第十一話 念願の
宍粟はギルド会館の受付にいる。そしてその前には銀色に光るコインが三つ置かれていた。そう、宍粟はようやく銀貨を手に入れたのであった。
「これが銀貨か……」
「シソウ様……銀貨はそれほど珍しいものでは」
「ああ、すみません。初仕事だったのでつい。ところでコボルトとかの討伐の報酬とかってないんですか?」
「恐らく、銅貨数枚にしかならないかと」
「随分安いですね。魔物ってあんまり被害ないんですか?」
「被害があったときは依頼が張り出されますよ。むしろ頻繁に被害がありすぎて、大きな規模でない限り報酬が出ないのです」
どうやらこの世界はあまり豊かではないらしい。大体、普通の人が行ったら死ぬようなところに行ってきても、一人当たり銀貨一枚だ。これがどの程度かというと、大人一人が一日それなりの暮らしが出来る程度らしい。貧民街で生活すれば、それほど掛からないのだろうけれど。それにしても『複製』した分の収入の方が多いくらいであった。
逸る気持ちを抑えつつ、宍粟は帰途に就く。アリスはぴかぴかの銀貨を手に入れて嬉しそうである。
「アリス、あまり遊んでいると落としますよ」
「大丈夫です! しっかり持ってますから!」
「テレサさん、お昼はどうします? どこかで食べていきますか?」
「そうですね。……足りるでしょうか」
「銅貨が四百枚ほどありますが……これまとめて使えます? 一回の支払いで何枚まで、とか制限とかは?」
「大丈夫ですけれど、シソウ様にお支払させるわけにはいきませんし」
「うーん。……テレサさんの手料理とかに気になるなあ」
「ふふ、でしたらシソウ様のためにお作りいたしますよ」
帰り道で野菜や肉を買い、家に着いた時には既に銀貨はなくなっていた。二人が準備している間に、宍粟は早速人目のない土間に行って、銀貨を複製する。魔力がどっと失われ、小さな銀貨一枚が現れた。二回、三回と行うと魔力が尽きそうになる。銅貨より単価当たりの消費量は多い。
宍粟は土間を飛び出し、楽しそうな二人に銀貨を見せる。
「どうやら、働かなくても生活は出来そうです」
「シソウさん、じゃあこれから、どうするんですか?」
「え? とりあえずお金貯まったら、アリスちゃんに着物買おうと思ってるけど……」
「シソウ様、アリスはこのまま一緒に暮らしてほしい、と言っているのですよ」
「え! え、ええ!?」
「お母様! シソウさんが決めにくくなるじゃないですか」
「ええと……つまり、俺はここにいてもいいということですかお母様」
「私はシソウ様の母親ではありませんよ。気が早すぎます」
テレサは若干呆れた様子であったが、アリスは嬉しそうだった。それから出来上がった料理を食べて、満腹になったアリスが眠そうにしていたので居間で三人で大の字になって昼寝をした。夕方になって目が覚めると、アリスは横でまだ眠っていた。
宍粟は起き上がって大きく伸びをする。一日中研究室と自室に籠りっきりだったころとは大違いである。健康的で時間に縛られない生活だ。多少不自由はあるが、それはこんな可愛い少女と一緒に暮らせることに比べれば、些細な事だろう。
寝汗でべたついて気持ちが悪く、そういえば風呂にも入っていないことに気が付いた。それは宍粟だけでなく、アリスもそうであるはずだが、魔法でどうにかできたりするのだろうか。隣のアリスを見ると、可愛らしい寝顔である。もうその存在自体が魔法で奇跡じゃないかと宍粟を納得させてしまうほどの容貌であった。
宍粟は周囲を見回すと、拭き掃除をしているテレサの姿が目に入った。朝から出かけたせいで出来なかったのだろう。宍粟が近づいていくと、すぐに気が付いた。
「あら、シソウ様おはようございます」
「テレサさん、おはようございます。手伝いますよ」
「もう終わるので大丈夫ですよ」
「そうですか。あの、お風呂とかってあります?」
「風呂ですか? 王城にはありましたが……ほとんどの家にはないと思いますよ」
(ということはテレサさんもアリスちゃんも汗まみれのまま? それなのにいい香りがするってことはやっぱり天使なのか!)
