第五話「歌の布教」
広間の空気は一変していた。
幹部たちは興奮気味に話し合いを始めている。まるで長い冬が終わり、春が来たかのような雰囲気だった。
「じゃあ、これから市民に事情を説明して……」
バルガスが身を乗り出した。
「ええっと、どう説明すればいいんでしょう?」
「敵の陰謀だったと言えばいい」
別の幹部が提案する。
「ルカヴィの残党が流した偽情報に、我々も騙されていたと」
バルガスが顔を赤くした。
「自分たちも騙されていたというのは、ちょっと……真実とは言え、恥ずかしいな」
他の幹部たちも恥ずかしそうに俯いている。確かに、神殿の幹部が敵の嘘に騙されていたというのは、面目が立たない。
ナブが疲れた声で提案した。
「では、こう言いましょう。作戦上、仕方なく全員が合意の上で、民衆に嘘を言わなければならなかった、と」
「それなら我々の面目も立つ」リーナも頷く。「民衆にも理解を求めるように、正式な謝罪を出します」
幹部たちは恥ずかしそうにしながらも、その案を受け入れた。
「申し訳ありません……その方向で」
「我々も、協力します」
皆が頷き合う。その様子を、ナブとリーナは放心状態で見ていた。
二人は椅子に深く沈み込み、まるで酒を飲んだ後のような、ぼんやりとした表情をしている。肩の力が完全に抜けていた。長い間背負っていた重荷が、やっと下ろせたのだ。
「それで」年配の巫女マルタが口を開いた。「アザリア様に戻ってきてもらった方がいいんですよね?」
幹部たちの顔が一斉に輝いた。
「そうだ!アザリア様も!」
「アジョラ様も!」
「メルベル様も、このままだと納得いかないでしょう?」
希望に満ちた声が飛び交う。アジョラとアザリアの二人体制、あの黄金時代が戻ってくるかもしれない。
しかし、その言葉を聞いて、部屋の隅で青ざめている者たちがいた。敵の信奉者と呼ばれていた者たちだ。
彼らは震え上がっていた。アジョラとアザリアの時代、自分たちの仲間が次々と粛清されていった恐怖の日々を思い出している。そして今、千年王を倒したのがメルベルだと判明した。そんな化け物が神殿に復帰してきたら、自分たちは確実に終わりだ。
「逃げた方がいいかも」
誰かが小声で呟いた。
「今のうちに辞表を」
「いや、それこそ怪しまれる」
彼らは顔を見合わせ、冷や汗を流している。
一方、アジョラやアザリア、メルベルの信奉者たちは、まったく違うことを考えていた。
「これでやっと世直しができる」
「神殿も元に戻る」
「正義が戻ってくる」
皆、浮き足立っていた。
しかし、メルベルは慌てて手を振った。
「待て、待て!」
幹部たちが静まる。
「実は、二人ともすごく疲れていて、今はそっとしてやってほしいんだ」
「でも」
「アザリアは……体調を崩している。アジョラ様も、もう若くない。二人の事は、今は休ませてやってくれ」
メルベルは妊娠のことは伏せた。まだ敵の信奉者が残っている以上、身重の妻がいるという弱点を晒すわけにはいかない。
メルベルは続けた。
「それに、俺も……」
彼は苦笑いを浮かべた。
「ギシュガルとの戦いで、もうまともに動けないんだ」
幹部たちがざわめいた。
「そんな……」
「メルベル様が?」
「やっと歩けるようになって、それで神殿に顔を出したんだ。今更、神殿の激務なんて無理なんだよ」
嘘だった。しかし、皆は信じた。確かに、千年王と戦えば、無傷では済まないだろう。
幹部たちは、あからさまに不満そうな顔になった。期待が大きかっただけに、失望も大きい。
「そんな……」
「じゃあ、このままナブとリーナが?」
敵の信奉者たちは、ほっと胸を撫で下ろした。命拾いしたと思っている。
「後のことは」メルベルが言った。「ナブとリーナが何とかするから。やることは変わらない。今度は、みんな言うことをちゃんと聞けよ」
幹部たちは不満そうにしながらも、さっきまでの自分たちの態度を思い出して恥ずかしそうに俯いた。
「は、はい……」
「申し訳ありませんでした……」
翌日の朝、メルベルは神殿の一室に呼ばれた。
「なんだ、こんな朝早くから」
欠伸をしながら入ると、そこは合唱隊の練習室だった。広い部屋に、たくさんの人間が集まっている。
「何これ」
メルベルが驚いた。
部屋にはぞろぞろと、都中の吟遊詩人たちが集まっていた。若い者から老人まで、男も女も、様々だ。皆、手には筆記用具と、それぞれの商売道具である楽器を握っている。
「集まったか」
ナブが満足そうに頷いた。
「これを被れ」
彼はメルベルに、大きな帽子と色眼鏡、そして付け髭を渡した。さらに、派手な舞台用の衣装も。
「なんだこれ」
「変装だ。お前の正体がばれたら面倒だろう」
「いや、そういうことじゃなくて」
「例の歌を彼らに教えろ」
ナブが真顔で命令した。
「あれって、本気で言ってたのか?」
「本気だ」
ナブは腕を組んだ。
「一回歌うごとに、彼らには銀貨十枚が入ることになっている」
「銀貨十枚!?」
吟遊詩人たちがざわめいた。それは破格の報酬だった。
「この歌は、ちょっと売れないと思うぞ」
メルベルが苦い顔をした。
「曲も物悲しいし、大衆向けの酒場で歌う曲にしては、ちょっと……」
