第八十四話「それぞれの思惑」
ナブ・エアの家で、アルマ・エアは自室のベッドに寝転がりながら考えを巡らせていた。
なるほど、なるほど。兄と血が繋がっていない。
ショックな内容のはずだが、何事にも良い面と悪い面がある。通りで、と思うところもあった。小さい頃から大好きな兄。他の女の子の話を聞いて、自分の兄への感情は変なのかなと思ったこともあった。
これで全部氷解した。
血が繋がっていないなら仕方ない。いわゆる本能というやつだ。
つまり――
アルマの唇に悪戯っぽい笑みが浮かぶ。
ガレス・ボムの家に行っても誰も咎めない。聖火祭で兄と一緒に行動しても、それは「妹だから」なんてことはない。血が繋がっていないのだから。
大変結構じゃないか。
兄の恋は始まる前から玉砕。道を踏み外す前に終わった。逆に言えば、あの空から降ってきた星屑姫みたいなニイナに対して、劣等感を抱く必要もなくなったわけだ。
いやぁ、これで助かった。
さらに計算は続く。
ニイナ――あの少女の生き方が大体察しがついてきた。能力はメルベル様とアジョラ様の娘だけあって化け物級だが、心は幼い。まだ十分に父親からの愛を受け取れていないから、その段階で止まっているのだ。
しばらくの間は、あの緊急時にしか輝かない父親にべったりとくっついて離れないだろう。そして兄の話を聞く限り、彼女は父親との時間を確保するために兄が邪魔なのだ。
この点で、私とニイナの利害は一致する。
私が兄を連れ回そうとするのを、彼女は支援するはずだ。
「クックック……」
アルマの口から悪巧みの笑い声が漏れた。
居間では、両親が話していた。
「案外あっさり受け入れたな」
ナブがホッとしたように言う。
「そうね」
リーナは曖昧に答えながら、内心で思った。
女はいつも戦っているわね……
一方、メルベル・ボムの家では――
「はぁっ!」
ガレスの木刀が空を切る。メルベルは軽々とそれを避け、息子の脇腹に自分の木刀を当てた。
「まだまだだ!」
当たれば昏倒しかねない危険な修行だが、メルベルは器用にこなしている。この年齢になると、ガレスも以前の練習が幸いして、父の動きについて来れるようになってきた。
打ち伏せられても、すぐに起き上がる息子の姿。
「まだまだ!」
その姿は、かつて自分の父が見た光景を思い起こさせる。
人生生きていて良かった。
父は自分が十歳になる前に死んだ。本当は一緒にこの光景を見たかっただろうに。そんな寂寥感を感じつつ、メルベルは息子を慎重に育てていく。
その光景を、ニイナは屈辱に震えながら見ていた。
「私の方が――」
その言葉が出かけると、アザリア・イシュタルが叱る。
「女だてらに剣など振り回すものではありません」
そして巫女として、家庭の女としての仕事を教え始める。
お茶のカップの持ち方。ホストマザーとしてのお茶会の振る舞い。貴婦人としてのマナー。屋敷の奥様としての修行。
ニイナにとっては、一度見れば覚えられる簡単なことばかり。一人で旅した時は全て自分でやった。今更何を、という思いしかない。
「女として男を立てる心得も学びなさい」
アザリアの言葉に、ニイナの額に青筋が浮かぶ。
空いた時間には、父はあの愚弟を鍛えるのに夢中。せめて近日に迫っている祭りで父を独占できなかったら――
家の住人を殺しそうだ。
そんな思いを必死に押し殺しながら、とにかく父に寝かしつけてもらわなければ頭がおかしくなる、と内心で叫んでいた。
その鬼気迫る表情を見て、アザリアも内心でビビっていた。
この娘も、まだ公表していないが、そろそろ公然の事実となりつつある身分を世間に知らせれば貴婦人になる。精神的にまだ幼いのも分かっている。
メルベルに気の済むまで娘の面倒を見させて、満足するのを待った方がいいか?いや、永遠に満足しない気もする。
夜、夫婦の寝室で相談した。
「娘があなた抜きで生きられるようになるか心配なの」
メルベルは自信満々に頷いた。
「安心しろ。ニイナが俺に甘えたがっているのは分かっている」
そして、ある本を取り出す。安っぽい子育て教育論の本だった。
アザリアは一瞬、もうダメかも、と思った。
「見ろ、ここだ」
メルベルが指差したのは、父親愛・母親愛に関する章だった。
「子供は小さい頃に深く異性の親を愛してしまうことがある。これは自然なことだ」
メルベルは真剣な顔で続ける。
「ガレスはナブに育ててもらったが、ニイナはこれからだ。まだニイナは心は四歳程度。親の愛を受け始めて間もない。体が大人だから奇妙に見えるが、いつかは俺という親が全能でないことが分かってくる」
そして優しく妻の肩を抱いた。
「親の都合、時間や経済的理由でわがままが通らないこと。子供はそうやって徐々に精神力を鍛えていく。ニイナはまだ幼いんだ。でも賢い。すぐに落ち着く。心配するな」
アザリアは本をパラパラとめくる。誰でも言いそうなことが書いてあるが、彼なりに育児について真剣に考えているのだろう。
自分も初めての子育てということになる。結局は試行錯誤して、あの大きな子供たちと一緒に成長するしかないのだろう。
とはいえ――
ニイナにとっての父親の全能感がいつ薄れるのか、甚だ疑問だった。




