妖魔達の宵 前編
「皇女はお休みになられたのか」
「ええ、昨日あれだけ夜更かしをすれば、当然と言えば当然ですわ」
皇女の乗る馬車の窓を閉めながら、閣下にそう答える。結局、昨日床についたのは夜明けより少し早い程度の時間だった。それから朝になる僅かな時間しか睡眠を取れなかったのだ、温室育ちの皇女としては初めての経験だっただろう。流石に疲れたのか、馬車の中で眠ってしまわれた。日が傾くまで保ったのは、逆に評価すべきなのかもしれない。
「ランガーナまではあと二日はかかる。今は眠って頂いた方が得策だろう」
「でしょうね……そうそう、今朝の事、不本意ですけどお礼だけは言わせて頂きますわ」
閣下の顔を見て、思い出したように言う。騎士は嫌いだが、それと受けた恩義は関係ない。事実彼が手をまわしてくれなければ、最悪ここにはいられなかったのかもしれないのだから。
今朝の事だ。宿を出て、出発の準備をしようという時に、私は宿の主に声を掛けられた。用件は言うまでもないだろう、昨日の一件だ。事後処理をしたとは言え、人が一人死んでいるのだ、どうしてもボロは出る。このままでは下手をすると役所にでも引き渡されかねないと思っていたところで、助けてくれたのが閣下だった。懐からずっしりとした袋を取り出し、主に握らせて「内密に頼む」と一言。店主は中身を確認すると度肝を抜かれた表情をし、すぐにそそくさと去って行った。恐らく中身は金貨か何かだったのだろう。確かに面倒事を片付けるには最も手っ取り早い。
「お前が気にする事ではない。あそこで足止めを喰らっては、任務に支障が出る。それを食い止めただけの事だ」
「そういうと思ってましたわ……でもよろしいので? 賄賂を使って人殺しのもみ消しなんて、お家の名誉に関わると思いますけど」
この男の事だから、私を助けたのではないだろうという事は分かっていた。それでも心配、という訳ではないが気になったのは、彼が当主を務めるシェルフォート家の事だ。今までにも多くの聖騎士を輩出した、武門の家柄の中でも名門中の名門。現在はご息女であるリアナ・シェルフォート嬢が白虎の神聖獣を賜り、四席しかない聖騎士の座の実に半分を占め、今や最盛期とすら言われている。その立場を鑑みれば今回の行動はあまりに浅慮、盗賊一匹助ける為にする事ではない。
「名誉で国は守れぬ。国があって初めて名誉は意味があるのだ。その為ならば私は手段を選ぶつもりはない」
閣下は馬車の様子を伺いながらそう答える。私は内心驚いた。今の騎士の中には名誉欲しかないと思っていたのだが、この男のなんと忠義に熱いことだろう。だが、同時に別の考えも浮かんだ。私はその思ったままを口にする。
「ご立派ですけど、騎士の言う事ではありませんわね。閣下、むしろ盗賊の方が向いているのでは?」
目的の為なら手段を選ばず、どんな汚い手でも使ってみせるという姿勢は騎士というより盗賊や暗殺者のそれに近い。そこにあるのは人の利か国の利かの違い、それだけだ。あるいはそれこそが騎士の証なのかもしれない。国の為に、己の利を捨てられる事が。
「それならばお前は騎士向きだ。契約があったとは言え、利を捨てて皇女を救うなど盗賊のする事ではあるまい」
「騎士向き……」
まさしく売り言葉に買い言葉。そのはずなのに何故か私は閣下の言葉に怒りを覚える事はなかった。むしろ、心のどこかで喜んでいるような気さえする。一体どうなってしまったというのだ、私は。気持ちはそれだけでは治まらない。気付けば私は、閣下に質問を投げ掛けていた。
「……元盗賊でも、騎士になれますかしら?」
「なんだ、真に受けたのか?」
「……参考までに、ですわ。別になるとか、なりたいとか思った訳じゃありません」
そう言われてから気付いた。確かに、今聞いたら本当に私が閣下の皮肉を真に受けたようだ、間が悪すぎる。昨日の皇女の言葉が気になって、実際できるのかどうか聞いてみたかっただけなのだが。
「……難しいだろうな。経歴もそうだが、お前の場合は国に与えた被害が大きすぎる。作法、家柄、昨夜見た限りでは実力も申し分ないが、重臣達の信頼を得るにはまだ弱い。余程地位の高い人間の口添えか、大きな功績があればあるいは……」
「そう、ですか……」
閣下の見解に私は考え込む。口添え、と言うのは皇女で良いのだろうか。しかし、彼女も本物かどうかは分からない。勿論私がなるとしたらあの方の騎士であって、それが皇女でなくても構わない。しかし、もし偽者ならば、その発言力も著しく落ちるだろう。果たして私のような人間を推す事が出来るのだろうか。いや、そもそも私にそんな資格があるのか? 仮にあったとして、仲間達はどうする?
