第九十三話「予知夢の残響」
「面会です」
医者の声と共に扉が開き、ニイナが飛び込んできた。ベッドに横たわる父の姿を見た瞬間、堰を切ったように涙が溢れ出した。
「パパ......」
「怪我はないか?」
メルベルが優しく尋ねると、ニイナは返事もできずに父の体に縋りついた。
「お体に障りますから!」
医者が慌てて間に入ろうとするが、ニイナは離れない。その後ろから、アザリアとアジョラ、そしてガレスも入ってきた。
メルベルは苦笑いを浮かべた。
「今回は流石に死んだと思ったよ」
その言葉を聞いて、ニイナはわあわあと号泣し始めた。小さな子供のように、父の胸に顔を埋めて泣きじゃくる。
アザリアが息を吐きながら近づいてきた。
「私たちも今回ばかりはね......本当によかったわ」
声が震えている。強がってはいるが、目が赤い。
アジョラも息子の手をそっと握った。温かい手だ。生きている。またしても奇跡の生還を果たした息子に、言葉にならない安堵を感じていた。
「父上」
ガレスが緊張した面持ちで声をかける。まだその呼び方に慣れていない。
メルベルは息子を見て、にやりと笑った。
「デートはうまくいったか?」
「いや、ええっと、その......あんまり......」
ガレスが苦笑いを浮かべる。あの騒ぎで全てが台無しになったのだ。
「まあ、あの騒ぎじゃな」
メルベルが笑うと、ガレスは急に真剣な表情になった。
「父上、やはり僕は弱かった。襲われて、アルマたちを助けるために戦いましたが、本当に相手が一人でも......」
項垂れる息子を見て、メルベルは静かに言った。
「それは大変だったな」
「だから」
ガレスが顔を上げる。瞳に決意が宿っていた。
「元気になったら、稽古をつけてください。僕は強くなります。いつか父上より......」
メルベルは窓の外を見た。青い空に白い雲が流れている。夢で見た、あの空飛ぶ機械の姿が脳裏をよぎった。
「いいや、いいんだ」
「え?」
困惑するガレスに、メルベルは静かに告げた。
「勉強しろ。剣一本でできることなんて、たかが知れてる」
「よく言うわ」
アザリアが呆れたように笑った。
「あなたに言われると説得力が皆無ね」
アジョラも肩をすくめる。
「それで化け物をどれだけあの世送りにしたか覚えてる?」
メルベルは答えなかった。夢のことを思い出していた。あの未来の世界。巨大な空に浮かぶ鯨のような機械。黒く平たい道。天を突く建物。もうそんな時代じゃないんだ。
「俺の時代で終わりさ」
ニイナの頭を優しく撫でながら続ける。
「お前は頭がいい。勉強で、みんなを助けてやれよ」
ニイナは激しく首を振った。心の中で強く思う。父が剣で作った世界。父の剣しか頼りになるものはない。どうしてそれを否定できるだろう?
「ガレス」
メルベルは話を変えた。
「アルマと仲良くな。また誘ってやれ」
アザリアとアジョラは顔を見合わせた。何かおかしい。さっきから様子が変だ。
「あなた」
アザリアが慎重に尋ねる。
「また何か見ました?何か悪い未来が?」
「死ぬ未来とかじゃないわよね?」
心配そうに覗き込んでくる妻に、メルベルは正直に答えた。
「ああ、死んでたけど」
「ひゃああああ!」
ニイナが絶叫して、さらに激しく泣き喚いた。アザリアも目に涙を浮かべ、アジョラは血相を変えて叫んだ。
「何を見たんですか!?」
メルベルは泣きじゃくる娘の頭を撫でながら、穏やかに言った。
「いつかはみんな死ぬ。でも、最高の未来だ。全て、何もかもうまくいく。そんな未来だった」
「どういうこと?」
アザリアが困惑した表情で問いかける。
「全部言うと楽しみが減るだろ」
メルベルが笑うと、扉が再び開いた。
「メルベル!」
ナブが嬉しそうに駆け寄ってくる。リーナとアルマも続いた。
「お前って奴は、不死身だな!」
「本当!メルベルさんって必ず復活してくる!」
リーナも安堵の笑みを浮かべている。
「いや、それはないよ」
メルベルは苦笑しながらアルマを見た。そして唐突に言った。
「なあガレス、これは重要なことだが、早めにしろ」
「ど、どういうことです?」
ガレスが困惑する。
メルベルはアルマに視線を移した。
「アルマちゃん、俺のせいでデートが台無しになって悪かったな」
「な、何言ってるんですか?」
アルマが真っ赤になって叫ぶ。
「メルベルさんのおかげで助かったんです!兄さんも、私やマヤを守って戦ってくれて!」
メルベルはガレスに小声で囁いた。
「おいガレス、二人同時は面倒だぞ......」
「は?え?」
ガレスは完全に混乱していた。父は一体何を言っているんだ?
「はい、みなさん。面会時間はこのくらいで」
医者が申し訳なさそうに告げる。
「じゃあ、またね」
アザリアが名残惜しそうに立ち上がった。その瞬間、ニイナがベッドの脚にしがみついた。
「嫌だ!絶対に嫌だ!ここで泊まる!」
「ニイナ、病院には規則があるのよ」
「知らない!パパと離れない!」
「あなたがいたら、お父さんが休めないでしょう」
「休まなくていい!ずっと起きてて!」
母娘の口論が始まった。アザリアが娘を引き離そうとするが、ニイナは必死に抵抗する。
「痛い痛い!脚が外れる!」
メルベルが笑いながら抗議すると、医者たちが慌てて止めに入った。
結局、看護師長の特別な計らいで、ニイナは簡易ベッドを持ち込んで泊まることを許された。条件は「静かにすること」と「治療の邪魔をしないこと」だった。
アザリアは諦めたようにため息をついた。
「まったく、この子は......」
でも、その顔は少し安心したようにも見えた。夫が生きている。娘も無事だ。それだけで十分だった。
夕方になり、面会者たちが帰っていった。病室には、メルベルとニイナだけが残された。
「パパ」
ニイナが小さな声で呼びかける。
「ん?」
「本当に死ぬの?」
「いつかはな」
「嫌」
「でも、お前が立派になるのを見届けてからだ」
ニイナは父の手を握りしめた。
「パパは死なないわ」
断言するような口調だった。
「ずっと一緒にいる。不死身なんだから」
「そうだな」
メルベルは優しく微笑んだ。
「今回も死ななかったしな」
「そうよ。だからずっと......ずっと一緒」
窓の外で、夕日が街を赤く染めていた。
メルベルは目を閉じた。夢で見た未来。娘が建国を宣言する姿。空を飛ぶ機械。新しい時代。
なんとなく、あれが自分の見る最後の予知夢になるだろうと感じていた。自分の役目が、一族の、炎の戦士の役目が終わったのだ。千年続いた使命が、ついに完了した。
もう、未来を見る必要はない。
娘の温かい手を感じながら、メルベルは静かに眠りについた。




