表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
54/94

第五十四話「従者たちの野心」



寮の部屋は三人一組。これもアジョラとアザリアの采配だった。ニイナの周りを、援助を受けている家の娘たちで固める。彼女たちは知らず知らずのうちに、ニイナの従者となっていた。


夜、消灯時間を過ぎても、部屋には小さな灯りが点いていた。


「もう少し練習したいの」


ニイナがリュートを抱えて言う。その声には有無を言わせない何かがあった。


「もちろん、私たちも付き合うわ」


マヤが即座に答える。将来の上司になるかもしれない人物に、嫌な顔など見せられるはずがない。


「私も練習したいし」


ユナも慌てて自分のリュートを取り出した。本心では眠かったが、そんなことは口が裂けても言えない。


ニイナは丁寧に、まるで聖遺物でも扱うように、厚いファイルから楽譜を取り出した。紙の端が少しでも折れないよう、細心の注意を払いながら。


『孤独な戦士の子守唄』


マヤとユナは、歌詞を見た瞬間に理解した。


これは、英雄メルベルの歌だ。


名前こそ明記されていないが、千年王に挑んだ炎の戦士、全てを捨てて愛する者を守った男。誰が聞いても、メルベル・ボムのことだと分かる。


そして目の前には、アザリア様と瓜二つの少女。

身分を隠して下位クラスにいる。

楽譜を宝物のように扱う。

左手首には、明らかに最近の傷跡。


「……綺麗な歌ね」


ユナが呟いた。声が少し震えている。


確信が、稲妻のように二人の頭を貫いた。


この少女は、メルベルとアザリアの娘だ。

千年王ギシュガルを倒した英雄の血を引く者。

バビロン戦役で名を轟かせた、あの二人の子供。


マヤとユナは一瞬、視線を交わした。その目には、同じ炎が宿っていた。


野心の炎。


もしこの少女の側近になれたら。

もし信頼を得ることができたら。

そこらの貴族なんて目じゃない地位が手に入る。


「私、この歌好きよ」


マヤが優しく言う。内心では計算が働いている。どうすれば気に入られるか。どうすれば、ユナより上に立てるか。


「子供の頃、酒場で聞いたことがある」


ユナも負けじと話に加わる。


「でも、こんなに美しい原曲だったなんて知らなかった」


ニイナは二人の言葉を聞きながら、弦を爪弾き始めた。


左手が思うように動かない。弦を押さえる度に、接合部が痛む。まだ生々しい傷跡が、失敗を思い出させる。


「大丈夫? 無理しないで」


マヤが心配そうに声をかける。本心半分、打算半分。


「……平気」


ニイナの声は固かった。諦めるという選択肢は、最初から存在しない。


三人でリュートを練習する。同じ楽譜を見ながら、同じメロディーを奏でようとする。


だが、それぞれの思いは全く違っていた。


ニイナは、巨人の腕に戻るために。

マヤは、貧困から抜け出すために。

ユナは、家族を見返すために。


「ねえ、ニイナ」


ユナが恐る恐る口を開く。敬称を外してみる勇気を出した。


「この歌、どこで覚えたの?」


一瞬の沈黙。


「……小さい頃、誰かが歌ってくれた」


ニイナの声は遠かった。夢の中の記憶を辿るように。


「優しい人だったのね」


マヤが柔らかく言う。地雷を踏まないよう、慎重に。


「……覚えてない」


嘘だった。覚えている。夢の中で、毎晩会っている。巨人の温かい腕、低い歌声、全てが鮮明に。


でも、それは言えない。

言ったところで、もう戻れない。


練習は深夜まで続いた。


ユナが先に限界を迎えて、ベッドに倒れ込む。マヤも疲労の色を隠せない。


でもニイナは止めなかった。


痛む左手を酷使しながら、同じフレーズを何度も繰り返す。完璧になるまで。巨人に認めてもらえるまで。


「ニイナ、本当にもう寝ましょう」


マヤが懇願するように言う。


「明日も授業があるし……」


ニイナはようやくリュートを置いた。楽譜を、また丁寧にファイルに戻す。一枚も折れていないことを確認してから。


部屋の明かりを消すと、三人はそれぞれのベッドに入った。


暗闇の中で、マヤとユナはほぼ同じことを考えていた。


絶対に、ニイナの信頼を勝ち取る。

絶対に、この機会を逃さない。


貧乏な家の娘が、英雄の娘の側近になる。

これ以上の逆転劇があるだろうか。


一方、ニイナは楽譜を胸に抱いて目を閉じた。


すぐに夢が始まる。

巨人の腕の中で、リュートの音が響く。


「上手になったな」


巨人が褒めてくれる。夢の中でだけ。


「もっと上手くなる」


ニイナは夢の中で答える。


「必ず、あなたと同じように弾けるようになる」


巨人は優しく笑う。でも、その笑顔はどこか悲しげだ。


朝が来るまで、ニイナは夢の中で練習を続けた。


現実でも、夢でも。

どちらが本当の世界か、もう分からなくなりながら。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