第六十四話「父の暴走」
エリドゥの掃討戦は、まるで演習のように整然と進んでいた。
「前進! 隊列を乱すな!」
号令と共に、神殿軍がじりじりと前進する。十五年前のような地獄絵図は、もはやどこにもない。散発的な抵抗はあるが、組織だった反撃は皆無だった。
時折、血気にはやった新兵が飛び出そうとする。
「馬鹿野郎! 死にたいのか!」
ベテランの拳が新兵の頭を叩く。涙目になりながらも、新兵は列に戻る。そうやって、戦線は一糸乱れず前進していく。
負傷者が出れば速やかに後送され、新たな部隊が投入される。まるで巨大な機械のように、軍は土地を飲み込んでいく。
メルベルは本陣で地図を眺めながら、しかし、頭の中は別のことでいっぱいだった。
――あの時の、娘の表情。
学校の訓練場。木刀を手にした娘が、こちらに走ってきた。そして、立ち止まった。あの瞬間、自分は何をした? 腰に手を回し、剣の柄に触れた。警戒した。恐れた。
「……馬鹿な真似を」
小さく呟く。
娘は何を考えていたのだろう。殺気はなかった。むしろ、何か別の――期待? 希望? そんな感情が、あの青い瞳に宿っていたような。
もしかして、アザリアの言う通り、社会性を身につけていたのか。自分に何かを伝えたかったのか。ひょっとして……「お父さん」と呼ぶ準備が?
「いや、待て」
メルベルは頭を振った。
「木刀を持っていたじゃないか。あれは……いや、単に練習中だっただけか?」
混乱する思考。後悔が胸を締め付ける。
「俺は、娘を傷つけたのか?」
戦場で、こんなことを考えている場合ではない。自分の指示で部隊が動く。失敗すれば部下が死ぬ。集中しなければ。
「くそ……アザリアの言う通りにしていれば」
妻には、きっと計画があったはずだ。適切な時期に、適切な形で再会させる計画が。それを、自分の我儘で台無しにした。
「メルベル様」
副官が入ってきた。
「報告があります。特殊部隊が――」
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一方、ナブの元には、別の報告が上がっていた。
「モルガンを討ち取ったと?」
「はい!」
特殊部隊の隊長が、袋に包まれた首を差し出す。
ナブは中を確認した。白髪の老人の首。なぜか笑みを浮かべている。
「よくやった! 損害は?」
「ありません。完璧な勝利です」
「素晴らしい」
ナブは部下たちを労った。これで残る幹部はイザベラのみ。勝利は目前だ。
「しかし……なぜこいつは笑っているんだ?」
「さあ……死ぬ瞬間も実験のことを考えていたのでは」
隊長が肩をすくめる。
「研究所は押さえたか?」
「いえ、まだです。機材が大量にありました。巫女の方に見てもらった方が」
「そうだな。数百年分の研究成果だ。早急に確保しよう」
ナブが指示を出そうとした時、隊長が口を開いた。
「それと、その首についてですが……実は、我々が倒したのではありません」
空気が凍りついた。
「……何だと?」
「別働隊の、巫女の剣士が現れまして。モルガンと護衛を瞬殺しました」
嫌な予感が、ナブの背筋を駆け上がる。
「どんな姿だった?」
「金髪で、青い瞳の若い女でした。いえ、少女と言った方が……名前はニイナと」
瞬間、ナブの顔が青ざめた。
「メルベルには報告したか!?」
「は、はい。副隊長が今頃――」
ナブは通信の法石を掴んだ。メルベルに繋げと叫ぶ。
だが、出たのは副官だった。
「メルベル様は――」
「どこだ! メルベルはどこにいる!」
「そ、それが! 先ほどから姿が見えません! 指揮系統が混乱して――」
ナブは机を拳で叩いた。
「あの野郎! また単独行動か!」
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その頃、メルベルは本陣を飛び出していた。
副官からニイナの報告を聞いた瞬間、頭が真っ白になった。娘が戦場にいる。それも単独で、モルガンを殺して、次はイザベラを狙っている。
「なぜ……なぜこんなところに」
理由は分からない。だが、今はそれどころではない。
ここは敵地だ。ルカヴィもアンデッドもうようよいる。味方の誤射だってありうる。戦場での単独行動は死を意味する。
「くそっ!」
メルベルは部下たちを振り返った。
「その少女を見つけたら、絶対に保護しろ! 傷つけるな! 逃がすな!」
そう叫んで、駆け出した。
「メルベル様! 指揮は――」
副官の声も聞こえない。指揮官の責務など、今はどうでもいい。娘の命には代えられない。
イザベラの居場所は分かっている。最奥部、聖火の祠近くの砦。まだ神殿軍が到達していない、最後の聖域。
「間に合え……間に合ってくれ」
メルベルは全速力で走った。炎の法力を使い、障害物を焼き払いながら進む。
途中、アンデッドの群れに遭遇した。
「邪魔だ!」
赤い炎が爆発的に広がり、死者たちを灰にする。立ち止まる暇はない。
副隊長の報告が頭の中で響く。――ニイナはイザベラを殺しに行くと言っていた。
「イザベラ……」
その名を呟く。イザベラがいるのは、この軍の最終目的地。最奥の聖火の祠がある場所、その近くの古い砦のはずだ。
メルベルの胸が締め付けられる。そこは、娘が十三年間囚われていた場所。悲惨な教育と洗脳を受け続けた、地獄のような場所。
「なぜ……なぜそんな場所に」
信じがたい事態だった。娘が、自らあの忌まわしい場所へ戻ろうとしている。
「くそっ!」
メルベルは更に速度を上げた。誰よりも早くあの場所へ辿り着き、娘を保護しなければ。そして無事に連れ戻さなければ。




