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第九十四話「剣を置く日」(最終話)



退院から三日後。


メルベルは自宅のソファーにどかっと腰を下ろした。


「ああ、やっぱり家がいい」


背中が突っ張る。酸で焼かれた皮膚はまだ完全には治っていない。


「とりあえず、飯が食いたい」


家族たちがゾロゾロと居間に集まってきた。ガレス、アルマ、アザリア、アジョラ。そしてニイナは、父の体にぴったりと抱きついたまま離れない。メルベルが動くと、まるで影のように同じ方向に動く。


アザリアが苦笑した。


「親離れは当分先ね」


「親離れ?」


ニイナが不思議そうに首を傾げる。


「それってどういうこと?」


「それは......いつまでも親と一緒にいたら困るでしょう?」


「どこが困るの?パパとずっと一緒にいるわ」


きっぱりとした口調だった。アザリアは諦めたようにため息をつき、夫を見た。


「よかったわね、ずっと一緒にいてくれるって」


皮肉を込めて言いながら、召使に食事の準備を指示する。


ガレスは複雑な表情で父と姉を見ていた。心の中で呟く。


『まあ、そりゃそうか。あんなぶっ飛んだかっこいいところしか今のところ見てないもんな......今更他の男なんて全員ジャガイモだろうし......』


父親が偉大すぎて、何もかもが霞んで見える。自分もいつか、あんな風になれるのだろうか。


メルベルは立ち上がり、自室に向かった。部屋の片付けを始める。壁に飾るガラスケースを開け、愛刀をそっと納めた。戦いの服も、思い出の品も、一つ一つ丁寧にしまっていく。


もう使うことはない。


アザリアがその様子を見て、不安そうに声をかけた。


「ちょっと、まだ物騒な世の中なんだから、身近に置いておきなさい。ガレスにも訓練は必要でしょう?」


終活のように見える夫の行動が気になった。予知夢で何か見たに違いない。


「そうか?」


メルベルは自分の愛刀を見つめた。長い間、共に戦ってきた相棒だ。


「いや、これからは勉強の時代だ。剣技は......運動、健康のため。わかるか?」


「いや、全く」


アザリアは首を振った。理解できない。この男から剣を取ったら何が残るというのか。


「パパ!?パパ!?」


廊下からニイナの声が聞こえてくる。どたどたと走り回る足音。


アザリアが苦笑する。


「ほら、お姫様が呼んでるわよ」


そして少し真剣な顔になった。


「なんていうか、あの子のことをもらってくれる男の子がいるかどうか......多分無理よ。あなた、ちょっといいとこ見せすぎ。カッコつけすぎよ」


メルベルは静かに微笑んだ。


「いや、そうでもないさ」


「どういうこと?」


「あいつの好みはな......結構男らしい。そうだな、大男の強そうな奴なんだ」


予知夢で見た、ニイナの隣に立っていた四十代の男を思い出していた。


アザリアが変な顔をする。


「それ、あなたのことでしょ。何それ?惚気てる?」


「いや、案外ニイナの独り立ちは早いってこと」


メルベルはガラスケースに剣を立てかけ、静かに扉を閉めた。


その時、ニイナが部屋に飛び込んできた。父を見つけて、嬉しそうに飛びつく。


「パパ!また歌って!演奏の練習をしましょう!」


満面の笑顔だった。十六歳とは思えない無邪気さで父にまとわりつく。


「とてもそうは見えないけど」


アザリアが呆れたように言う。


「と思うだろう?ところが違うんだな」


メルベルは娘に向き直った。


「なあ、どんな男の子が好みだ?」


からかうような口調で尋ねる。


「パパだけど?」


ニイナは不思議そうな顔で即答した。何を当たり前のことを聞いているの、という表情だ。


アザリアは予想通りの答えに肩をすくめた。


「そうね、パパかっこいいものね」


階下からアジョラの声が聞こえてきた。


「みんな、食事の準備ができたわよ」


三人は連れ立って階段を降りていく。ニイナは父の腕にしがみつき、アザリアは夫の背中を見つめながら、複雑な表情を浮かべていた。


静かになった部屋。


ガラスケースの中で、メルベルの愛刀が午後の光を受けて輝いていた。父から受け継いだ剣。千年王を倒した剣。そして今、静かに役目を終えた剣。


窓から差し込む光が、刃に反射して部屋の壁に虹を描いた。


階下から、家族の笑い声が聞こえてくる。ニイナの歌声、アザリアの笑い声、ガレスとアルマの会話、アジョラの優しい声。


平和な午後だった。


千年の戦いは終わった。英雄は剣を置いた。


そして新しい時代が、静かに始まろうとしていた。


メルベルが予知夢で見た未来。空飛ぶ機械、そびえ立つ建物、新しい国家。それはいつか必ず来る。だが今は、この穏やかな日常こそが、彼が剣を振るって守り抜いたものだった。


食堂から、ニイナの声が響いてくる。


「パパ、早く!お腹すいた!」


「今行く」


メルベルの返事が廊下に響き、やがて静寂が訪れた。


剣は、静かに眠りについた。


**『夢見ぬ巫女』第二部 完**

第二部「継承の炎編」完結です。

お読みいただきありがとうございました。


誘拐され、敵として育てられた娘ニイナ。

知らぬ間に生き別れた弟ガレス。

血で血を洗う悲劇は、家族の絆によって乗り越えられました。


ニイナは後に初代女帝となり、カーカラシカ帝国を建国します。

そして彼女は、RVウイルスの適合者として不老を得ました。


第三部「覇道の果て編」では、時代が大きく進みます。

初代女帝ニイナから約600年後――

第15代女帝ニーナの時代。


帝国は腐敗の時代を制し、ついに空への扉を開こうとしていました。

戦争孤児から軍人となった少女と、

運命に翻弄される船乗りの物語が始まります。

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