第七十三話「十三年分の子守唄」
メルベルの家の前に立つと、懐かしい音色が聞こえてきた。
リュートの調べ。低く優しい歌声。『孤独な戦士の子守唄』だ。
「やっぱりそうなるよな」
ナブとリーナは顔を見合わせて苦笑した。手には上質な酒の瓶が数本、それに肴のチーズと干し肉。戦いの労いと、家族の再会を祝うささやかな贈り物だった。
「いらっしゃい」
アジョラが玄関で出迎える。相変わらず品の良い笑顔だが、どこか安堵の色が滲んでいた。
「今回のこと、本当におめでとうございます」
ナブが言うと、アジョラは深く頭を下げた。
「これもあなた方のおかげです。なんと言っていいのか……」
「メルベルもこれで本当に肩の荷が下りたでしょう。それにしても、演奏が上手ですね」
居間に入ると、予想通りの光景が広がっていた。
大きなソファーにメルベルが座り、リュートを抱えて歌っている。その太い腕の中には、安らかな寝息を立てるニイナ。金色の髪が父の胸に広がり、完全に脱力して眠りこけている。
そしてその隣には、明らかに不機嫌そうなアザリアが座っていた。
「あら、ナブ」
アザリアが振り返り、大きくため息をつく。
「耳にタコができたわよ」
どうやら『孤独な戦士の子守唄』の連日公演が開催されているらしい。
「十三年分の子守唄を歌わされてるってわけ」
メルベルが苦笑しながら説明する。手は休めない。歌も止めない。娘が目を覚ましてしまうから。
「子守唄を十三年分は……どう多く見積もっても、せいぜい子守唄で喜ぶのは七歳かそこらでしょう。十三年は長いですよ」
ナブが常識的な意見を述べるが、アザリアは首を振った。
「いや、確実に十三年分。それを過ぎても『歌え』って言うはずよ」
憮然とした表情で、娘の寝顔を横目で見る。母としての複雑な感情が顔に出ていた。
リーナは黙ってニイナの顔を見つめていた。牢獄にいた頃の、あの虚ろで冷たい表情はどこにもない。今はただの、父に甘える普通の少女の顔だった。いや、普通以上に幸せそうな顔。まるで別人のようだ。
メルベルは歌い続ける。最後の一節まで丁寧に歌い上げると、そっと娘の様子を窺った。熟睡している。安心したように、ようやく顔を上げる。
「よく来てくれたな」
「なんだか動けなさそうだな」
ナブが笑うと、メルベルは困ったような顔をした。
「起きると怒るからな……だがもう大丈夫だ。部屋に運ぶよ」
慎重にニイナを抱き上げる。少女は完全に脱力したまま、父の腕の中で安心しきっている。メルベルは静かに二階へ上がっていった。
しばらくして降りてきたメルベルは、心からの感謝を込めて言った。
「ナブ、本当にありがとう」
「おめでとう、メルベル。戦いは終わりだ」
「イザベラがまだ生きているという話もあるが」
メルベルの表情が少し曇る。娘を育てた女、そして毒を盛った女への複雑な感情が滲む。
「奴には組織力がない。できて都で詐欺とか売春の元締めが関の山だ。もう、今までのような戦いにはならない」
ナブの言葉に、メルベルは小さく頷いた。
アザリアがワインのコルクを抜きながら言う。
「とりあえず飲みましょう。戦いの終わりと、家族の再会に」
グラスが配られ、深い赤のワインが注がれる。リーナが持参したチーズを切り分け、干し肉を皿に並べる。
「乾杯」
グラスが触れ合う音が、静かな夜に響いた。
アジョラが微笑みながら言う。
「これでようやく、普通の家族になれるのかしら」
「普通、ねぇ」
アザリアが皮肉っぽく笑う。視線は二階へ向けられている。あの部屋で眠る娘のことを思っているのだろう。
メルベルは酒を一口飲んで、深く息をついた。
「十三年……長かった」
「でも取り戻せた」
リーナが静かに言う。
「これから、あなたの思い描いた家族になれるわ、時間をかけて取り戻せるのよ」




