プロローグ 精霊のお姫様と過保護な条件
世界には、人間が住む「人間界」と、精霊たちが住む「精霊界」が存在します。
その境界にある、七色の光が降り注ぐ美しい庭園――「虹の聖域」。
そこで今、この世の終わりのような嘆き声が響き渡っていました。
「嫌だぁぁぁ! 行かないでおくれ、ミリフィオラァァァッ!!」
「ああん、私の可愛い天使! 人間界なんて空気が悪いし、お肌が乾燥しちゃうわ! 紫外線も強いのよ!?」
美しいローブを纏った男女が、一人の少女にしがみついて泣き叫んでいます。
この世界の全精霊を統べる「精霊王」と、その妃である「精霊女王」。
そして、二人に揉みくちゃにされている少女こそが、この物語の主人公――精霊姫ミリフィオラ・イリスです。
「……パパ、ママ。もう、泣かないでくださいな。服が皺になってしまいますわ」
月光を織り込んだような銀髪に、吸い込まれそうなほど深い、瑠璃色の瞳。
少女は困ったように微笑みながら、両親を優しくあやしました。
「私はもう決めましたの。人間界の学園に行って、『普通の女の子』としての青春を謳歌するって」
そう、これは彼女の長年の夢でした。
精霊界での彼女は、生まれながらにして最強の存在。
歩けば花が咲き、歌えば嵐が止む。何をしても「さすがは姫様!」「奇跡だ!」と崇められる毎日。
そんな「特別扱い」ばかりの日々に、彼女は少し疲れてしまっていたのです。
(私は、奇跡なんて起こさない、どこにでもいる女の子として生きてみたい。友達とお弁当を食べたり、テストの点数に一喜一憂したり……そういう『当たり前』が欲しいのです)
その固い決意を知っているからこそ、精霊王は涙ながらに鼻をすすりました。
「ぐすっ……分かった。可愛い娘の頼みだ……パパは我慢するよ。その代わり、条件は守ってくれるね?」
「ええ、もちろんです」
少女は指折り数えて確認します。
「一つ、私の身元引受人は、パパの昔馴染みである『シエル公爵』にお願いすること。
二つ、人間界では『ラフィ・シエル』と名乗り、精霊姫であることは絶対に隠すこと。
三つ、もし命の危険があったら、すぐにパパが国ごと消し去りに来ること(※これは阻止しますけれど)」
「うむ……。シエル公爵なら、昔、私が酔っ払って契約した仲だ。あいつの家なら、最高級の結界と警備がついているから安心だろう」
精霊王は渋々と納得し、そして背後に控える無数の光――世界中の精霊たちに向かって、厳かに命じました。
「よいか、皆の者! 娘が人間界へ行く!
あちらでは『魔法』という不便な技術が主流らしいが、娘には関係ない!
お前たちは常に娘の側に控え、娘の手足となり、決して不自由させるな!
娘が『こうしたい』と願う前に、全て先回りして叶えるのだ! いいな!!」
『『『御意ーーーっ!!』』』
精霊たちの大合唱が響きます。
(……あら? なんだか、雲行きが怪しいような?)
少女は一抹の不安を覚えました。
パパの命令は、「娘を守れ」という親心から来るものです。
しかし、精霊たちは純粋すぎます。
彼らはその命令を、「姫様が指一本動かさなくてもいいように、全自動で世話を焼くべし(忖度せよ)」と解釈してしまったのです。
「それでは行ってきます、パパ、ママ。……精霊さんたちも、仲良くしてくださいね?」
少女は荷物を持ち、人間界へと続く光のゲートをくぐりました。
期待に胸を膨らませて。
――自分が求めている「普通の生活」が、過保護すぎる両親と精霊たちのせいで、初日からハードモードになっていることになど、まだ気づかずに。
こうして。
無自覚な最強精霊姫「ラフィ・シエル」の、前途多難な人間界での生活が幕を開けたのです。




