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魔人達の黄昏

 私達が馬車から出たのはそれから10分程後の事だった。背中と膝裏を支えて抱き上げる、いわゆる「お姫様抱っこ」の状態で岩壁を駆け上がる。手は使わない、岩の少し飛び出た部分を狙い、跳躍を繰り返す。頂上にたどり着くには、さほど時間を要さなかった。


『……皇女?』


 間もなくして、アムダクトもこの場を離れる私達に気付いたようだ。皇女の法力を感知しているのか、それとも全く別の気配を追えるのかは定かではないが。私達の姿を見るやいなや、ヤツは閣下に背を向けてこちらに向かって走り始めた。


『逃ガサヌ、皇女ハ、生ケ捕リ!』


 地の底から響くような声でアムダクトが唸る。その声、その視線は確実に私達に狙いが定められ、私の身体は否応無く戦慄を覚えた。しかし、この距離ですら恐怖を感じざるを得ない圧倒的な気配に立ち向かう一つの影が。ファンヴェル閣下その人である。


「貴様の相手は私だ!」


 向けられた背へと好機とばかりに剣閃を打ち込む閣下。しかし、彼を含めその場にいた誰もが分かっていただろう。それが油断でも焦燥からの失策でもなく、例え背を向けても傷つけられないという自信からの行動だという事に。奮迅むなしく閣下の太刀はまるで金属でも叩いたかのような甲高い音と共に、アムダクトの外骨格に弾かれてしまった。斬る事に特化した彼のサーベルでは、頑強な鎧を打ち砕く事ができないのだ。


「ぬぅっ!?」

『邪魔ダ!』


 反動に仰け反る閣下に、容赦ない殴打が見舞われる。他の騎士への配給を優先し、自らは鎧を着けなかった彼は、そんな単純な一撃でも容易く吹き飛ばされた。聖騎士と互角というのはあながち噂だけではないらしい、武甲聖装が無くては閣下ですら手も足も出ない。振り向きもせず勝負をつけたアムダクトは、再びこちらへと歩みを進め始める。


『皇女ノ捕獲ハ最優先、聖騎士ハ後回シ』


 ヤツを止める者はこの場には居ない。それを悟り、なるべく遠くへと走り始めた。あの鈍重な容姿では崖を登る事はできまい、これで多少の時間は稼げるはずだ。しかし、それが如何に甘い考えだったかをすぐに思い知らされた。ヤツには崖を登るという概念すら通用しなかったのだ。


『……バァッ!』


 崖の前まで来ると、アムダクトはランスを岩壁へと突き立てる。そして気合を込めた掛け声を上げると、直後に地響きが周囲を支配した。どうやらランスから直接魔法を撃ち出したらしい。驚くべきはその威力、轟音と共に崖は一瞬で瓦解し、残ったのは上部へと登る更地のような坂道だけだった。


「……反則過ぎますわ」


 その光景を目の当たりにした私は驚きを通り越して既に呆れるしかなかった。あまりに常識はずれの解決策とそれを実行する馬鹿げた魔力。これが相手と思うと、いちいち策を考えていた事が馬鹿らしく思えてくる。見た目よりも余程軽快な動きで追いかけてくるアムダクトから、私はただただ逃げるしか手を持たなかった。少しでも魔力を減らし、なるべく遠くへ……。



 もう30分程逃げ続けただろうか。随分高い所まで来たらしく、すでに騎士達の戦場は遠く離れ米粒程度にしか見えない。岩場を次々と飛び移り逃げる私に対し、アムダクトは背中から黒い魔力を放出する事で浮遊しこれに対応する。随分効率の悪い飛行方法だが、本当に天井知らずな魔力の持ち主らしい。ヤツは疲れた様子一つ見せていなかった。代わりに見せたのは、苛立ち。


『ウオォォォオオァァアッ!』


 一向に私達に追いつけない事に憤ったのか、アムダクトが雄叫びを上げる。その振動が鼓膜をビリビリと痺れさせた。声一つが既に兵器に引けを取らない効果。私の集中が一瞬途切れる。そして、ヤツの前では一瞬すら絶望的な隙となった。