「いいからやれ」
ナブの命令は絶対だった。
メルベルは溜息をついて、付け髭をつけた。そして、エクリスの口調に切り替える。
「みなさん、ごきげんよう!」
大仰に両手を広げた。
「私はエクリス。今日はみなさんに、素晴らしい歌を教えに参りました!」
吟遊詩人たちが注目する。
「今回の趣旨は簡単です」
メルベルは芝居がかった調子で続けた。
「この歌を覚えて、都中で歌っていただきたい。報酬は先ほどナブ様がおっしゃった通り、破格です」
「どんな歌なんだ?」
若い吟遊詩人が聞いた。
「『孤独な戦士の子守歌』です」
メルベルはリュートを構えた。
「まずは、お聞きください」
静かに弦を爪弾き始める。物悲しい旋律が、部屋に響き渡った。
闇を纏いし、千年の王よ
その剣は炎、その瞳は深淵……
歌が進むにつれ、吟遊詩人たちの表情が変わっていく。最初は金目当てだった者たちも、徐々に歌に引き込まれていった。
「美しい……」
誰かが呟いた。
歌が終わると、しばらく静寂が続いた。そして、拍手が起こる。
「素晴らしい歌だ」
老詩人が感嘆した。
「しかし、確かに酒場向きではないな」
「編曲次第では」
若い楽隊のリーダーが提案した。
「もう少しテンポを上げて、リズムを変えれば」
「いや、この物悲しさがいいんだ」
別の者が反論する。
議論が始まった。皆、熱心にメモを取り、楽譜を書き写している。
「もう一度、歌ってもらえますか?」
「この部分の音程が」
「歌詞の意味は?」
質問が殺到する。
メルベルは何度も歌い、説明し、指導した。昨日とは逆に、今度は自分が教える立場だった。
「ここは、もっと感情を込めて」
「父の剣は折れ、の部分は特に重要です」
吟遊詩人たちは真剣だった。銀貨十枚という報酬もあるが、それ以上に、この歌の持つ力に魅了されていた。
「チームで編曲を考えよう」
楽隊たちが集まり始める。
「笛を入れたらどうだ?」
「いや、弦楽器だけの方が」
「打楽器も必要だろう」
活発な議論が続く。
ナブは満足そうに、その様子を見ていた。
「これで、都中にこの歌が広まる」
隣でリーナも頷いた。
「メルベルさんの真実が、歌として伝わっていくんですね」
メルベルは複雑な表情で、熱心な吟遊詩人たちを見ていた。
エクリスが作った歌が、エクリスを演じる自分によって教えられ、都中に広まっていく。なんという皮肉だろうか。
「先生!」
若い女性の吟遊詩人が手を挙げた。
「この歌の主人公は、メルベル様のことですよね?」
部屋が静まった。
「さあ」メルベルはエクリスの口調で答えた。「それは、聞く人の解釈に委ねましょう」
曖昧な答えだったが、吟遊詩人たちは納得したようだった。
「ところで」老詩人が聞いた。「作曲者は誰ですか?あなたですか?」
メルベルは一瞬考えた。そして、大仰に頷いた。
「そうです。私の名前は、エクリス・ミラージュ」
吟遊詩人たちがざわめいた。
「私の曲は他にもありますよ」
メルベルは芝居がかった調子で続けた。
「『臆病者メルベルの大脱走』『英雄ナブの凱旋』『聖女リーナの美貌』……今、街で流行っている歌の多くは、私の作品です」
「ああ!」
若い吟遊詩人が手を打った。
「あなたが!誰の歌かよく分からなかったんです」
「他の歌も素晴らしいですよね」
「『臆病者メルベルの大脱走』は特に人気です」
皆が口々に言う。
メルベルは内心で苦笑した。エクリスはろくでなしだったが、まあ、これで奴も本望だろう。死んでもなお、その名前が都中に広まっていくのだから。
練習は昼過ぎまで続いた。最後には、全員で大合唱となった。
眠れ、疲れし戦士よ
お前の戦いは終わった
母の腕の中で、愛する者の傍で
永遠の安らぎを、今ようやく得る
歌声が神殿に響き渡る。窓の外を通りかかった人々が、不思議そうに立ち止まって聞いている。
「よし」ナブが手を叩いた。「今日から、この歌を都中で歌ってくれ」
「はい!」
吟遊詩人たちは、意気揚々と散っていった。
メルベルは付け髭を外しながら、窓の外を見た。
「本当に、これでよかったのかな」
「よかったさ」ナブが肩を叩いた。「真実は、いつか必ず伝わる」
しかし、メルベルの不安は消えなかった。歌は一度広まれば、もう止められない。それがどんな結果を生むのか、誰にも分からない。
夕方には、早速都の酒場から、新しい歌の噂が聞こえてきた。
「物悲しいが、心に響く歌だ」
「エクリス・ミラージュという作曲家の歌らしい」
「あの『臆病者メルベルの大脱走』も同じ作者だって」
効果はそこそこあった。『孤独な戦士の子守歌』は徐々に広まり始めている。
むしろ、より効果的だったのは、『臆病者メルベルの大脱走』の禁止令の方だった。ナブとリーナが発令した「この歌を歌った者は罰金」という条例は、すぐに効果を表した。
「なんで禁止なんだ?」
「よっぽど都合が悪いのか」
「もしかして、本当は違うのかも」
皮肉なことに、禁止されたことで、かえって人々は疑問を持ち始めていた。
そして、どちらの歌も作者が同じエクリス・ミラージュだということが、さらに憶測を呼んでいた。




