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第八十三話「父と息子と嫉妬」



メルベルは落ち着かなかった。


庭に出たり、居間に戻ったり、また玄関を覗いたり。まるで初めて親になる男のような挙動だった。いや、ある意味では正しい。十五年ぶりに、本当の意味で息子を迎えるのだから。


ナブから連絡は来ていた。『そっちに向かわせたから』と。


今まで我慢していたことが、諦めていたことが、全て現実になる。他所様の子供だからできなかったことが、ようやくできる。いや、少しはフライングしていたが――あの剣の修行は緊急時の師匠としてだった。これからは違う。


本当の父として。


「自分が小さい頃は何をしたっけ?」


メルベルは独り言を呟きながら、庭に藁人形を設置し始めた。日曜大工で土台を組み立てる。釘を打つ音が響く。


「ナブには申し訳ないが……いや、でも無茶はしない。剣の修行と、あと法力の練習も!」


ガレスは電撃の法力を使っている。今から炎に変えるか?いや、それは意味がないか。でも親子で同じ属性というのも――


「何やってるのよ、あなた」


アザリア・イシュタルが呆れた声をかける。


「打ち込み練習用の人形だ。どこの家庭にもあるだろう?」


「ないわよ」


「戦士の男親なら普通だ。なければおかしい」


メルベルは譲らない。ここは俺の家だ。息子のために何をしても――


その様子を、ニイナが忌々しげに見つめていた。


恐れていた事態だ。


あの愚弟が家に来れば、確実に父との時間が減る。いや、消失する危機だ。どうやって排除してやろうか。


アザリアはすぐにその視線に気づいた。


「お父さんが悲しむから、本当にやめて」


ニイナは振り返る。この新参の母親に向かって、冷たい声で言った。


「どうせ鍛えても私の方が強いのよ。あっちを鍛えて意味ある?私の方を鍛えるべきでしょう?」


「お父さんはね」


アザリアが静かに諭す。


「色々我慢してここまで来たの。小さい時から我慢、我慢。私と結婚して、あなたが生まれて、攫われて。息子は預けて。やりたいことが山積みなのよ」


そして、きっぱりと。


「お父さんはあなただけのものじゃないわ」


ニイナの青い瞳に、怒りの炎が宿った。母親を睨みつける。


おのれ!我慢はこっちも同じだ!


声には出さなかったが、心の叫びは激しかった。父の温かい手と声は私のものであるべき!十五年越しの弟など要らない!


アザリアは娘の激情を見透かしたように、柔らかく提案した。


「そんなことより、お菓子でも作ってあげたら?その方がお父さんの気を引けるわよ。本をあげるから、作ってみない?」


母の狡猾な転換に、ニイナは一瞬考えた。確かに、直接的な妨害より、そちらの方が――


玄関のドアが開く音がした。


「来た!」


メルベルが金槌を放り出して、玄関に走る。どたどたと大きな足音が響く。


「息子を迎えるのは俺だ!」


ガレスは玄関に入ってすぐ、飛び出してきた男と目が合った。師匠――いや、父。


かなりの違和感があった。でも、言わなければ。


「父上」


その一言で、メルベルの目に涙が浮かんだ。


「ガレス!俺の息子!」


がしっと抱きしめられる。大きな腕が、十五年分の愛情を込めて息子を包み込んだ。


「やっと……やっと言ってもらえた」


メルベルがしみじみと呟く。


その光景を、廊下の影からニイナが見ていた。


ギリギリと歯を食いしばる音が聞こえそうなほど、少女には似つかわしくない恨みがましい目で、父と弟の抱擁を睨みつけていた。


私の父が、私の巨人が、他の誰かを抱いている。


許せない。


「姉さん」


ガレスが顔を上げて、ニイナを見つけた。複雑な表情で呼びかける。


「……なに」


冷たい返事。


「その……よろしく」


ガレスの顔が赤くなる。つい昨日まで恋していた相手を「姉」と呼ぶ違和感と恥ずかしさ。


ニイナは無表情のまま値踏みするような視線を向けた。


「弱いわね」


一言だけ。


「私の弟なら、さっさと強くなって。話はそれからよ」


そして踵を返した。


「パパ、リュートの続き教えて」


「お、おう。でもガレスも来たし――」


「今すぐ」


有無を言わせぬ口調だった。


メルベルは困った顔で息子と娘を見比べる。


「じゃあ、三人で――」


「二人がいい」


ニイナの声は氷のように冷たかった。


アザリアが間に入る。


「ニイナ、ちょっとお茶を淹れるのを手伝ってちょうだい……」


「私も一緒にやる」


ニイナが食い下がる。父を独占させるわけにはいかない。


「お、おう!そうか、みんなでやるか!」


メルベルが間抜けなほど喜んだ。息子と娘、両方と一緒に剣の稽古ができるなんて、夢のようだ。


「よし!一緒にやろう!」


目を輝かせる父に、アザリアが冷水を浴びせる。


「最初からそんな物騒なことしてないで、とりあえずお茶でも飲んでからにしなさい」


厳しい顔で睨まれ、メルベルはしゅんとなった。


「はい……」


その時、アジョラが廊下から顔を出した。祖母は家の雰囲気を敏感に察知して、微妙な表情を浮かべる。


「何か妙にギスギスしてる家になっちゃったわね……」


小さく呟く。


やっぱり向こうに預けたままの方が良かったかしら。息子の幸せそうな顔を見れば、それが正解だったとは思えないけれど。


ガレスは立ち尽くした。実の姉からの複雑な視線。昨日まで想いを寄せていた相手が、今は姉として目の前にいる。


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