第六話「偽りの真実」
朝霧が晴れ始めた頃、都の中心にある議会堂は異様な緊張感に包まれていた。石造りの重厚な建物の前には、すでに数百人の市民が集まり始めている。今日、神殿から重大な発表があるという噂が、昨夜のうちに都中に広まっていたのだ。
議会堂の大広間では、すでに議員たちが席についていた。普段は退屈な顔をしている彼らも、今日ばかりは身を乗り出すようにして神殿側の席を見つめている。
「まさか、本当にメルベル殿が来るとはな」
年老いた議員の一人が、隣の同僚に囁いた。
「臆病者として逃げたはずの男が、なぜ今更……」
その時、重い扉が開いた。先頭に立つのはナブとリーナ。その後ろに、深い帽子を被った男が続く。帽子を取ると、そこには確かにメルベル・ボムの顔があった。
議場がざわめく。死んだと思われていた亡霊でも見るような目で、議員たちは彼を見つめた。
議長のガブリエル・ローレンスが立ち上がった。白髪の威厳ある老人は、かつてアジョラとアザリアの罷免を宣告した張本人である。
「メルベル・ボム殿……まさか生きておられたとは」
議長の声には、驚きと共に幾分かの警戒が滲んでいた。
「議長、そして議員の皆様」ナブが前に出た。「本日、我々神殿より重大な発表があります」
リーナが一歩前に出て、澄んだ声で宣言した。
「これより申し上げることは、すべて真実です。アジョラ様、アザリア様、そしてメルベル殿は、実際には名誉ある方々でした。彼らが汚名を被ったのは、すべて敵の謀略によるものです」
議場が騒然となる。議長が木槌を打ち、静粛を求めた。
「続けなさい」
ナブが深呼吸をして、準備していた説明を始めた。
「我々神殿は、内部に潜む裏切り者をあぶり出すため、あえて皆様に真実をお伝えしませんでした。これは苦渋の決断でした」
「なんと……」
議員たちのざわめきが大きくなる。議長が眉をひそめた。
「つまり、議会を欺いていたということですか?」
メルベルがゆっくりと前に出た。彼の顔は疲れているが、その目には静かな決意が宿っていた。
「議長、申し訳ございません。しかし、これは必要な作戦でした」
メルベルの低い声が、広間に響く。
「私は、敵の幹部エクリスの謀略を逆手に取りました。裏切り者を演じることで、単独でエリドゥ城に潜入し、ギシュガル王を討つことができたのです」
議長の顔が険しくなった。
「メルベル殿、あなたが本当にギシュガルを?」
「はい」メルベルは静かに頷いた。「ただし、公式にはナブ殿の功績ということになっています。これも作戦の一環でした」
議長は深いため息をついた。老いた手で額を押さえながら、苦い声で言った。
「こういうことは……あまり公平ではありませんな。神殿の独断は感心しません」
「おっしゃる通りです」メルベルは頭を下げた。「緊急時とはいえ、議会を蔑ろにしたことは申し訳ございませんでした」
議員の一人が立ち上がった。
「では、アジョラ様とアザリア様の罷免は誤りだったと?」
「その通りです」ナブが答えた。「お二人は、メルベル殿と共に、この作戦のために犠牲になっていただきました」
神殿の幹部たちも、打ち合わせ通りに頷く。ベテラン戦士のバルガスが重い声で言った。内心では顔から火が出るほど恥ずかしかったが、必死に平静を装う。
「実は……我々幹部は、この作戦を了承していました」
議場がさらにざわめく。バルガスは咳払いをして続けた。
「敵を欺くため、ナブ殿とリーナ様への不仲も、すべて演技でした。皆、辛い思いをされたはずです」
巫女のマルタも、頬を赤らめながら証言する。実際には昨日までナブとリーナを本気で憎んでいたのだが、今更それは言えない。
「ええ、その通りです。私たちは……あえて憎まれ役を演じていただきました。ナブ様、リーナ様、本当に……つらかったでしょう」
他の幹部たちも、恥ずかしさで俯きたくなるのを必死に堪えながら、口々に同意の声を上げる。
「そうだ、全て作戦だった」
「演技とはいえ、きつい言葉を投げかけて申し訳なかった」
「お二人の忍耐力には頭が下がる」
ナブとリーナは、幹部たちの苦しい演技を見て、メルベルをちらりと睨んだ。
(これも全部、あいつのやりすぎたイタズラのせいだ……)
ナブは深呼吸をして、自分に言い聞かせる。
(冷静になれ。もう終わったことだ。怒っても仕方ない)
リーナも同じように考えていた。視線はきついが、怒りを抑えようと努めている。
(メルベルさんのせいで、どれだけ泣いたか……でも、もういい。責めても何も変わらない)
二人は真面目な顔で頷く。
「いえ、皆様も辛かったはずです」リーナが優しく言った。「仲間を演技とはいえ非難するのは、心苦しかったでしょう」
幹部の一人が、赤面しながら呟いた。
「ええ、まあ……その通りです」
議長が再び口を開いた。
「では、アジョラ殿とアザリア殿の処遇は?」
ナブが前に出た。
「罷免は取り消していただきたい。ただし、お二人とも心身共に疲れておられます。聖女の権利を正式に譲渡し、名誉ある引退という形でまとめていただければ」
議長は長い沈黙の後、ゆっくりと頷いた。
「分かりました。議会として、その提案を受け入れましょう」
そして、メルベルを見据えて言った。
「メルベル殿、あなたは英雄だ。しかし、このような欺瞞は二度と許されませんぞ」
「肝に銘じます」
メルベルは深く頭を下げた。しかし、心の中では別のことを考えていた。
(これでいい。母さんとアザリアの名誉は回復された。俺のことなど、どうでもいい)
発表が終わり、議員たちが退出し始める中、ナブがメルベルの肩を叩いた。
「やっと終わったな」
「ああ」メルベルは疲れた笑みを浮かべた。「これで俺は帰れる」
リーナが心配そうに聞いた。
「本当に神殿に戻らないんですか?」
「俺の居場所はもうあそこじゃない」メルベルは静かに首を振った。「家で待っている者たちがいる」
外に出ると、広場には大勢の市民が集まっていた。発表の内容はすでに伝わっているらしく、人々の表情は複雑だった。
「メルベル様!」
誰かが叫んだ。
「本当だったんですね!あなたは英雄だった!」
しかし、別の声も聞こえる。
「でも、なぜ我々を騙した?」
「息子たちは無駄死にではなかったのか?」
メルベルは何も答えず、ただ黙って歩き続けた。その背中を、ナブとリーナが見送る。
「行かせてやれ」ナブが呟いた。「あいつはもう十分すぎるほど戦った」
夕暮れ時、メルベルは一人でガルム村への道を歩いていた。懐から取り出したのは、エクリスの楽譜。そこに書かれた『孤独な戦士の子守歌』の一節を、小さく口ずさむ。
「眠れ、疲れし戦士よ……お前の戦いは終わった……」
風が吹き、楽譜のページがめくれる。そこには、エクリスの走り書きがあった。
『真実は歌となり、歌は伝説となる。君の物語を、僕は歌い継ごう』
メルベルは苦笑した。
「皮肉なものだな、エクリス。お前の歌を、俺が歌い継ぐことになるとは」
遠くに、ガルム村の灯りが見え始めた。あそこには、アザリアとアジョラが待っている。そして、まだ生まれぬ子供も。