考えれば考える程、気持ちが沈むのが分かる。あんなにも騎士の近くにいたのに、あまりにも騎士からかけ離れた自分。ああ、やはり私は心の何処かで望んでいたのだ、父の志を継ぐ事を。だと言うのに、そこに届かない自分。それが悲しくて仕方がない。拳を握り締めていた私に声を掛けたのは閣下だった。
「口添えならば、私がしても良い」
「……え?」
あまりにも意外な言葉に私は一瞬呆けてしまう。閣下が、私の口添えをする。聞き間違いでなければそう言ったのだろうか。それに気付いた私は喜ぶよりも先に怒りを覚えた。
「何を馬鹿な事を言ってるんですか。閣下、ご自分の立場を分かってます? ただでさえ敵の多い立場なのに、盗賊を騎士に推薦? 賄賂やもみ消しとは訳が違うんですよ!」
もみ消しというのは言わば隠す為の不祥だ。あまり良い考え方ではないが、要するにバレなければ何の問題もない。だが、これは違う。人へと進言する行いなのだ、あらゆる人に愚行が知れ渡る。下手をすれば御家断絶、聖騎士の座だって剥奪されかねない。
「ただの盗賊ならばな。だが、例えば皇女を守る為に妖魔の大軍に立ち向かい、なお生き残った忠義と強さを併せ持つ盗賊ならばどうだ?」
「はぁ?」
私には閣下の言っている意味が量りかねた。確かに、それ程の人物ならば誰でも騎士に相応しいと認めるだろう。生まれも育ちも関係なく、私が騎士を率いる立場だったら推薦する。だが、その仮定になんの意味がある。実際ここにいるのは、精々皇女の為に盗賊を一人抹殺した程度の盗賊だ。そんな立派な存在ではない。
「そんな功績、私には……」
「敵襲―っ! 三時の方角より、妖魔の大軍を確認!」
私の言葉を騎士の一人が遮り、閣下へと走り寄る。手には小型の望遠鏡を持っており、彼が物見である事は用意に想像がついた。私は望遠鏡を騎士からひったくると、彼の言う三時方向……向かって右の方角へと構えた。
「数は?」
「まだ距離がある為、分かりませんが、千はかたいかと……」
筒を覗き込むと、そこには言われた通りの敵影が見えた。いや、あれは影と言うべきものなのだろうか。隙間無く黒で埋め尽くされたその光景は、そこの空間に穴でも開いているかのように見える。こちらの小隊程度しかいない人数に対して馬鹿げた数だ、それほどまでに皇女の血が欲しいのか。
「功績ができたな」
「!? 貴方、もしかしてこれが分かっていて……!」
息を飲む私に閣下はそう語りかけた。まるでこうなる事が分かっていたかのように。そこで初めて気付いた。彼が、皇女の顔を晒す危険を顧みず、私に話し相手をさせようとしていた理由は、まさか。
「獲物を嗅ぎ取れぬ獣はおるまい。皇女はこの上ない上等の餌、こうなる事は分かっていた。それ故の影武者、それ故の精鋭だ……伏兵、幕を破れ! 他の者は戦闘準備を開始せよ!」
閣下の言葉に反応して、後方にあった荷馬車の屋根となっていた幕が次々と切り開かれる。中から現れたのは数名の武装した騎士、そしていくつかの鎧兜と武具だ。あまり数は無いが火薬玉に弓矢も収納されている。いずれも人数分には足りず、軽装で正式装備と比べるとやや心もとないが、それでも現状ではないより数段マシだ。変装した騎士達は、てきぱきと鎧を着込んでいく。
「お前の指示が功を奏したな」
「どこが。こんなもの、戦力差の前では焼け石に水ですわ」
早く着替えた騎士から武器を受け取りながらそういう閣下に、私は悪態をつく。彼が手にしたのは少し細身のサーベルだ。反りのある刃が、斬る事に特化したものである事を現している。これも彼らにとっては、短剣などよりは余程扱いやすいのだろう。だが、それで戦力が三倍になったとしても二十倍以上いる敵の前では無意味だ。むしろ、助言しなければ丸腰で挑むつもりだったのかと思うと呆れて物が言えない。
