第八十七話「祭りの影」
聖火祭二日目の朝、街は前日以上の賑わいを見せていた。
ナブ・エアは壇上で挨拶を述べている最中、一人の伝令が近づいてきた。顔を変えずに話を続けながら、耳だけを傾ける。
「不審者を捕らえました。薬品を所持していた集団です」
ナブの表情が一瞬だけ硬くなる。しかし聴衆に向けた笑顔は崩さない。
「……尋問の結果、ルカヴィの残党と判明。イザベラ・カーカラシカが指揮を取っている可能性があります」
リーナ・エアにも同じ報告が届く。夫婦は壇上で目を合わせた。一瞬の視線の交錯で、全てを理解し合う。
アザリア・イシュタルとアジョラの元にも、密かに戦士が近づいてきた。
「テロの可能性があります。警戒態勢に入ります」
アザリアは微笑みを保ったまま、小声で指示を出す。
「パニックを起こさないように。徐々に人を移動させて」
これだけ人がごった返している街で、いきなりテロの危険を公表すれば大混乱になる。パニックは伝染する。人のドミノ倒し。それはテロ以上に危険だ。
密かに警備の兵士と戦士たちが街に散り始めた。祭りの喧騒に紛れて、静かに配置についていく。
ナブは演説を終えると、すぐにリーナと合流した。
「俺が指揮を取る。お前は子供たちを」
「分かったわ」
リーナは即座に動き出す。子供たちの行動パターンは把握している。今は劇場にいるはずだ。数名の戦士を連れて、足早に向かう。
ナブは内心で呟いた。
イザベラ・カーカラシカ。ここで奴を捕まえて、真の意味でこの千年の戦いを終わりにしてやる。
しかし、心配なのは――
「メルベル……」
イザベラの本来の標的。おそらく今頃、ニイナと祭りを楽しんでいるはずだ。流石に街中で帯刀はしていない。持っていてもせいぜい懐に忍ばせた短刀。いや、それすら持っていないかもしれない。
メルベルがどんなに強くても、丸腰でこの衆目の中で襲われたら――
「伝令!」
ナブが鋭く呼ぶ。
「メルベルを探せ。至急護衛をつけろ」
一方、劇場では――
「面白かったね!」
マヤが興奮した様子で劇の感想を述べている。
「主人公の最後の台詞、泣けたわ」
ユナも目を潤ませていた。
ガレスはほっとしていた。暗い劇場で座っているだけなら、そんなに疲れない。
「兄さん、次どこ行く?」
アルマが聞いてきた時、劇場の扉が静かに開いた。
「リーナ様?」
マヤが驚く。なぜ養母がここに?
リーナは穏やかな笑顔を浮かべた。しかし、その目は真剣だった。
「みんな、ちょっと来てもらえる?特別な催しがあるの」
「特別な?」
「ええ、とても素敵なものよ」
嘘だった。しかし、子供たちを不安にさせるわけにはいかない。
ガレスだけが、何かを察した。養母の緊張した肩の線、わずかに震える手。何か起きている。
「行こう」
ガレスが立ち上がり、皆を促す。
街の別の場所では、アジョラとアザリアが要人たちを冷静に誘導していた。
「こちらの会場の方が涼しいですよ」
「せっかくですから、場所を変えて続きを」
笑顔で、しかし有無を言わせぬ雰囲気で、人々を安全な場所へと移動させる。
そして、祭りの喧騒から離れた通りで――
メルベル・ボムは娘と手を繋いで歩いていた。飴細工を舐めるニイナを見て、優しく微笑んでいる。
平和な光景。
しかし、その影で何かが動き始めていることを、彼はまだ知らない。
ニイナが突然立ち止まった。
「どうした?」
「……何か、変」
少女の直感が、微かな異変を感じ取っていた。祭りの喧騒の中に、別の緊張が混じり始めている。
メルベルも周囲を見回す。確かに、何かがおかしい。戦士としての勘が、危険を告げ始めていた。
「ニイナ、俺から離れるな」
「うん」
父の手を強く握り返す。




