騎士達の朝
「ルーエル様はカイン王子にお会いになった事があって? 一体どんな方なのかしら?」
瞳を輝かせながら彼女はそう聞いて来た。何度注意して馬車の窓を無理矢理閉めてもこうなのだからある意味の感心をおぼえてしまう。疑う事を知らない様な屈託のないその輝きは、まるで御伽草子の挿絵でも見ているかのようだ。麻の服に毛が生えた程度の質素な正装も、彼女の夢見る瞳の前には美しいドレスに早変わり。視界に広がる雑草の群れでさえ、美しい花畑に映った。
「さぁ? 私はそんなお偉い方々には縁のない人生をおくってきましたから見た事はありませんね。耳元まで開く大きな口から炎を吐き、第三の目から怪光線を放つ屈強な方ならまぁ、会ってみたいとは思いますが」
とは言え、真面目に取り合うつもりもない。こちらには話す事などないし、何より私の本分である護衛に支障をきたす恐れだってある。髪のほつれを直しながら適当な冗談を言い、さっさと話題を切り上げた。目の前で薄桃色の毛が数本、ハラリと落ちる。
「皇女様、もう七回くらい言ったと思うんですけど、あまり顔を外に出さないで頂けます? これ、一応極秘の護送なんですよ」
その為の商人を装う衣装、控えめの武装である。個人的な意見を言わせてもらえば、彼女……イスマリア皇女が乗っている馬車も用意したくはなかった。これを荷馬車にでもして、皇女を藁の下にでも隠しておけば万全だったと思える。流石にそれは姫に対してあまりに無礼として隊長殿直々に却下されてしまったのだが。
「このショッボい装備では勇敢な騎士様でも十分な防衛ができるか微妙なところでもあるんです。婚礼をわずか数日の内に控えていたその身を哀れ妖魔に散らされる悲劇の花、なぁんて皇女様も嫌でしょう?」
異形の容姿と異質の強さを持つ妖魔。単純な力は下級の魔族ですら人など容易く圧倒してしまう。ヤツらとの戦いには知恵、技術、装備は実質不可欠と言って良い。その内一つを欠いた現状は極めて危険だ。出来ればヤツらには会いたくない。だが、ヤツらは必ず現れるのだ。この旅団の中に姫君がいると分かりさえすれば。
「それはそうですけど、でも退屈なのですわ。窮屈な馬車の中でずっと独りきりで……」
「アステルベルクにいた時と大して変わってないじゃないですか」
聞くところによれば彼女の母国、アステルベルク皇国では直系の血を引く者に会える人間は限られるのだと言う。皇家縁の者と、侍女が数名。会う人間を限定するには、行く場所を限定する必要がある。要するに母国における彼女は文字通りの箱入り娘。城か馬車かの違い程度しかないのだ。
「幽閉の期間がちょーっと伸びただけだと思ってくださいな。じゃ、あんまり話してると将軍閣下に怒られるので、これで」
言いながら馬上から足を伸ばし、踵落としで窓を蹴り降ろす。皇女は何か言っていた様だが、馬車はなかなか防音設備が良く、閉じてからは物音一つ聞こえなくなった。
「はぁ、面倒くさい人」
音が聞こえなくなったのを良い事に小声で呟く。悪い人ではない……という事は分かっているのだが、どうにも危機感が無さ過ぎる。どうせ今まで温室でぬくぬくと暮らしていたから外界の危険など知らないのだろう。そして不用意に行動して周りを巻き込むから始末におえない。
「慎め、ルーエル。あのお方は本来、貴様などでは一生お目に掛かれない高貴な存在なのだぞ」
私の声を聞きつけたのか、先頭を馬で進んでいたはずの中年男性が馬車の近くまで寄って来る。流石我らがランガーナ王国に四人しかいないとされる聖騎士が一、ファンヴェル将軍閣下といったところか。歳をとっても五感が全く鈍っていない。
「はいはい、重々承知していますわ。イスマリア皇女は世界で唯一法力を使う事を許された、高貴で、やんごとなき血を引かれるお方なんですよね?」
この話は閣下から耳にタコが出来る程聞かされた。否、それよりもっと昔から、まるで赤子に聞かせる子守唄のように私達の生活に入り込んでくる。ランガーナでは赤子どころか道端の犬でも知っている。無論、妖魔とて。