「なればこそ功績と言えるのだ。それに、どちらにせよあれを退けねば国には帰れぬ」
「っ、確かに……」
他に選択肢はない、という事か。無理難題を押し付けてくれる。私は地図を取り出し、経路を確認した。武器も人も、下準備さえ整っていない今、戦況を覆すには地の利を用いるしかない。現在地から周囲を調べると、この先にある地形が目に留まった。
「隊長、戦闘準備完了しました! 進軍しますか?」
「お馬鹿! あんな中に策もなく突っ込むヤツがありますか!」
折角必死に策を考えているというのに、そんな声が何処からか聞こえてくる。口を挟むのはあまり行儀が良くないとは思ったが、あまりに考えなしな言葉に思わず文句を言ってしまった。
「愚弄するな盗賊! 我々は誇り高きファンヴェル様の直属部隊、死す事など覚悟の上だ!」
「ほざきなさいな! 無駄死になんて何の自慢にもなりませんわよ!」
騎士の言葉に苛立ちを覚え、思わず声を荒げる。命を捨てて目的を達成する事は決して尊い事ではない。生きたままできる方が良いに決まっている。それが分からないヤツが私は大嫌いだ、他の方法を持たずに命を賭けるしかなかった者達への侮辱でしかない。
「ならばどうすると言うのだ!? ここから先は足場の悪い渓谷地帯、飛行する妖魔がいる以上逃げ切れるものではない。本国から援軍を要請するにも、ランガーナまでは二日は掛かるぞ!」
彼の言う事は間違ってはいない。最終的にはこの手勢で戦う事は避けられないだろう。だが、だからこそ無駄死には避けなくてはならない。貴重な戦力を無駄にはできまい。
「それでも、平地で戦えばそれこそ逃げ場を失いますわ」
なにせ機動力は相手の方が上、飛行する妖魔に背後をつかれれば簡単に囲まれてしまう。どうせ戦うなら敵に一斉攻撃をさせない場所、それも分断できる場所が望ましい。
「ルーエル、策があるな?」
表情から察したのか、閣下が私に尋ねてくる。私は弱々しく頷くしかできなかった。無い事はない、だが。
「言っておきますけど、この中途半端な状況で必勝なんて求められても困りますわよ。精々有利になる、が限度です。後は騎士様の働き次第ですわ」
「十分だ」
そう言うと閣下は後ろを向き、兵達に声を張り上げる。その内容は、私を含めその場にいた全員に衝撃を走らせた。
「各員、策を用いる! ルーエルの指示に従え!」
「ちょ、ちょっと閣下!?」
一瞬、この人の思考回路を疑った。突然何処の馬の骨とも知れない盗賊に、一部隊の指揮を任せるなどまともな人間のすることではない。
「一から説明を受けている時間はない、正確な指示を出せるのは全容を知るお前以外にはおるまい」
「いや、それはそうですけど……」
無論私が口頭で直接指示するのがもっとも理解は早い。閣下の判断は実に理にかなった臨機応変なものと言える。だが、人間が効率だけで動く訳ではないのもまた事実。ただでさえ騎士ですらない馬の骨、一体誰が従う。しかし、
「……ええい、ファンヴェル様のご指名だ! 我らの命、貴様に預けるぞ!」
「……え!?」
そう言ったのは閣下まで伝令を持って来た騎士。この声を皮切りに、他の者達も声を張り上げ始める。驚くべき事に、その中に一つも反対の声がない事である。皆、窮鼠の気分で団結し始めたのだろうか。
「……騎士って案外単純ですね」
「お前の昨日の行いが、それだけ彼等の心を打ったのだ」
一人、周囲の勢いに乗れない私を閣下が諭す。昨日の行いと言えば盗賊を一人退けただけ。この人達はただそれだけでここまで盛り上がれると言うのか。
