表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
52/94

第五十二話「隠されたお嬢様」



下位クラスの教室で、文字の基礎を教える授業が続いていた。


「では、この文字の書き順は――」


教官の説明を、生徒たちは必死にノートに写している。だがニイナにとって、これは拷問に等しかった。


知っていることを、一時間かけて丁寧に説明される。

まるで、幼児扱いされているような気分。


退屈すぎて意識が朦朧としてきた。ニイナは紙を裏返すと、『孤独な戦士の子守唄』の楽譜を書き始めた。五線譜、音符、休符。記憶の中の楽譜を、正確に再現していく。


隣の席で、マヤがぎょっとした。


この子、文字が書けるどころじゃない。

楽譜まで書いている。


課題の紙の表には、既に完璧な答えが記入されている。それも、ものの数分で終わらせたらしい。そして今は裏に、複雑な音楽の記号を書いている。


これは――超お嬢様だ。


ルールー教官の話は本当だった。重要な人物の娘。高等教育を受けている証拠がここにある。


だが同時に、マヤは危機感を覚えた。


もしこれを教官に提出したら。

もし他の生徒に見られたら。


間違いなく騒ぎになる。なぜこんな優秀な子が下位クラスにいるのか、と。そうなれば、ニイナは別のクラスに移される。自分の任務は失敗。将来も消える。


マヤは小声で囁いた。


「ニイナさん、裏に何か書いて提出すると、先生に見つかった時にバレますよ」


ニイナは興味なさそうに顔を向けた。だが、少し考えて手を止めた。


確かに、目立つのは逆効果だ。

社会生活ができると証明するために、ここにいる。

目立てば、また檻に戻されるかもしれない。


ニイナは楽譜を消し始めた。炭の跡が完全に消えるまで、丁寧に。


仕方ない。頭の中で譜面を再生しよう。


その様子を見て、マヤは安堵した。そして同時に、チャンスだと思った。


「あの……私、この問題がよく分からなくて」


マヤが自分の紙を見せる。実際、文字を習い始めたばかりで理解が追いついていなかった。


「教えてもらえませんか?」


ニイナは一瞬迷った。だが、考え直す。


教えれば、溶け込める。

面倒見の良い少女として見られる。

それは悪くない評価だ。


「……ここは、こう書く」


ニイナが小さく説明を始める。簡潔だが、的確な指導。マヤは必死にメモを取りながら、感心していた。


本当に頭が良い。


授業が終わると、生徒たちは自然とグループを作り始めた。


マヤは素早く動いた。もう一人の少女――おとなしそうな茶髪の子――を誘って、三人のグループを作る。


「私はマヤ。こちらはニイナさん。よろしく」


「あ、私はユナです」


ユナと名乗った少女が、ニイナの顔をまじまじと見た。


「あの……ニイナさんって」


まずい、とマヤは思った。


「アザリア様に、すごく似てますよね?」


案の定だった。誰が見ても気づく。金髪碧眼、整った顔立ち。アザリア様の若い頃にそっくりだ。


マヤは慌てて話題を変える。


「それより、劇場の女優の方に似てない? ほら、今話題の――」


「あ、確かに! エリーナ・ゴールドでしょ?」


ユナが乗ってきた。


「そうそう! 今度の休みに、みんなで劇場見に行かない?」


話題が無事に変わった。マヤは内心で胸を撫で下ろす。


ニイナは二人の会話を聞きながら、ぼんやりと考えていた。


劇場。

そんなところに行ったことはない。

普通の少女たちは、そういう場所で楽しむのか。


「ニイナさんも一緒に行きましょう!」


ユナが無邪気に誘ってくる。


ニイナは一瞬考えた。そして、二人の表情を観察する。期待に満ちた笑顔。これが普通の反応なのだろう。


口元に笑みを作り、明るい声で答えた。


「前から見たいと思っていたの」


完璧な演技だった。ユナとマヤが嬉しそうに顔を見合わせる。


「やった! じゃあ、三人で行きましょう」


「楽しみね」


二人の興奮を見ながら、ニイナは内心で分析していた。


劇場。

そんなところに行ったことはない。

だが、普通の少女なら興味を持つはず。

これも演じなければならない役割の一つ。


教室を出る時、マヤはルールー教官と目が合った。


小さく頷く。


任務は順調です、という合図。


ルールーも満足そうに頷き返した。


廊下を歩きながら、マヤは横目でニイナを観察する。


この子は一体、誰の娘なのか。

アザリア様に似ているということは――


簡単な答えだった。

最近噂になっている、メルベル様。

そしてアザリア様。


二人の娘。


それなら、全てが納得できる。異常な才能も、隠さなければならない理由も。


マヤは秘密を胸に秘めた。

絶対に漏らさない。

自分の未来のために。


三人は食堂へ向かう。


「お昼は何にする?」


「今日は魚料理があるって」


他愛のない会話。

普通の少女たちの日常。


ニイナはそれを、遠くから見ているような気分で過ごしていた。


これが普通。

自分が演じなければならない役割。


でも、本当の自分は――


頭の中で、楽譜が流れ続けている。

今夜また、暗闇の中で巨人に会える。

それだけを楽しみに、この偽りの日常を生きていく。


マヤとユナは楽しそうに笑っている。

ニイナも、つられて小さく微笑んだ。


普通の少女の、普通の笑顔。

誰も、その裏にある闇を知らない。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