「それで? その最高の血筋の持ち主は妖魔どころか同属の異性すら怖がる腰抜けで、近衛兵は女性が良いとワガママ言われたのでわざわざ盗賊の頭を引き立てた、と。本当に大した血筋ですこと」
実に馬鹿馬鹿しい。最も優れた力を持ちながら、それ以下の者達に守られる立場に甘んじ、あまつさえ自分勝手な言い分で部下に迷惑を掛けるとは。こんな役立たずが指導者になるとは、本当に世襲制というヤツは馬鹿げている。私は改めて思った、国を捨てた事は間違いではなかったと。
「皇女が仰った訳ではない、長旅で精神が参らないようにという我々なりの気遣いだ。もう一隊にも我が娘、リアナをつけてある」
「ああ、ランガーナ史上最年少で聖騎士になったっていう自慢のご息女ですよね。もうそれだけで良いじゃないですか。わざわざ影武者にまで気を使う必要はないでしょう」
ふてくされた様に鞍の上に寝転がりながら答える。全身を包むマントが少しはだけ、首から下げたペンダントが視界に入った。閣下は憂さ晴らしに皮肉を織り交ぜてやったというのに、表情一つ変えない。更に機嫌が悪くなった私は、ペンダントを弄り始めた。
閣下に言った事の半分は本当だ。正直、警戒やら護衛やらの必要など私には全くない。イスマリア皇女をアステルベルクから彼女の婚約者、ランガーナにいるカイン王子の元へとお連れするこの護送部隊は、万全を期す為に二つに分けられている。片方は当然皇女を守る本隊、そしてもう片方は影武者を連れて行くだけの単なる囮という訳だ。余計な情報が漏れぬよう、兵の士気を削がぬようにどちらが本物かは閣下にしか知らされていない。
だが、実際は考えるまでもないだろう。一応の「契約」を済ませているとは言え、盗賊の頭である私などを皇女の傍に置くだろうか。答えは否、騎士という立場の人間が私のような下賤な者を信用するとは到底思えない。つまり今この場に居る皇女は守る必要のない存在……影武者という訳だ。そう思うと自分がこの場にいる事が無意味に思えてならない。無論、状況を同じにしなければ影武者の意味がない事は自分でも分かっているのだけれど。
「どちらが本物か、など貴様が知る必要はない。貴様との契約は皇女のお相手をする事だろう。早く戻り、話し相手をして差し上げろ」
私の態度など気にも留める様子のない閣下。下賤の者に品位など期待してはいないという事なのだろうか。ただあの面倒な姫君の相手をするようにという旨だけはしつこく言ってくる。それが妙に引っ掛かって、身体を起こして彼に尋ねてみた。
「なんでそんなに私を皇女と喋らせようとするんです? 普通逆に止めるべきでしょう、妖魔に皇女の存在がバレれば、私達だってただじゃ済まないんですから」
皇女が妖魔から執拗に狙われるのには理由がある。法力を持つ人間の血は、妖魔の力を強める効果があるらしいのだ。他にも純潔の女性でなければならないとか、直系である事が望ましいとか、条件が諸説存在していて詳しい事は分かっていない。しかし面倒な事に、この皇女と来たらそれらの条件が全て揃っていて、しかも強い。彼女の法力は、歴代アステルベルク皇族の中でも屈指と言われているそうだ。妖魔にとって垂涎の馳走であることは間違いあるまい。だからこそこれだけ厳重に変装して護送をしているのに、なぜ彼女が顔を出すような真似を促す事を言うのか。これではまるで撒き餌だ。
「貴様が知る必要はない」
「返答に困るとすぐこれだ」
大仰に手を広げて呆れてみせる。お偉方の特徴だ。都合の悪い事は教えない、でも言う事は聞かせる。無論それを承知の上で契約したのだ、それは仕方がない。だが、喋らないのはそれだけが理由でもないのだ。
「第一、話って言ったって一体なにを? 村一番の美人を自負していた女が二束三文で売られた話? 屈強な騎士様があっけなく殺されかけて命乞いしてた話? 討伐隊を差し向けてきた見せしめに村を一つ焼き尽くした話なんて良いかしら?」
「……ふざけているのか?」