「課された使命の為に己の利を捨てる覚悟はそれだけ価値があると言う事だ。そしてそこに価値を見出せる程度には、騎士も腐ってはいない」
「あ……」
思わず声が洩れる。そうか、この人達も同じなのだ。お父様と同じく誇りを持ち、同じ誇りを持つ者を掛け値なしに信頼できる。これが、騎士のあるべき姿か。
「……先程の言葉は皮肉でもなければ冗談でもない。騎士となり、父の理想を受け継げ、ルーエル。フェアブラッドもそれを望んでいるだろう」
「……やっぱり。貴方、父と面識がありますわね?」
初めて父の名前を出した時から何か違和感はあった。閣下が父の事を態度は、皇女のように伝え聞いた事を語るそれとは何かが違う。だから思っていた、彼は生のイーヴン・フェアブラッドという人物を知っているのではないかと。それも、かなりふかくまで。しかし、閣下が私の問いに答える事はなかった。
「今は言えぬ」
「へぇ。ま、いずれ聞かせてもらいますわ」
今は語る時ではない、そういう事なのだろう。閣下がそう判断したのなら、私はそれを信じる。彼とて、私と同じ誇りを持つ者なのだから。それに、今は私にもやる事がある。私は、周囲を見渡せるように馬上で立ち上がった。周囲にいるのは闘志に燃える同志達。彼等を勝利に導く為に、今は私にできる事をしなくては。深呼吸して、空気を限界まで肺に詰め込む。そして、
「軽装の者は弓矢を用意して私に続きなさい! それ以外は敵を引きつけつつ移動、この先の渓谷地帯で合流する!」
声を張り上げそう伝えると再び馬に跨り、後続を導くように列の先頭まで移動した。家にあった本の真似事だが、やってみるしかない。早くも準備を終え、私の後に続く騎士達に、私はその策の名を告げた……。
「ツリノブセ、仕掛けますわよ!」
「これで良し、と……」
岩壁に埋め込んだ火薬玉に火種の魔符を張り付けて呟く。安価な魔導具の一種だが、パイプに詰め、対の札を破る事で本体から弱い火の魔法を発動、煙草に火を付けるという本来の用途に限らず、使い道が多い。煙草など興味はないが、念のため用意しておいて良かった。有り合わせにしては上出来の仕掛けである。
「兵を伏せたし、後は後続の到着を待てば……来たか」
噂をすれば、風の音に紛れて蹄の音が聞こえてくる。遠目には黒い影の接近も確認できた。速い、この速度ならあと十数秒の内にここを通過するだろう。後は私の見切り次第と言う事か。
少しずつ騎士達の馬も見えてきて、やがて私達の前を通過した。それを追う妖魔の軍勢。一体、また一体と渓谷の一本道に入り込む。ヤツらの内、地上を移動するモノの三割程度が半ばまで移動した時で良いだろう。後、十体、五体、
「……今だ!」
最後の一体を数えると同時に、私は手元の札に切れ目を入れた。同時に、妖魔達の左右から爆音が飛び出す。音だけではない、爆風と、それによって崩れた岩壁。それら全てが、彼らに頭上から襲い掛かった。妖魔はそこで初めてうろたえ始めるが、もう遅い。ヤツらが動き始める頃には、既に何体もの妖魔が土砂に埋もれ、その岩が一本道を塞ぐ新たな壁となった。通り抜ける事は容易ではあるまい。先行していた妖魔は、後続部隊の目の前で退路を失った事になる。それを確認した私は、岩陰からすかさず飛び出し、指示をだした。
「後続! 孤立した妖魔を各個撃破! その後火薬玉で土砂の向こうの敵へ攻撃! 先行部隊は飛行する者を迎撃! 視界の悪いこの場所なら、かなり移動は限られますわ!」
私の声を聞くと意図が分かったのか、騎士達が一斉に動きだした。ある者は弓で妖魔の翼を穿ち、あるものは奇声と共に大剣で切りかかり……かくして、戦いの幕が上がったのである。
「閣下!」
