第八十二話「崩壊する世界」
ナブ・エアの家の居間で、ガレス・エアは石のように固まっていた。
口から魂が抜け出していくような感覚。何度聞き返しても、言葉の意味が頭に入ってこない。
「もう一度……もう一度言ってください」
震える声で懇願する。
「ガレス」
ナブが重々しく口を開く。
「お前の本当の両親は、メルベル・ボムとアザリア・イシュタルだ」
「いやいやいや……」
ガレスは頭を抱えた。
「数時間前にいた、あっちの家の人たちが……血が繋がってる?俺は義理の息子?」
混乱する頭で必死に整理しようとする。じゃあ、ニイナは……
「父さん……いや、父さんでいいんですよね?母さんも?」
「もちろんだ」
リーナ・エアが優しく答える。
「私たちはずっとあなたの両親よ」
ふと横を見ると、アルマが退屈そうに土産の甘菓子を頬張っていた。
「ちゃんと話を聞きなさい」
リーナが娘を叱る。
「アルマ、お前知ってたのか?」
「一日前くらいにね」
妹はあっけらかんと答えた。
「随分落ち着いてるな」
「そう?いやいや、すっごいびっくりしたわよ。でも、思い出が消えたわけでもないし……」
確かにそうだ。十五年間の記憶は確かにここにある。でも――
「父さん、僕はどうなるんですか?」
ナブが咳払いをした。
「もう大きくなったし、お前の……その、手紙のことも聞いたから、まずいなと思ってな」
頭痛が酷くなってきた。
「アルマの奴、しゃべりやがったな!」
ガレスが妹を睨みつける。
「私はむしろお手柄よ」
アルマは胸を張った。
「兄さんが道を踏み外す前に、ちゃんと修正してあげたんだから」
そして、とどめの一撃。
「そういうわけで、ガードを……ええっと、お姉ちゃんにする夢は諦めた方がいいわよ」
どかっ。
ガレスは机に突っ伏した。
何もかも信じられない。恥ずかしすぎる。ショックのはずなのに、なぜこんなに混沌としているんだ。
実の姉に恋をしていた。
一年間、ずっと想い続けていた相手が、血を分けた姉だった。
「ガレス」
ナブが息子の肩を抱いた。大きな手が、震える肩を包み込む。
「俺はお前の父。リーナはお前の母。アルマはお前の妹。それは変わらない」
「でも……」
「次に会う時は、メルベルのことは『父上』と呼んでやれ。アザリア様にも『母上』と」
父上。母上。
その言葉が、現実として重くのしかかってくる。
「そういえば」
アルマが呑気に口を開く。
「今度の聖火祭、誰と行くの?まだお姉ちゃん誘う?」
パシッ。
リーナが娘の頭を叩いた。
「いい加減にしなさい」
「痛っ!何よ、ちょっとした冗談じゃない」
「かわいそうでしょ」
ガレスは顔を上げた。目が赤い。
「じゃあ、ニイナは……僕の実の姉で、僕は彼女の実の弟」
「そうだ」
ナブが頷く。
「十五年前、ニイナが誘拐された時、まだ赤ん坊だったお前を守るために、俺たちが預かった」
「それで、アルマと双子として……」
「敵に狙われないようにな」
理屈では理解できる。でも、心が追いつかない。
あの金髪の美少女。リュートを奏でる天使のような姿。初めて会った時から、心を奪われていた。それが、実の姉だったなんて。
「恥ずかしい……」
ガレスが呟く。
「ラブレターまで書いて、プレゼントまで用意して……」
「まあ、知らなかったんだから仕方ない」
リーナが慰める。
「でも、これで分かったでしょ?早めに真実を知れて良かったのよ」
「良かった……のかな」
ガレスは天井を見上げた。
十五年間の嘘。いや、嘘じゃない。愛情は本物だった。育ててくれた両親への感謝は変わらない。
でも、初恋の相手が実の姉だったという事実は、どう受け止めればいいのだろう。
「兄さん、大丈夫?」
アルマが心配そうに覗き込む。さっきまでの軽口とは違う、本当の心配が滲んでいた。
「……分からない」
正直な気持ちだった。
「でも、アルマ」
「何?」
「お前はずっと俺の妹だ。それは変わらない」
アルマが少し照れたように笑った。
「当たり前じゃない。血が繋がってなくても、十五年も一緒にいたんだから」
そうだ。家族の形は変わっても、絆は変わらない。
でも、ニイナへの想いはどうすればいいのだろう。この胸の痛みは、どう処理すればいいのだろう。