閣下の表情は既に怒りか呆れかも判別がつかない。まぁどちらにしても私の返答は変わらないのだけれど。これが、皇女と話が出来ないもう一つの理由。私には、彼女を喜ばせるような話題がないのだ。同じ盗賊ならば今のような話をすれば大抵うまくいく、しかし、何も知らない無垢なお姫様に一体何の話をしろというのだ。大真面目に考えた結果がこれだったのだが、これも閣下の時点でお気に召さないらしい。正直少しショックだったが、私はそれを気取られないようにニヤニヤと笑いながら答えた。
「そう思われるなら、ふざけた人選をした貴方の責任ですわ。では、私は一足先に宿の確認をして来ますので、ごきげんよう」
小言も聞き飽きて、私は馬の脚を速める。後ろを向くと騎士団がみるみる内に小さくなるのが見えた。追ってくる様子はない、どんなに離れても私が逃げられる訳がないとたかをくくっているのか。
「まぁ、実際に逃げられないんですけどね……はぁ、仲間が人質にさえなっていなければ」
獄中で助けを待つ部下達の姿を思い浮かべる。制止も聞かず突出し、騎士に捕まってしまった私の部下達。自業自得とは言え、私を信じて着いてきてくれた彼らを見捨てる訳にはいかない。
「……誇りを忘れた権力の犬が」
再び騎士団を睨み直し、小さく悪態をついた。義と誇りを重んじるべき騎士が人質とは、落ちぶれたものである。堕落した彼らを見ていると、他人の事ながら情けなくて仕方がない。いつからああなってしまったのか、少なくとも私が知っているあの国はもっと雄雄しかったのに。
「……いや、ただ馬鹿だっただけか」
ペンダントを握り締めながら物思いに耽る。そう、そんな勇ましいものではなく、ただ脳が無かっただけ。今は少し利口になったということか。そう分かっても、私の中から嫌悪の念が消える事はなかった。まだ私が憧れていた頃とはかけ離れてしまった彼らに……。
「流石は高級宿、無駄な所に金のかかっていること」
壁に取り付けられた、模様入りの歯車を回しながら思わず笑いが込み上げる。捻る度に横に取り付けられたパイプから流れ出る水。立ち上る湯気がその温かさを証明していた。これを使えばわざわざ沸かさずとも湯水を得られるという訳か。温泉地でもないのに湯浴みができる宿を謳っているのはこういう事らしい。
「炎熱と水流の複合魔法陣か。こんな高度な魔法、いくら積んだら売ってもらえるのやら」
こんな下らない設備に金をかけられる宿、と言えばそのレベルの高さもうかがえる。少なくとも旅の商団程度がそうそう泊まれる宿ではない訳だが、ここを選んだ騎士達は分かっているのだろうか。妖魔よりも先に人間にばれかねない。
「随分と詳しい事だな」
「……」
背後から聞こえてくる声には最早ため息しか出てこない。ここは私と皇女にあてがわれた、少し高い部屋がある別館のはずなのだが。わざわざこんな所まで何のようだと言うのだろうか。
「閣下ぁ、お説教の続きなら明日以降にしてくれます? 折角のたっか~いお宿を満喫したいんですけど」
もう振り向く気にもならない。私は滑車を見たまま、そこに居るであろうファンヴェル閣下に返した。声にもできる限りの皮肉を乗せる。
「一つ、確認したい事があってな」
相も変わらず閣下の表情が変わる事はない。今朝と同じ……いや、それと比べると少し神妙な面持ちか。どちらにせよ皮肉は通用しないか。
「貴様が持っているその短剣……盗品か?」
逆に私は逐一イライラさせられる。質問の意図は分からないし、何より不躾だ。寄りにもよってこの短剣について、しかも騎士に問われた事が、私の苛立ちを加速させる。
「……反吐が出ますね、その短絡思考。盗賊は親の形見も貰ってはいけないと?」
湯水が止まったのを確認してから閣下を睨み付けた。今度は悪意を視線に乗せて。言葉が乱れたが気にしない。この男は意思疎通さえできれば文句は言わないだろう。
「形見……そうか、やはりそうだったか」
案の定、閣下には気にした様子はない。アゴに手を当てて考え込み、こちらの事などお構いなしだ。もう私の事など眼中にはあるまい。無駄に質問が増えぬ内にこの場を去ろうと踵を返す。そのまま皇女と私の寝室がある、閣下とは反対方向へと