彼らが動き出したのを確認したところで、私は一旦閣下の元に戻った。彼も後続として前線に出ていたので、一旦共に後退をする。
「優勢の敵から一部を孤立させ、伏兵を用いて戦力を削る……これがツリノブセという兵法か。見事なものだな」
「東洋の兵法書を猿真似しただけですわ。本当なら陽動と合わせて使う物なのですけど……そんな事より、閣下は魔法で後方支援に回ってください。土砂の向こうの敵は足止めしただけ、今のうちに叩いておく必要がありますわ」
閣下は頷くと、すぐさまぶつぶつと何事かを呟き始めた。どうやら詠唱のようだ、魔力はほとんどない私にも、集まってくる強大な魔力が分かる。昨日見たところではこの男、簡易な魔法ならば詠唱すら必要としていない。恐らくかなり強力なものが来る。私は安全を確保する意味でも、急いで前線へと戻った。彼の周囲四方の地面が盛り上がり、簡易の火山が生まれたのはその直後の事だ。
「猛き大地よ、その姿を我が前に示せ! 滾る血を解き放ち、かの者を灰燼とせよ! ヴォルケーノ・カノン!」
詠唱が終わる。溜め込まれていた大地のエネルギーが、それを皮切りに文字通り火を噴いた。煮えたぎる程の高温を持つ土塊……溶岩だ。炎と見まごうそれは勢い良く火口から飛び出し、土砂の向こうに居るであろう敵本隊を直撃する。反対側から無数の断末魔が聞こえた。
「これが、魔法の力……」
壁の向こうのみならず、空を漂う妖魔すら巻き込み降り注ぐ溶岩。その凄絶なる光景に、私は羨望を感じざるを得なかった。もし、私もあのような芸当が可能できたなら、あるいはこの地獄のような状況も。
「……ちぃっ!」
次の瞬間、無意識にそんな事を考えていた事実に苛立ち、首を振りながら舌打ちをした。こんな時にないものねだりなどしてどうする。私に魔力なんてものはない、ありはしないのだ。
「ないならないなりの戦いをするのみ……スァァアアッ!」
言い聞かせるように呟き、敵陣へと飛び込む。狙いは最前列で暴れている大型の妖魔。丸々と張った腹と、豚のような顔立ちが特徴的で、見た目通り力が強いらしい。騎士達も苦戦しているようだった。その腹へと縦一閃、撫でるように斬りつける。綺麗に開きになった妖魔は、その場で仰向けに倒れこんだ。起き上がる気配は、ない。私はすかさずそこに飛び乗り、腹をこじ開ける。
「馬鹿な……あれだけ大型の妖魔が、腹を裂かれた程度で……おい、何をする気だ!?」
「誰か、火薬玉! ひとつふたつじゃありませんわよ、袋ごとお持ちなさい!」
誰かが私に質問したようだが、いちいち口で答えるつもりはない。やって来た彼にそう言い付けると、慌てた様子で荷馬車の方に走って行った。しばらくして届けられた火薬玉が詰まった袋を、私は丸ごと妖魔の腹の中に押し込む。中は風船のようにスカスカだったので、簡単に詰める事ができた。そして妖魔の頭を掴み、
「何をするかって? こうするんですわ……よっ!」
力いっぱい投げ飛ばした。妖魔は放物線を描きながら、土砂の反対側へと飛んでいく。接地は、爆音と新たな断末魔が教えてくれた。肉片がこちらにまで飛び散り、相手側の被害を窺わせる。
「あんな巨体を軽々と……なんて怪力だ」
「あれが騎士団正式兵装の斧をナイフ一本で砕いた力か……」
口々に呟く騎士達。斧、というのは昨日の男が持っていた物だろうか。盗品だとは思っていたが、まさか騎士団からくすねた物だったとは。確かに国を守るために用意するものなのだ、品質は折紙付きだろうが。それでも砕けたのは、私がそれだけ妖魔よりの身体になっているという事だろう。魔を喰らえば魔に近づく、当然と言えば当然か。だが、だからこそ今戦えるのだ、むしろ感謝すらしている。お陰で現在の戦況は少しずつこちらに傾きつつある。一方的な攻撃を展開し、こちらの被害は今だゼロ。この調子が続けば勝てない事はないかもしれない。
