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第七十話「誤解と抱擁」



白い天井が視界に広がった。


ニイナはゆっくりと瞼を開ける。消毒薬の匂い。清潔なシーツ。窓から差し込む柔らかな光。病室だった。


「目を覚まされましたね」


看護師が微笑みながら近づいてくる。その後ろに医師が数人控えていた。


「お名前を教えていただけますか?」


医師の問いに、ニイナは少し考えた。もう嘘をつく必要はない。イザベラ・カーカラシカの娘である必要もない。


「ニイナ・ボム」


医師が書類に目を落とし、眉をひそめる。


「ん?ニイナ・カーカラシカのはずですが……」


「今お名前を間違えられました。混乱されていますね?」


別の医師が心配そうに覗き込んでくる。ニイナは静かに首を振った。


「前の名前は、ニイナ・カーカラシカでした」


医師たちが顔を見合わせる。一人が瞳孔を確認し、脈を測り始めた。認知機能の検査だろう。


「誕生日を教えてください」


ニイナは困った。イザベラが教えた誕生日など、きっと嘘だ。本当の誕生日など知らない。いや、そもそもイザベラは誕生日など教えなかった。あの書類に書かれていた日付だろうか。


「4月15日」


医師が満足げに頷く。そのやり取りを聞いていた別の医師が慌てて耳打ちする。何か重要な情報が伝えられたらしい。


「あぁ、なるほど」


医師の態度が変わった。敬語になる。


「ニイナ様、失礼いたしました。お父様のお名前は?」


「メルベル・ボム」


「はい、結構です。気分はいかがですか?」


「何も……いい気分」


事実だった。全てがうまくいった。私は褒美を得た。父の腕の中で眠る権利を手に入れた。今度こそ夢ではない、完璧な世界を。


ニイナが微笑むと、部屋中の者が息を呑んだ。


「本当に似ている……」


「アザリア様と同じ顔だ……」


誰かがそう呟いた。


扉が開き、メルベルが入ってきた。包帯があちこちに巻かれているが、歩いている。ニイナの心が弾んだ。これから褒美がもらえる。優しく抱きしめてもらえる。


「少し外せ」


メルベルが医師たちに言った。


「すぐに終わる」


医師たちは問題ないと判断したのか、笑顔で部屋を出ていく。娘を救った父親の願いを断る理由もなかった。


メルベルはベッドの横の椅子に座り、ニイナの肩を掴んだ。その手に力が込められている。


「あれ?」


ニイナは違和感を覚えた。これは想像していた再会と違う。


「どうしたの?」


「どうしてあんなことをしたんだ!」


メルベルの顔は厳しく、そして深い悲しみに満ちていた。


「な、なんのこと?」


これは望んだ展開ではない。優しく抱いて欲しかった。許されたはずなのに。


「怒ってるの?」


「あぁそうだ!なぜ学校でじっとしていなかったんだ!なぜ戦場に来た!誰もそんなこと望んでいなかった!」


メルベルの目が真っ直ぐにニイナを見つめる。動揺が広がった。喜んでくれたのではなかったのか。思いつく最大の手柄を……いや、結局イザベラは逃げた。父も怪我をした。意味がなかったのか。そんなはずは。


「私は、ちゃんと戦ったわ……モルガンを殺した……あなたもだから、私を迎えに来たんでしょう?」


声が震えている。


「馬鹿な!」


メルベルが吐き捨てるように言った。ニイナの目に涙が滲む。


「あの時、私を許さなかったじゃない……私を拒絶した……」


学校での出来事。剣を握った父の姿。あの恐怖の表情。


「違う!違うんだ!」


突然、メルベルがニイナを抱きしめた。力強く、でも優しく。壊れ物を扱うように。


「もう二度とあんなことはしないでくれ!」


その言葉の意味は、ニイナにはよく分からなかった。だが一つだけ確かなことがある。父は私を受け入れた。拒絶しなかった。


細かいことは構わない。モルガンの死も、イザベラの逃走も、どうやら関係なかったらしい。でもそんなことはどうでもいい。結果として、父はこの温かい腕で私を抱きしめてくれている。


他のことはもういい。もう何もいらない。


ニイナは父の大きすぎる体に細い腕を回し、静かに目を閉じた。夢の中で感じた温もりよりも、ずっと熱い。ずっと大きい。他の人間とは明らかに違う、圧倒的な生命力。血の繋がりが教えてくれる、これが本物の父親なのだと。


ずっとこのままで。永遠にこのままで。


十三年の嘘が剥がれ落ち、ようやく本当の居場所に辿り着いた。

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