第二十八話 魔の領域、再び
シソウは帝国領に着くと、すぐに宿を取って、西の門に向かった。門番はシソウを見ると、また来たのかお前、とでも言いたげな表情を見せた。それからシソウは門をくぐって魔の領域に足を踏み入れる。
場に満ちる濃い魔力は、相変わらずそれだけで気分を悪くさせる。シソウは緊張感を高めながら、一歩ずつ踏み込んでいく。すでに気持ちはただ魔物を狩るためだけのものに切り替わっていた。
暫くすると、真っ黒な狼が群れをなして襲い掛かってくる。シソウは金剛石の刀を『複製』してそれらを容易く切り伏せると、更に深くまで足を進める。さらに進んでいくと、場に立ち込める魔力は一層強くなった。
そして先ほど現れた魔物のようなそれほど強くない――とはいってもレベル40程度だが――敵ではなく、生死を掛けなければならないほど強力な固体が現れるようになってくる。シソウは便宜的にこれらを第一層、第二層と名付けた。
シソウは場の魔力に感覚を狂わされることなく、見つけた魔物へとこっそりと接近する。木々の間から様子を窺うと、敵は二足歩行するゴリラのような巨体を持っていた。真っ黒なその肉体から溢れ出る魔力は、並大抵のものではないことを察知する。
シソウは気付かれる前に、水色の槍を『複製』する。恐らく敵は身体能力に特化した魔物だろう。あれに掴まれたらもはや逃げることは出来そうもない。そこで安全を優先して遠距離から攻撃を加え、少しずつダメージを与えていく方法を取ることにしたのだ。
魔物が背を見せた瞬間、シソウは飛び出し槍に魔力を込める。生み出された氷の槍は地を這いながら敵へと次々と増えていく。一筋の氷の道は、狙い通りに魔物を捉えた。振り向いた状態で下半身を氷で突き刺された魔物は思い切り地団太を踏んでそれらを破壊した。
そのときシソウは既に次を放っていた。無数の氷の刃を撃ち出すと、それは大小様々なものが入り混じっている。魔物は飛来する巨大な氷の槍を見つけると、両腕でそれをしかと受け止めた。
しかしその氷の槍は次の瞬間には砕け散った。内部は空洞になっており、非常にもろくなっていたのである。そしてそれに隠れるようにして飛来していた非常に鋭利な氷が魔物を切り刻んだ。血飛沫を上げながら、魔物は膝をつく。まんまと囮として撃ち出したものに魔物が引っかかったことにほくそ笑みながら、シソウは更に追撃を加える。
やがて魔物が距離を詰めてくると、シソウは槍に思い切り魔力を込めて、前方一帯に氷の槍を生み出した。天を貫く勢いで生まれるそれは逃げ場をなくし、戸惑う魔物を貫いた。魔物は咆哮を上げて震えた。
シソウは水色の槍を消して、間髪入れずに大斧を『複製』し、まだ息がある魔物へと投擲した。それは狙いを違わず魔物の胴体を貫いた。ようやく魂が流れ込んでくることから死亡を確認し、シソウはゆっくりと近づいて行く。
シソウはこの槍を使えるようにしておいて良かったと思う。近接攻撃以外の手段を得たことで、戦闘を有利に運ぶことが出来る。魔法が使えないシソウにとって、このような珍しい武器が手に入ったことは幸運であった。
魔法が使えず身体能力だけに特化したものは、距離を取られると弱い。シソウはそのことを身を持って理解していた。近接戦の能力を高めるために接近するのも経験として悪くはないかもしれないが、それで死んでいては元も子もない。
シソウは次の敵を探すべく歩き始めた。暫く行くと、シソウは魔物の気配を感じ取った。それは密着するようにして二つ。争っているような気配はない。異常な土地の魔力によって発生した魔物は、非常に狂暴なものが多い。だからすぐ近くにいるということは同族であり、協力関係にあるのだろう。
シソウは気付かれないように距離を取り、魔の領域から遠ざかる東へと向かった。次第に土地の魔力も弱まってきて、現れる魔物も弱くなった。シソウはそれらを切り伏せながら、一息つく。十分な安全が確保できない以上、少しでも危険な行動は避けたかった。
第二層であっても、敵が単体ならある程度の余裕を持って狩ることが出来る。しかし複数に襲われればその限りではない。それに加えてさらに奥、第三層では敵のレベルの方が上回っており、魔法さえも使ってくるのだ。そこから第二層へと紛れ込んでくるものもいる。
それから暫く、シソウは第一層で周囲の弱めの魔物を狩り続けた。魔物のレベル40程度で、得られる魂は今のシソウからすれば微々たるものであるが、強力な魔物と継戦をするのはひどく疲弊してしまう。
そうして付近に魔物が居なくなると、シソウは一旦宿に戻った。夜暗くなってから魔の領域に行くのはあまりに危険であったため、早めに引き上げたのである。
さらに数日、シソウはようやくレベル70になった。シソウはそれを一つの目標としていた。それに到達してから魔の領域の第三層に行こうと考えていたのである。
その日も早朝から宿を立ち、魔の領域へと向かう。何度も出入りするシソウに、門番はもはや何も言わない。死がひしめく魔の領域に進んで毎日行くのだから、ある種の狂人と見られてもおかしくはないだろう。
シソウは第一層を駆け抜け、第二層に入る。警戒を強めながら、ゆっくりと進んでいく。第二層は第一層と比較すると、魔物の数は少ない。だから魔物に遭遇することなく第三層に到達した。
今までとは比べ物にならない魔力が満ちており、それだけで気分が悪くなってくる。しかしシソウはそんなことを気にする余裕などなかった。すぐ近くに、強力な個体の魔力があったからだ。
シソウは魔力が集中するのを感知して、咄嗟に跳躍した。シソウがいた所を、無数の氷の刃が通り抜けていく。木の陰から身を乗り出してその様子を窺うと、真っ黒な猿のような姿の魔物がいた。もしかすると、大雪境にいた白猿の魔物の亜種なのかもしれないと思いながら、シソウはナイフを投擲して牽制する。
魔物は軽々とそれを回避する。その様子から重量はないと判断して、シソウは一気に距離を詰めた。魔物は木の上へと跳躍してぶら下がり、シソウを見下ろす。シソウはそれ目がけて跳躍すると、敵は再び魔法で迎撃しようと試みた。
氷の刃が生み出される直前にシソウは巨大な銀の盾を『複製』してそれを受け止める。そしてそのまま盾で魔物を殴り飛ばし、宙に浮いたところへ金剛石の刀を『複製』して投げつけた。
魔物が地に落ちると同時に駆け寄って、止めを刺す。そして流れ込んでくる魔力から、敵のレベルを推測する。65ほどであった。どうやら第三層だからといって、通常の魔物が強いということではないらしい。
たまたま以前遭遇した魔物が土地に固有の魔物であり、強かっただけのようだ。シソウはそれでも警戒を緩めず、次の敵を探し始めた。これならば効率よくレベルを上げることが出来る、と。
それから暫く魔物を狩り続け、魔力が減ったところでシソウは宿に戻った。その日、レベル70を超えるような魔物は出なかった。強敵との邂逅も楽しみではあるが、安全にレベルを上げられるのならそれに越したことは無い。
そうしてシソウはアルセイユ国立研究所付属の教育施設の休暇が終わるまで、延々と魔物を狩り続けた。それが終わったとき、そのレベルは75になっており、そろそろ更に深くまで行こうかと思い始めた頃だった。
しかしあまりナターシャに任せたままにしておくのも悪いか、と一旦戻ることにしたのであった。