。欲しいものがあるんですけど、俺はちょっとわかんないので選んでもらえると助かります」
「私に出来ることでしたら、微力ながら尽させていただきますよ」
宍粟は王都の中心から離れ、居住区の見慣れた道を歩いていく。ここにも随分と慣れたものだ。そして道を曲がって、一度前を通り過ぎただけの呉服屋に辿り着いた。以前は何とも思わなかったが、こういった高級店は本来中心付近に位置している。この店のように居住区では客は入らないだろう。
「あ、あの! シソウさん、ここ、女物ですよ!?」
「え? うん、そうだけど……?」
「シソウさんが着るんですか? ……ちょっといいかも」
アリスは困惑しているようだったが、この前のことを忘れているのだろうか。歪んだ表情を見せる姿も可愛いので悪い気はしないけれど、教育上どうなんだろう。
「アリスちゃんにプレゼントしようと思ってさ。ほら、前に約束したでしょ?」
「あれ本気だったんですか!? こんな高いもの、貰えないですよ」
「アリスちゃんが着たらきっと似合うよなって前から思ってたんだよ」
可愛い小さい子に着物を着てもらえるなんて、夢心地である。宍粟は和服の女の子が大好きであった。まさか異世界に来てこんな機会があるとは思ってもおらず、アリスが興味を示したのは好機だったのだ。その出来事がなくとも恐らく宍粟が贈り物をすればアリスは受け取ったであろうが。
宍粟はアリスの手を取って中に入る。ほんのりと薄暗い店内には、いくつもの着物が置かれていた。派手なものはないが、素人目に見ても良い出来栄えのものばかりである。
「テレサさん、アリスちゃんの好みってどんなのですか?」
「あまり派手ではないものですけれど、ここのものはどれもそうですね。シソウ様がお選びになられたのでしたら何でもアリスは喜ぶと思いますよ」
宍粟はいくつか手に取ってみる。肌触りはよくそれなりの質であることが伺える。果たしてこれで儲けがあるのだろうか、と思っていると奥から老女が顔を出した。
「これは……テレサ様。このような店に足を運んでいただき、感激しております」
「私はあの頃とは違いますよ。そう気を使っていただかなくても大丈夫です」
宍粟は二人の会話を聞いていた。しかし彼はこれを通訳魔法で聞いていた訳ではない。言語を独力で習得したのであった。他にも様々な魔法を試してみたが、ことごとく失敗に終わったのである。それからはどうせ魔力を消費するのであれば、使えない魔法より『複製』の技能を中心にした方が良い、と諦めたのだ。
それにしても、ここ数日の間だけでもこうして何人もが声を掛けて来ていた。テレサはその人柄から人望があったし、元冒険者ということもあってギルドでも人気があった。同業者からの誘いもあったが、彼女はそれを断って宍粟と依頼をこなしていた。彼女の隣に立つのが本当に自分でいいのだろうか、と疑問を抱くと同時に、彼女にしてあげられることは何だろうか、と考えざるを得なかった。
世間話をしている間に、アリスは気に入ったのが見つかったようで、淡いピンクの可愛らしいデザインを眺めていた。それは春の訪れを感じさせるような花柄で、アリスでも着られる子供用のサイズだった。
「これにする?」
「え、でも、ちょっと高いです」
「じゃあこれでいいかな? サイズはどう?」
「大丈夫だと思います。……シソウさん」
「ん?」
「ありがとうございます! 大事にしますね!」
アリスは花咲くような笑顔を見せた。宍粟の人生で初めての贈り物は、うまくいったようである。帰り道でもアリスはそれを大事そうに抱えていた。
家に到着すると、アリスは早速着物を身に着けた。それは子供向けの可愛らしい着物であったが、彼女が身に着けていると気品溢れる姿に思われた。
「えへへ、どうですかシソウさんっ!」
「すごく可愛いよ」
「ありがとうございますっ」