『バァッ!』


 ランスが振り上げられる。と、骨の継ぎ目が大きく開き、みるみるうちにそれは鞭か節棍の体を成した。意外性の高い攻撃に度肝を抜かれる間もなく、横なぎの一撃が腰部に見舞われる。その痛みに耐えながらうまく着地ができる程この身体は器用に出来ていなかった。苦悶の表情を浮かべながら、地面に転がる形となる。そんな私達を見て動けないと判断したのか、アムダクトは私達の傍へズシリと重量のある足音と共に着地した。


『皇女ハ、生ケ捕リ……』


 負傷兵になど興味は無いという事だろうか、真っ直ぐに腕から転げ落ちた哀れな少女の下に向かうアムダクト。抵抗がない事を確認し、肩に担ぎ上げる。そう、コイツの頭では姫君が抵抗するなどとは考えない。いや、考えたとしてもそれで自分がどうにかなるとは思わないだろう。だから、私はこの瞬間を待っていた。


『戻リ、聖騎士ヲ……ガッ!?』


 戦場に戻ろうとしたアムダクトが、短いとはいえ初めて悲鳴を上げた瞬間だった。訳も分からず、正体もしれない何かを振り落とそうと暴れまわる。振り落とされた”私”はそのまま着地し、頭にかかったヴェールを投げ捨てた。桃色の髪が風になびく。


「自分の力を過信しましたわね、アムダクト。背中ががら空きでしたわよ?」


 余裕の表情を浮かべながら未だ苦しむアムダクトに声を掛けた。その背中には正確に外骨格の継ぎ目を貫いた私の愛剣が突き刺さっている。私の声を聞き初めて気付いたのだろう、アムダクトが私を睨む。


『貴様……皇女デハナイナ!?』

「今さら分かりきった事を言わないでくれます? お探しの皇女様は、今まさに貴方の隣でお休み中ですわ」

『!?』


 アムダクトは声だけで驚きを示し、隣を見た。そこに居たのは私の服を着た黒髪の乙女。最早言うまでもあるまい、皇女である。力なく倒れ伏す姿がなんとも心苦しい。


「デッドマン・パペット……死者及びそれに近しい者を遠隔操作する闇魔法の一種ですわ。あまり使いたくはありませんでしたけど、貴方に攻撃できるのは『皇女』を担ぎ上げる瞬間だけだと思ったので、特別です。皇女様にも無理をさせてしまいましたわ、本当は安静にさせておかないといけないのに」


 要するに、皇女を抱えているように見せていたのが本物の皇女で、私はこの影姫の影姫をしていた訳だ。皇女に私の服を着せるのには苦労した。何しろ私より年下のはずなのに数段発育した身体をしているのだ。正直、服が合わない事と髪色だけが不安要素だった。その点はアムダクトが馬鹿で本当に助かったと思っている。もっとも、当のアムダクトは短剣の痛みでそれどころではなさそうだが。


『グガ、ガ……命ガ、命ガ吸ワレル……!?』

「流石に欠けた姿のままでは貴方程の命を喰いきれませんか……貴方も魔族ならご存知なのでは? 妖魔に鍛えられし、魂喰いの魔剣を」


 思い出したように『……マサカ!?』と言うアムダクトの声に恐怖が混じる。どうやら私の予想は二つとも当たっていたらしい。コイツがこの”剣”を知っている事、そしてその力ならばコイツを殺す事もできるという事。知らず、拳に力が篭る。


「確かに貴方は強い。その頑強な骨の鎧を砕く事は、容易くはないわ。でも、運がありませんでしたわね。ソレは貴方にとってはまさに天敵ですわ」


 確かに私に鎧を砕く力はない。だが、短剣ならば継ぎ目を狙う事は十分にできる。無論、その程度では致命傷には程遠いだろう。それ故に、全てを致命傷とするこの”剣”こそが、アムダクトを倒す為の切り札となるのだ。


「真なる姿を示せ、魔剣ソウルイーター!」

『ガァッ!?』


 私の呼びかけると、先程以上に大きな悲鳴が聞こえた。体内で突き刺さったのだろう、剣の姿に戻ったソウルイーターの刀身が。身体の痛みと命を喰われる痛み、二つを同時に受け、ついにアムダクトが膝を着く。しかし、ここまでのしてもまだ倒れないでいられるのは敵ながら見事な物だ。この力も、もしかしたら使えるかもしれない。