「ルーエルと言う名を聞いてまさかとは思っていたが、貴様……お前の父親はフェア……!?」
……歩く事ができなかった。閣下の言葉が終わる前に再び振り返る。恐らく今の私は悪鬼のような形相をしているだろう。だが顔だけでは済まない。次の瞬間、何かに突き動かされるように、件の短剣を引き抜きながら一気に閣下との間合いを詰め、喉元に突き付けていた。
「その名を語るな……!」
搾り出すように声が出る。気に入らない。頭にくる。こいつらは二言目には親が、家がと。そんなものに何の意味がある。血が繋がっていようと所詮は別人。私には父など関係ない。そんな怒りが私を駆り立てる。しかし、それでも勘という物は働くらしい。あと一寸、刃を動かせば閣下の貫けるその距離にいて、私はそれ以上動く事ができなかった。
「続けないのか」
いけしゃあしゃあと閣下が問う。よく言う、自分で出来ないようにしているくせに。閣下からは一寸程離れている切先、しかし手元には確かに手ごたえがあった。そこには存在しているのだ、目には見えなくても私を阻む壁が。
「……結界」
一体いつの間に展開したのやら。その素振りも、術を構成する呪文の類も一切見えなかったのだが。触れた感じではそう強力な物ではなく、物理的な力でも十分破壊可能な代物のようだがそれでも一瞬で展開したこの男の実力は計り知れない。
「お前なら貫く事も可能だろう」
閣下の言うとおり、私ならこんなものを穿つのは容易い。だがあえてそれはせずに、私は剣を収め彼から離れる。
「……今貴方を殺したらどうなるかが分からない程馬鹿じゃありませんよ。他人の為に命を賭けるなんて真っ平御免ですわ」
彼から顔を背けながら、私はそう語った……いや、騙ったが正しいか。前半は嘘。本当は殺すことすら出来ないと分かっていたからだ。確かに結界は壊せる。だがその後は? 相手は結界を一瞬で構成できる程の魔力の持ち主、刃が届くまでに何が起こるか分かった物ではない。悔しいが確信した、私はこの男に勝てない。
「そうだな、お前の父もそれは望むまい」
「……っ! 失礼しますわ……!」
お前の父? 名を出さない事で気を使っているつもりか。下らない情けは余計に屈辱的だ。ならいっそ、何もできないとたかをくくって名前でもなんでも出してくれた方が余程良い。こんな悔しい思いをしたのはいつ以来だろうか。その気持ちが顔に出ない内に、ここから離れたい。私は足早に、今度こそ自室を目指す。
「待て、ルーエル」
「まだ何か!?」
まだ馬鹿にしたりないのか、閣下は私を呼び止める。半ば自棄になりつつそう聞き返すと、彼はただ一言だけを私に投げかけた。
「聞いて差し上げろ」
「……は?」
思わず怒りも忘れて問い返す。差し上げる、という事は皇女についての話だろうが、それ以上の意味は私には量りかねた。聞くという明らかに受けて側の行為であるにも関わらず、自分が与える側である事を示す「差し上げる」という言葉。全くもって意味不明だ。
「自分にする話がないのなら、皇女の話を聞いて差し上げろ。それだけでもお気持ちは晴れるはずだ」
そこまで言われてやっと気付く、今朝の話の続きだ。私が皇女にできるような話はないと言ったから、どうすれば良いかの答えなのだろう。意味は理解できたが、あまりに唐突な話なので唖然としてしまう。
「……私から言える事はそれだけだ。あとはお前がなんとかしろ」
「はぁ……わかり、ましたわ」
それだけ言って立ち去ろうとする閣下の姿に、私は気の抜けた返事をする事しかできなかった。意外な人物からの意外と的を射た助言はそれ程に衝撃だったのだ。結局、何度もその場を離れようとしていた私よりも先に、閣下は自室へ引き返してしまった。
「……変な人」
変なところで優しさを見せる、変な騎士。そんな印象が私の中に芽生える。それに気付いて、再び不快になった。そんな騎士を、私はもう一人だけ知っている。未だ私の記憶から消える事のない、きっとこれからも残り続けるであろうその人。彼と同じ印象を受けてしまったのだ……。