「そこ、無駄話をしない! そろそろ敵本隊がこちら側に登ってくる頃ですわ、爆撃と迎撃の準備を……っ!?」
好機を逃すまい、そう思い戦線を押し上げる指示をした時だった。背筋が凍る程の悪寒が走る。目には見えない、しかし確実に分かるような圧倒的な力が、土砂の向こうで集まっている気がした。盗賊の勘は良く当たる。間違いない、何かは分からないが、何かが危ない。
「全員伏せろぉぉおっ!」
私が周囲に向かって叫ぶのと、閣下が馬と共に最前線に現れるのはほぼ同時の事だった。馬上で手綱を放して構えを取り、長々と詠唱を続けている。今まで以上に強大な魔法を使うものと見て間違いはない。気付けば火山からの砲撃も止まっていた。折角築いた固定砲台を捨ててでも発動させたい物なのだろう。
「秩序の風よ! 正しき心、我にあり! 悪道を歪め、この地に清浄を与えよ! ディストーション・ウィンド!」
放たれたのは風の魔法。視界が遮られる程の風が障壁を生み出し、私達と妖魔とを阻んでいる。だが、それでも悪寒は消えない。私は引き続き、姿勢を低くし続けていた。そしてそれは、決して間違いではなかったらしい。直後目には見えない何かが、閣下の障壁すら打ち破り、私の頭上を通り過ぎたのだから。
「ぐうぅぅっ!?」
苦しい。直撃はしていないはずなのに、頭上を通る黒い光に押し潰されているようだ。重力系の魔法だろうか、それにしても滅茶苦茶だ。力場の方向性が全く定まっていない。場所により全く別の方向に向かって、超重力がのしかかる。これだけ安定性のない攻撃をしながら、全てにこれだけの威力を持たせるとは。運悪く直撃を受けた騎士の数名は、既に鎧ごと押し潰されていた。無論、直線状にいたはずの妖魔とて例外ではない。敵味方の区別すらしないというのか。
「……一体なんなんですの!?」
やっと攻撃が通過したところで、立ち上がる。攻撃が放たれたラインに残る物は最早無く、折角築いたバリケードもあっさりと風穴が開けられていた。そして、その直線状には一つだけ影があった。
「あれはっ……!?」
そこに居たのは一体の妖魔。異形の多い奴らの中では小柄な方、それでも大柄の成人男性くらいある。人に近いシルエットの身体を赤紫の鎧が覆う……いや、あれは骨か。外骨格が鎧のように見えているのだろう。右手はなく、尾骨の様な骨格が槍代わりに取り付けられている。背中にあるのは……羽根、だろうか。ボロボロになって、精々マントの代わりにしか見えないが。外見は何処と無く鎧で武装した騎士を思わせるが、先程の魔法を見る限り、魔力も相当だ。単純な戦力で言えば、隙らしい隙が見当たらない。間違いあるまい、コイツはかなり名のある上級妖魔だ。その名も何となく予想ができる。
「クッ、同族も躊躇いなく巻き込むとは……これだけの数を用意したのはこうなっても良いようにか! だが、そうまでして戦線に出す程の妖魔……一体何者だ!?」
「はぁ!? 貴方、アレを知らないでよく騎士がやってられましたわね!」
術を解き、憤る閣下に私は悪態で返した。あれだけ強力な妖魔、当然の事ながら名は知れ渡る。野営を繰り返す中で、遭遇しても戦ってはいけない相手として幾度も名前を聞いたのだが、ランガーナには諜報部は無いとでも言うのか。ならば教えてやらねばなるまい。私達の中で最も恐れられた、無差別な大量虐殺を行うその凶悪な妖魔の名を……。
「あれはアムダクト……聖騎士に匹敵する力を持つと言われ、暗黒騎士の異名を頂戴した上級妖魔ですわ」