「命だけでは勿体無いわね、貴方からはその骸も頂きましょうか……次元の牙よ、かの者を喰らえ……!」


 私は何年ぶりかの詠唱を口にする。閣下のものと比べるとあまりに短く、簡素な言葉。それだけ力の弱い魔法なのだ。ソウルイーターを手にした者なら誰でも使えるようになる、下級に毛が生えた程度の魔法。それでも私は使えなかった、ソウルイーターの力に頼り過ぎた者……父の末路を知っていたから。妖魔になりつつある自分が怖かったのだ。

 でも、今はもう迷いはない。自分の何を失っても、守りたいと思える人に出会えたから。きっと父もそうだったのだろう。そしてその相手が私だった事を、心から嬉しく思う。だから、父から受けた愛を受け継ぐ為に、私はやってみせる。


「……ブリング・バイト!」

『ウオォォォオオッ!?』


 私の呪文で、空間に巨大な顎門が生まれる。それはアムダクトの断末魔さえ飲み込み、再び次元の狭間へと消えて行った。ほんの一瞬の出来事、それだけでヤツはその命を失ったのである。防御など関係ない、その存在そのものを力へと変換したのだから。そして、その力は全て喰らわれる。今までヤツがいた場所に唯一残ったソレ……私のソウルイーターによって。


「……これで手は尽くした。皇女は!?」


 すっかり剣へと姿を変えたソレを拾い上げると、私は皇女の元へと駆け寄った。そこでは未だ消え入りそうな呼吸のまま、眠り姫が横になっている。起き上がる様子は、ない。


「そんな……!」


 皇女に着せていたマントを半ば引きちぎる勢いで外す。その下にあったのは普段私がつけているペンダント。中心に添えられた輝石は確かに、今までとは比べ物にならない程の輝きを放っていた。宿っているはずなのだ、アムダクトの膨大な魔力が。

寄り代、私にこれを持たせた貴族はこれをそう呼んでいた。まだこの剣を父が使っていた頃、父が剣に喰らわせた魔力が、この輝石を通して私に生命力として流れ込むようになっていたらしい。つまり、この輝石を皇女に持たせて妖魔を狩れば、その力は生命力として皇女へと与えられるはずなのだ。無論、彼女自身もただでは済まない。私のような体質になるかもしれないし、もっと酷くなる事もありうる。だが、なす術無く死ぬよりも、自分がどうしたいか考えられるほうが余程幸せだ。そう思い、私は彼女に命を与える事にした。だと言うのに、彼女は目を覚ましてくれない。折角アムダクトというこれ以上ないほど強力な妖魔の力を得たと言うのに。


「身体へのダメージはデッドマン・パペットの代償で全て私に向いているはず……なら、やはり魔力が足りない?」


 どうやら法力というのはやはりとてつもない力らしい。あれだけの力を以ってしてもまだ足りないとは。だが、これからどうする。これで足りないとなったら、あとはどうやって彼女を救えば良い? この場にはもう敵など、


「……いや、この場じゃなくても」


 私は、崖の上から周囲を見下ろす。眼前にあるは未だ衰えを知らない黒の群集。大将を失ったにも関わらず、宵闇を身につけ更に勢いを増している気さえする。魔力を持ち直した閣下ならともかく、他の騎士達はどれだけ生きていることか。


「多分、あそこの人達なら生き残りも閣下が守ってくれる……」


 そう自分に言い聞かせる。少なくとも、閣下だけは生き残るはずだ。そして、あのまま放っておいても恐らく全滅は免れない。だから今から自分がする事は人助けなんだと。そう思わなければやっていられない。そうして何とか自分を奮い立たせ、崖の向こうに向かって剣を構えた。


「……闇に沈みし虚空の釜よ、歪に出でて贄を貪れ。血肉屍を魔にすげ替えて、我が身に宿し糧とせん……」


 長い、長い詠唱。比例する魔力がソウルイーターから送られてくる。その勢いたるや、流れで身体が傷つく程だ。腕に魔力が絡みつき、締め付けで肉が引きちぎられる。その時に気付いてしまった。自分の腕から噴き出した血が、まるで闇を称えるような漆黒である事に。


「!? ……まだだっ!」


 この身がどうなろうと……例え妖魔となろうと関係ない。この心は未だ私の物、私はまだルーエル・フェアブラッドのままだ。そしてこの心が死なない限り、決して諦めはしない。初めて守りたいと思った、この姫君の為に。心の、身体の痛みに耐えながら、私は最後の呪文を口にした……。


「全ての生を、我に捧げよ……! ブリング・デジョネーター!」


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