第八話「不吉な予兆」
深夜、メルベルは突然目を覚ました。
久しく見なかった予知夢が、再び彼を訪れていた。しかし、今回の夢は今までとは違っていた。
白い。あまりにも白い光が、視界を埋め尽くしている。まるで太陽の中にいるような、強烈な輝きの中で、メルベルは剣を握っていた。手の感触は生々しく、これが夢だとは思えないほどリアルだった。
目の前に、一人の少女が立っている。
黒い、細身の甲冑。そのデザインは、ギシュガルのものによく似ていた。金髪が甲冑の隙間から流れ出し、碧い瞳が冷たく光っている。
(アザリア……?いや、違う)
顔立ちは確かにアザリアに似ている。しかし、その表情には見たことのない憎悪が宿っていた。少女の手にある剣も、メルベルの流派のものに酷似している。
「父の仇!」
少女の声が響いた。アザリアによく似た、しかしもっと若い声。
黒い炎が少女の剣を包む。ギシュガルが使っていたのと同じ、あの恐ろしい技だ。
メルベルは反射的に剣を構えた。少女の攻撃は鋭く、容赦がない。一撃一撃に殺意がこもっている。
(勝てる。俺なら、この子の首を……)
しかし、剣を振る腕が鈍る。なぜか、決定的な一撃を加えることができない。
「死ね!」
少女の剣が、メルベルの肩に深い傷を刻む。血が噴き出し、激痛が走る。夢とは思えない痛みに、メルベルは我を忘れた。
反撃の剣が、少女の手首を捉えた。
鈍い音と共に、細い手首が宙を舞う。
「ああっ!」
少女の苦悶の叫び声が、耳を劈く。アザリアの声によく似た、その悲鳴に、メルベルの心臓が凍りついた。
少女が振り返る。その碧い瞳に宿る、純粋な憎しみ。まるで全存在を否定されたような、深い恨みの眼差し。
「うわあああっ!」
メルベルは叫び声を上げて飛び起きた。全身が汗でびっしょりと濡れている。心臓が早鐘のように打っていた。
「メルベル!」
隣でアザリアが心配そうに顔を覗き込んでいる。彼女の手が、優しくメルベルの額の汗を拭った。
「大丈夫?すごくうなされていたから、起こそうと思って……」
「ああ……大丈夫だ」
メルベルは荒い息を整えながら答えた。しかし、手の震えは止まらない。
「予知夢?」アザリアが不安そうに聞いた。「また何か悪いことが?」
「いや……」メルベルは首を振った。「ちょっと、よく分からない」
あの少女は誰だったのか。なぜアザリアに似ていたのか。そして、なぜ自分を「父の仇」と呼んだのか。
(昨日、劇場で見た芝居のせいかもしれない)
メルベルは自分に言い聞かせた。確かに昨夜見た演目は、親子の復讐劇だった。それが夢に影響したのかもしれない。
「本当に大丈夫?」
「ああ、心配するな」
メルベルはアザリアの頭を撫でた。しかし、胸の奥の不安は消えない。
朝になった。
食堂では、ニイナがよたよたと歩き回っている。まだ覚束ない足取りだが、一生懸命に歩こうとする姿が愛らしい。
「ばあば!」
ニイナがアジョラに向かって手を伸ばす。アジョラの顔が、とろけるような笑顔になった。
「はい、ニイナちゃん。ばあばと遊びましょうね」
アジョラは積み木や人形を取り出して、孫とのおままごとに夢中になっている。その姿は、かつて神殿を統べた厳格な聖女とは別人のようだった。
「おはよう、母さん」
メルベルが声をかけるが、アジョラは振り向きもしない。
「ああ……」
生返事だけして、すぐに孫との遊びに戻ってしまう。ニイナの金髪と碧い瞳を、まるで宝物のように見つめている。
アザリアが苦笑しながらメルベルに囁いた。
「息子とできなかった分の反動かしらね。26年分の母性愛が、全部ニイナに向かってるみたい」
メルベルも苦笑する。しかし、少し心配になった。
聖火の力で老化が止まっているため、アジョラとアザリアは見た目がほとんど変わらない。並んでいると、どちらが母親でどちらが祖母なのか分からないほどだ。
(これ、大丈夫かな……)
「母さん」メルベルは声をかけた。「ニイナに朝ごはん食べさせないと」
「あら、そうね」アジョラは嬉しそうにニイナを抱き上げた。「じゃあ、ばあばと一緒に食べようね~」
まるで自分の娘のように、愛おしそうに抱きしめている。その様子を見て、アザリアも少し複雑な表情を浮かべた。
(これ、どうなんだろう……)
しかし、アジョラがこんなに幸せそうなのも久しぶりだ。今は黙って見守ることにした。
朝食の席で、メルベルは夢のことを考え続けていた。
あの少女の憎しみに満ちた眼差しが、脳裏から離れない。単なる悪夢だと思いたいが、今までの予知夢の的中率を考えると、不安が募る。
「パパ!」
ニイナが無邪気に笑いかけてくる。その笑顔を見て、メルベルは少し心が和んだ。
(この子を守らなければ)
しかし、夢の中の少女も、金髪で碧い瞳だった。まるで、成長したニイナのように……。
メルベルは首を振って、不吉な考えを追い払った。
「さあ、ニイナ。ご飯を食べようか」
平和な朝食の時間が流れていく。しかし、メルベルの心の奥底では、小さな不安が芽生え始めていた。




