第五十九話「少女たちの浅慮」
軍の出発から三日が経過した夜。
ニイナは部屋の明かりを消すと、マヤとユナを呼び寄せた。
「話があるの」
二人は興味深そうに近づいてくる。
「実は……私、メルベル様の娘なの」
沈黙。だが驚きは薄い。二人とも薄々気づいていた。
「やっぱり!」
マヤが目を輝かせる。
「それで?」
ユナも身を乗り出してきた。
「父が戦争に行った。会いに行きたいの」
ニイナは少し声を震わせた。
「一目だけでも、顔を見たい」
「わあ……ロマンチック」
ユナが感動したように言う。まるで物語の主人公のようだと思っているのだろう。
「私も行く!」
マヤが即座に手を挙げた。だが、その目は純粋な興奮だけではない。計算が働いている。
「一人じゃ心細いでしょう?」
そして心の中で続ける。これは千載一遇のチャンス。メルベル様の娘の側近として認められれば、将来は約束されたようなもの。もしかしたら、国の重鎮たちに紹介される場面もあるかもしれない。『こちらは私の忠実な従者のマヤです』なんて。
「でも、大丈夫かな……」
ユナの顔が青ざめていた。
「軍隊って、怖い人たちばかりでしょう?」
この前の剣術訓練を思い出す。あの大男のような教官。ごつい手、傷だらけの顔。ああいう男たちが、本物の剣や銃を持ってぞろぞろ歩いている。
「私……やっぱり残る」
ユナは震え声で言った。
「だって、危険すぎる。戦場なんて……」
「賢明ね」
マヤが内心でほっとしながら言う。ライバルが一人減った。
「じゃあ、ユナは隠蔽工作をお願い」
三人は、計画を立て始めた。それぞれの思惑を胸に。
「服はどうする?」
「洗濯場に、予備の作業着があったわ」
マヤが提案する。下働きの巫女になりすませば、目立たない。そして後で『実は私たちがメルベル様の娘とその従者です』と明かす場面を想像する。皆の驚く顔が目に浮かぶ。
ユナは別の心配をしていた。
「食料は? 水は? もし襲われたら?」
「大丈夫よ」
ニイナが淡々と答える。
「補給部隊に紛れるだけだから」
でも内心では、この二人を適当なところで撒くつもりだった。いや、待て。二人連れの田舎巫女の方が怪しまれないかもしれない。マヤは使えるかもしれない。
「私、やっぱり怖い……」
ユナが震えている。
「あんな怖い人たちの中に入るなんて」
銃を持った兵士、血の匂い、怒号。想像するだけで足がすくむ。
「じゃあ、ユナは残って」
マヤが素早く言う。これで独占できる。
「瞑想修行のことにして、時間を稼いで」
誰も失敗することなど考えていなかった。
メルベル様の娘なら、きっと特別扱いしてもらえる。
父親に会いたいという願いなら、誰も止めないはず。
すぐに戻ってくれば、怒られることもない。
少女たちの甘い考えだった。
「服はどうする?」
「洗濯場に、予備の作業着があったわ」
「それを借りればいいね」
ニイナは内心で別のことを考えていた。
この二人、いや一人か。マヤがついてくる。
適当なところで撒いて、単独行動に移ろう。
いや、二人連れの田舎巫女の方が怪しまれないかもしれない。
補給部隊に紛れ込むには、それらしい格好が必要だ。
「明日の夜明け前に出発しましょう」
ニイナが決める。
「補給部隊がたくさん出る時間帯なら、紛れやすい」
「わくわくする!」
マヤが無邪気に笑う。
「メルベル様にお会いできるかな」
「きっと会えるよ」
ユナも楽観的だ。
「親子の再会なんて、素敵」
ニイナは曖昧に微笑んだ。
本当の目的は違う。手柄を立てること。イザベラかモルガンを殺すこと。
でも、それは言わない。
夜が更けていく。
マヤは興奮で眠れなかった。
「ねえ、メルベル様ってどんな人?」
「優しい人よ」
ニイナは適当に答える。実際、夢の中では優しい。
「背が高くて、大きな手」
「素敵……」
ユナがうっとりする。
三人は小声で話し続けた。
まるで、秘密の冒険に出かける前の子供のように。
危険など考えもしない。
戦場の恐ろしさも知らない。
ただ、特別な体験ができることに心を躍らせている。
ニイナだけが、本当の闇を抱えていた。
楽譜を確認する。これだけは絶対に持っていく。
明日、運命が動き出す。
マヤは鼻歌を歌いながら、簡単な荷物をまとめた。
着替えと、水筒と、おやつ。
まるでピクニックの準備。
ユナは隠蔽工作の段取りを考えていた。
「瞑想修行は三日間。その間は誰も邪魔しないはず」
「完璧ね」
誰も、これから起こる惨劇を予想していなかった。
戦場がどんな場所か。
人が死ぬということがどういうことか。
手柄を立てるために、ニイナが何をするつもりか。
ただの少女たちの、浅はかな計画。
でも、それが大きな歯車を動かし始めていた。
窓の外で、雲が月を隠す。
明日は、きっと良い天気。
冒険には最適な日になるはずだ。




