第五十八話「手柄という救済」
授業が終わり、寮の部屋に戻ってもニイナの頭は回転し続けていた。
「何か方法があるはず……」
リュートを無心に弾きながら、考える。マヤとユナは疲れ切った顔をしながらも、必死に練習に付き合っていた。
「ニイナ、今日の剣の練習すごかったね」
マヤが話しかけてくる。
「教官もびっくりしてた。どこかで習ったことがあるんでしょう?」
「……少し」
曖昧に答えながら、ニイナは別のことを考えていた。
どうすれば許してもらえる?
あの腕の中、完璧な世界を取り戻すためには?
弦を弾きながら、思考は巡る。そして、ふと気づいた。
リュートの練習は、あくまで二次的なものだ。
本当に必要なのは――手柄を立てることだ。
脳裏にイザベラの顔が浮かぶ。あの女は嘘つきだったが、重要なことも教えてくれた。
『結果がすべてよ。過程も大切だけど、結果が同じなら、より簡単な道を選ぶべき』
合理的な考え方だ。正しい。
手柄を立てれば、褒美がもらえる。
周りが自分に従うようになる。
褒められる。
認められる。
それが真理だ。イザベラから学んだ、数少ない真実。
翌日、講堂での特別講義があった。
「今日は、エリドゥについて話します」
年配の教官が、地図を示しながら説明を始める。
「長らくアンデッドの本拠地であったこの地は、先日、英雄メルベル様によってギシュガル王が討たれました」
生徒たちがざわめく。伝説的な戦いの話に、皆が興奮している。
「そして近日中に、大規模な討伐作戦が行われます」
教官の声が厳粛になる。
「指揮官はメルベル様とナブ様。万全の体制で臨みます。数年後には、エリドゥも安全な聖火巡礼の地となるでしょう」
その瞬間、ニイナの中で何かが繋がった。
これだ。
エリドゥで手柄を立てればいい。
もちろん、生徒の身分で「行きたい」と言って許されるはずがない。だから、抜け駆けする。勝手について行く。
エリドゥには土地勘がある。十五年間、あの石の牢で育った。隠れ場所も、抜け道も知っている。
数万人規模の大軍なら、補給部隊も含めれば相当な人数だ。そこに自分一人が紛れても、気づかれないはずだ。
学校から抜け出せば罰は受ける。
でも、それがなんだ?
このままでは、巨人を永遠に取り戻せない。
現地で手柄を立てる。
自分を騙したイザベラを殺す。
あるいはモルガンでもいい。
そうすれば、褒美がもらえる。
認めてもらえる。
受け入れてもらえる。
今までずっとそうだった。知恵を絞って相手を出し抜けば、必ず評価された。
「ニイナ、聞いてる?」
ユナの声で我に返る。
「あ、ごめん」
「エリドゥの話、怖いよね。でも、メルベル様がいれば大丈夫よね」
「……そうね」
相槌を打ちながら、ニイナは計画を練り始めた。
まず、この二人を騙さなければ。
マヤとユナは、常に自分の周りにいる。彼女たちに気づかれたら、脱出は失敗する。
授業が終わると、ニイナは少しずつ準備を始めた。
「私、ちょっと倉庫に忘れ物を」
そう言って部屋を出る。実際は、旅に必要な物資を少しずつ集めているのだ。
保存の利く食料。
水筒。
薄手だが丈夫な外套。
そして何より、楽譜。これだけは絶対に持っていく。
夜、リュートの練習をしながら考える。
脱出のタイミングはいつがいい?
部隊の出発に合わせて?
それとも少し前?
「ニイナ、今日は早く寝ましょう」
マヤが心配そうに言う。
「最近、顔色が良くないよ」
「大丈夫。もう少しだけ」
リュートを弾き続ける。でも頭の中は、エリドゥへの道筋でいっぱいだった。
巨人を取り戻すために。
あの完璧な世界に戻るために。
手柄を立てる。
それが、唯一の道。
窓の外では、月が静かに輝いていた。
出発の日は、もうすぐだ。
ニイナは楽譜を胸に抱いて眠りについた。夢の中で、巨人に会う。そして心の中で誓う。
必ず、現実でもあなたの腕に戻ってみせる。
今度こそ、永遠に。
手柄という形で、自分の価値を証明して。
それが、イザベラが教えてくれた真実。
そして、自分が信じる唯一の方法だった。