「シソウ様、何か失礼なことを考えてませんか?」
「いえ、テレサさんは綺麗だなあと思っていただけですよ」
「ありがとうございます。……体は洗いますよ、土間に水を貯めて。使われるのでしたら、あちらの土間をどうぞ」
「じゃあお言葉に甘えて」
宍粟は早速土間に向かう。しかしそこには何もなかった。
「あの、テレサさん? どうやって使えば……」
「トイレと同じですよ。こうやって容器を作って、その中に水を貯めるんです。使った水はそこの排水溝に流して大丈夫ですよ」
そういって彼女は作り上げた土の器の中に水を入れる。触れてみると完全な水で冷たく、これでは風呂ではなくプールである。宍粟は少し考えてから、二つのものを『複製』する。先ほどまで寝ていたため余力のあった魔力がまた底を突いた。真っ白な固形が二つ、一つは硬く、もう一つは粉末に近い。
「それは……?」
「石鹸と湯の花ですよ。やはりお風呂には欠かせません」
「そのようなものまで出せるのですか」
「どちらも天然成分が多いですから」
「それではごゆっくり。何かあれば呼んでくださいね」
宍粟は一緒に入りたいなあと思いながらテレサの後姿を見送った。そうするとテレサの綺麗な臀部が思い出されてきて、思わず前かがみになる。
服を脱ぎ捨て湯船に入りながらお湯を複製する。魔力が尽きて入る前から逆上せたようになりながら、湯の花なんて複製しなければ良かったと思う。それでも久しぶりの風呂は心地いい。体中の汚れが取れると心までさっぱりした気がする。
湯船に浸かりながら、宍粟はこれまでの日々を思い返していた。元の世界とこの世界、どちらにおいて努力したかと言われれば、間違いなく前者である。大学生になるまではいくつもの武道や習い事、そして勉学にのみ明け暮れていたが、努力すればするほど才能の差を思い知らされることになった。毎日を生き急いでいた。
しかし一か月にも満たないここでの生活は、元の世界を忘れるほどに充実していて、前に進む確かな実感がある。しかし、だからといって、何かを成せるとは思えない。たった一人の人間に出来ることなど限られているし、科学技術を迂闊に使えば自分の身の危険だけでなく、戦争を引き起こすかもしれない。
結局宍粟がそうした思案の中で得られたものは特になく、ただ逆上せただけだった。ひんやりした木の床の上に寝転がりながら、風呂場から聞こえてくる二人の声を聞いていると、思わず頬が緩む。
楽しげなその様子に、安堵と希望を抱く。宍粟は既に彼女たちのいない生活は考えられなくなっていた。
やがて二人の声がはっきりと聞こえるようになった。開いた風呂場から現れたアリスは、宍粟を見て微笑んだ。金色の長い髪は埃が落ちたせいか普段よりも膨れ上がったように見えるが、かといって重さを感じさせないほどにふわふわと揺れている。彼女は宍粟に見せるように体を捻ったり回ったりすると、その髪は天の川のように輝いて流れていく。
「シソウさん、ふわっふわになりました!」
「うん。とてもきれいだね」
「えへ、ありがとうございます」
宍粟は飛びついて思う存分満喫したい衝動に駆られるが、理性で必死に抑え込んだ。アリスが近づいてくると、甘く心地好い香りが本能を刺激する。雪のように真っ白な肌は上気しており、幼いながらの色気があった。
直視できずに視線を逸らすと、テレサと目が合った。彼女の金の髪はアリスとは対照的に真っ直ぐで、流れるようであった。それは金糸のように美しく、陶然とした表情は艶めかしい。深海のような青の瞳で見つめられると、宍粟は魔法でもかけられたように動けなくなった。
「シソウ様、お気分が優れないのですか?」
「あ、いえ。えっと、テレサさん綺麗ですね。あ、普段も綺麗ですけど、その」
「ふふ、ありがとうございます。ですがあまり私ばかり褒めるとアリスがむくれちゃいますよ」
「そ、そんなことないですよ! お母様! からかわないでください!」
ふくれっ面のアリスが可愛くて、宍粟はやはりこの生活は魅力的すぎると思う。どれほどの艱難辛苦であろうと、この魅力に打ち勝つことはできないだろう。
宍粟はアリスが寝付くまでベッドで話をしていたが、朝までこの甘い香りに耐えられるだろうかと思わずにはいられなかった。今夜も寝られそうにない。そしてこのあまりにも美しい少女といつまで共にいられるのだろうか、と幾ばくかの不安を抱いた。