暫くアリスと歓談していると、やがて彼女は元の貫頭衣に着替えた。そして着物を丁寧に畳んだ。そうしていると美しい村娘のような見た目ではあるが、やはり雰囲気はそれとは違う。宍粟は名残惜しくなって、ついもう一着、と先ほど店で触れていた着物の『複製』を開始するが、そこで窃盗の疑惑が掛けられる可能性や、折角アリスが喜んでいるのにそれを反故にする行為だろうと慌てて魔力の供給を遮断する。
既に形成されていた魔力は遮断され、はっきりと形作っていた魔力はその形状を維持したままゆっくりと霧散していく。魔力が完全に消えるまで宍粟はそれを目で追っていた。そしてその感覚を忘れないうちに、再び『複製』をする。
集中すると魔力が形を作っていく。今度は先ほどのものとは異なりゆっくり、慎重に顕現させていき、ようやく目的のものが視認できるようになった。その瞬間に急速に魔力を断つ。しかし今度は何事も起こらずに、ただ今までと同じように複製されるだけであった。
彼が形成したのは子供用のパジャマである。そろそろ寝間着が欲しいためと、『複製』の限界がどれほど上昇しているのかを確認するためである。『複製』の魔力消費量の減少や精製できる種類は増えていくが、その限界はあまり変わっていなかった。
もしかすると、文明の利器は死ぬまで複製出来ないかもしれない。そうであるならばすべきことはこの世界のより良い装備を複製出来るようにすることしかない。この世界の強さはある程度装備に依存していると言ってもいい。貴族が初陣でも死ぬことが少ないのは、偏にその装備の力によるだろう。
もちろんただの鉄剣などもあるが、持ち主の魔力に反応して強度を上げるような魔法武具も存在しており、金で強さが買える側面を持っている。しかし魔法使いはそうではない。魔力を扱い魔法を作り出す、そのため特別な装備は特にない。魔力の流れを整えたり、能力を底上げするようなものはあるけれど、それだけである。
宍粟は未だに魔法が使えないが、それにも代案が浮かんできた。魔力を魔法に変換する魔法道具でも使えば疑似的な魔法使いになれるのである。とはいえ、それは国庫に納められていたり、上位の冒険者だけが持っていたりする代物であるので現実的ではなかった。
「シソウさん、それは?」
「パジャマっていう寝間着だよ。ちょっと練習してたんだけど失敗しちゃって」
「綺麗な布ですね。高いんじゃないですか?」
「いいや。庶民が着るものだよ」
アリスはそれを眺めていたので、上げると喜んだ。その様子を見てから、宍粟は再び複製を始める。
今度は短剣を複製することにした。さほどかさばらず、人目のあるところで予備の武器として使用するためあって困ることは無いだろう。魔力を集中させ、形を形成したところで遮断する。出来上がった短剣はさらさらと消えていく。
(……よし!)
それを繰り返していくうちに、暫く顕現している短剣が出来上がった。持続時間は魔力の量で調節できるようになり、その精度は練習を重ねるごとに高くなっていく。この『時間制限付き複製』は魔力をそれほど使わない。したがって投擲する武器などはこの方法で十分である。そして不用意にものを作り出さないことで、森などに投げ捨てていくものがなくて済む。ボロの剣であればだれも気に留めないだろうが、一振り金貨数枚もする同じ剣をいくつも放置していけば、誰がどう見ても不審だろう。
しかし彼がこの技術を欲した最大の理由は他にある。技術の流出を恐れたのだ。もし文明の利器を複製したとして、それが『敵』の手に渡るようなことがあれば、窮地に陥ることになる。この世界では見よう見まねでは到底理解できないほどのオーパーツであればそれほど問題はないが、複製できるものは少し便利な科学的道具といったところだろう。
宍粟はその日、一心不乱にその練習ばかり続けていたので、アリスは少し不服そうであった。