第四十六話「聖女の計算」
アジョラの私室は、午後の光で満たされていた。高価な調度品が並ぶ部屋で、アザリアは義母にニイナの変化について詳細に報告した。罪の意識の芽生え、巨人への憧憬、そして人間性の回復。全てを包み隠さず話した。
「ふぅん」
アジョラは紅茶を啜りながら、適当に相槌を打つ。
――なるほどな。
内心で状況を整理する。ニイナは情緒を取り戻した。孫は息子の子守唄で居場所を思い出した。巨人の暖かい腕に帰りたがっている。しかし、罪を犯した自分にはその権利がないことも理解している。
完璧ではないか。
アザリアは動揺しながら、金髪を掻き上げて言葉を続けた。
「あの時、守れていれば……」
声が震える。
「自分が郵便配達員に気を取られていなければ……ニイナは、今でもこの家でメルベルと一緒にいたかもしれない」
碧眼に涙が滲む。
「完璧な才能を発揮して、優れた巫女として、父親の歌が好きな娘として……」
そう言うと、アザリアは突然アジョラの前にひざまずいた。
「義母様、あの時の私の失敗です……」
「立ちなさい、アザリア」
アジョラは優しく言いながら、嫁の金髪を撫でた。絹のような髪が指の間を流れる。
「辛いことです……全てが……破壊されてしまいました」
慰めの言葉を紡ぐ。母親らしい、優しい声で。だが、本心は全く別のところにあった。
――何か問題があるのか?
孫は偉大な息子メルベルの愛情で人間に戻った。ナブの言う通り、悪いのは全部クソッタレのルカヴィ、イザベラである。殺された巫女や戦士も気の毒だが、これでニイナの責任にする必要はない。
一ヶ月で孫は罪の自覚をして、したくもない殺人を強要されて、今は家に戻る資格がない、父親の愛情を受ける資格がないと悔い改めている。
――他のバカな犯罪者とは違う。
何年もかけて言い聞かせても、それでも再犯をする連中。あれとは全く違う。やはり息子の娘だ。アザリアもよくやった。完璧な結果だ。
十三年前の誘拐は、誰がどうやっても防ぐのは無理だった。それを一ヶ月程度であっという間にここまで戻してみせた。全部丸く収まった。
――残る問題は簡単だ。
今後こういう問題がないように、エリドゥにいる残党を、仕返しも込めて、大軍団を編成して完膚なきまでに抹殺するだけである。それで全てが元通り。
第一、死んだ戦士も巫女も自分たちの家庭とは関係がない。気の毒とは思うが、我々も被害者なのだ。
――もちろん、これを公表して理解が得られるとは思わない。
だから公表しなければいい。ナブと看守の口をしっかり閉じておかせれば、全く問題ない。仮に噂を流したら、その時はそいつを社会的に抹殺するだけだ。物理的にしても構わない。
そういう考えは胸に秘めておいて、アジョラは優しく言った。
「ナブの優しさに甘えても良いのではないですか?」
アザリアの頭を撫で続ける。
「あなたに責任はないわ」
そして、最後に付け加える。
「メルベルが身を挺して助けてきたあの子に、少しでも陽の光が当たる場所を見せてあげたいの。私のわがままよ」
「しかし……」
アザリアが顔を上げた。まだ迷いがある。
――この子、どの程度本気なのかしら?
アジョラは内心で値踏みする。確かにこう言う方が、ナブも気持ちよくニイナに新しい生活を提供する準備もできそうだ。
――どのみち、この流れに乗りながら、ナブに頭を下げてニイナとメルベルを会わせておきましょうか。
「アザリア」
アジョラが決断を下す。
「あなたの判断を信じるわ。あの子が本当に変わったのなら、チャンスをあげても良いんじゃないかしら」
「本当ですか?」
「ええ。でも慎重にね。メルベルにはまだ内緒よ。あの子、感情的になりやすいから」
アザリアは深く頷いた。義母の理解を得られたことで、少し心が軽くなる。
だが、アジョラの本当の考えを、彼女は知らない。聖女の優しい笑顔の裏で、冷徹な計算が進んでいることを。
「さあ、お茶が冷めてしまうわ」
アジョラが話題を変える。
「最近、街に新しい菓子店ができたそうよ。今度一緒に行きましょう」
穏やかな午後の会話が続く。まるで、孫が大量殺人者であることなど、最初からなかったかのように。




