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第八十六話「祭りの光と影」



聖火祭の初日、街は色とりどりの幟と提灯で彩られていた。


祭りの意味は、立場によって全く異なる。


ナブ・エアとリーナ・エアにとって、祭りとは政治の舞台だった。朝から晩まで、式典への出席、要人との会談、記者への対応。笑顔を絶やさず、決められた言葉を繰り返す。


「千年の戦いが終わり、新しい時代が始まりました」


何度目になるか分からない同じ台詞を、ナブは壇上で繰り返していた。


アザリア・イシュタルとアジョラも似たような状況だった。聖女として、神殿の象徴として、人々の前に立つ。


「アンデッドの脅威は過去のものとなりました。これからは開拓と発展の時代です」


アザリアの声は凛として響く。農地改革、人口増加、新技術の開発。全てが上向きの話ばかり。青天井の未来が約束されているかのような演説を、彼女は完璧にこなしていく。


しかし心の片隅では、家に残してきた娘のことが気がかりだった。


一方、若者たちの祭りは全く違う様相を見せていた。


「ガレス様、あっちに綺麗な飴細工が!」


マヤが興奮した声を上げる。


「射的もやりましょうよ!」


ユナも負けじと提案する。


「兄さん、腹減った」


アルマが遠慮なく言い放つ。


ガレス・エアは、三人の少女に囲まれて街を歩いていた。同期の男たちが羨望の眼差しを向けてくる。


「おい、ガレス。随分と楽しそうじゃないか」


からかいの声が飛ぶ。


「金持ちの息子はいいよな」


その視線が語っている。色とりどりの女の子を引き連れて祭りを回る権力者の息子――そう見えているのだろう。


しかしガレス本人は、初日でもうげっそりしていた。


きつい。


昔から女の子と遊びに行きたいと思っていた。でも、こんなに突然すぎる。モテ期の到来が嵐のようだ。悪い気はしないはずなのに、奇妙な失恋の後では気分が微妙に盛り上がらない。


「楽しいね」


顔には出さず、なんとか喜んでいる風を装う。疲れた笑顔を浮かべながら、また次の屋台へと引きずられていく。


そして、祭りの喧騒から完全に離れた場所に、もう一組の父娘がいた。


メルベル・ボムは全ての公式行事をボイコットしていた。


単身で敵の本拠地に突撃し、首領と仲間を殺戮してきた神殿戦士の象徴。当然、何か話してくださいという要請は山ほどあった。しかし彼は、怪我と安静を理由に全て断った。


「そんなこと、俺が言って何が変わるんだ?」


独り言のように呟く。


戦いが終われば、戦士は家に帰る。エクリスは敵だったが、いい歌を残してくれた。その通りだ。


隣を見れば、小さな頭頂部。金髪が陽光を受けて輝いている。自分の娘だ。


全く、遠くまで来たものだ。


二十歳の頃、傭兵として汚れ仕事をこなし、人生に疲れ切っていた自分が、今の光景を見たら何と言うだろうか。


生きてりゃいいことあるぞ――そう言ってやりたい。


「パパ、あれ」


ニイナが手を引いて、屋台を指差す。塩と油の塊のような串焼き。隣には甘すぎる色をした飲み物。


「ああ、買ってやる」


財布を取り出し、娘の欲しがるものを次々と買い与える。道中の大道芸人には小銭を投げる。まるで普通の父親のようだ。いや、今はもう普通の父親なのだ。


ニイナは満足していた。


これが十三年前に受け取るべきだった日常。全能の父に構ってもらい、街を歩く。夢にまで見た光景が、現実として目の前に広がっている。


しかし同時に、変化も感じ始めていた。


安心感と恍惚に、慣れ始めている。毎日の麻薬も、使い続ければ幸福感が日常になる。昔は夢で見るだけだった妄想の世界が、今は当たり前の日常になっていく。


幸せに、慣れてきている。


そうだ、焦らなくてもいい。父はいつでもいる。手を伸ばせばそこにいる。もう心配しなくていいんだ。


「美味しい?」


メルベルが優しく聞く。


「うん」


短い返事。でも、その一言に全ての満足が込められていた。


街の喧騒が二人を包む。笛と太鼓の音が遠くから聞こえてくる。人々の笑い声、子供たちの歓声。平和な祭りの音。


メルベルは娘の手を握りながら思った。これでいい。これが自分の求めていた生活だ。


ニイナも父の大きな手を握り返しながら思った。これが自分の世界。他には何もいらない。


祭りの初日が、ゆっくりと暮れていく。


それぞれの場所で、それぞれの祭りが続いている。政治家たちの祭り、若者たちの祭り、そして父と娘だけの静かな祭り。


夕焼けが街を金色に染め上げる頃、ニイナは初めて感じた。


焦る必要はないのだと。父はもう、どこにも行かないのだと。


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