第四十五話「罪の重さ」
アザリアは、娘が人間になったことを知った。
目の前にいるのは、もう殺人機械ではなかった。瞼が腫れ上がり、泣き腫らした顔。鼻は赤く、唇は震えている。これが、自分の娘の本来の姿なのか。
「何があったの?」
静かに聞くと、ニイナは顔を上げた。
「帰りたい……」
掠れた声で呟く。
「イザベラお母さんのところ? エリドゥのお家?」
アザリアが確認するように聞く。
「それは無理よ」
断言すると、ニイナは首を振った。
「巨人……」
予想外の言葉が漏れる。
「え?」
「巨人の腕に……」
ニイナは呆けたような表情で、虚空を見つめている。まるで、そこに何かが見えているかのように。
「夢の中で見ます……私の居場所……」
その言葉に、流石のアザリアも目頭が熱くなった。
――間違いなく、父親の腕の中のことを言っているのだろう。
十三年前の暖かい記憶に縋っているのだ。メルベルの腕の中の甘い記憶がある。完璧な世界の記憶が。赤ん坊だった頃の、絶対的な安全と愛情の記憶が。
しかし、アザリアは冷たく言った。
「それは多分無理」
ニイナが疲れ切った顔で見上げる。
「どうして?」
「あなたは罪を犯しすぎた」
一呼吸置いて、残酷な事実を告げる。
「その……巨人は、もうあなたのことを抱いてくれない。あなたは人を殺しすぎた。今更、その場所には戻れない」
ニイナは項垂れた。
「うっ、うっ……」
喉を鳴らして、また泣き始める。
「ひぃ……」
嗚咽が漏れる。肩が震え、全身が小刻みに揺れている。
「ごめんなさいね」
アザリアが静かに言う。
「本当に運がなかったわ。前にも言ったけど……私にも咎はある。あなたを守れていれば、その場所は今でもあった。あなただけの場所だったわ」
立ち上がりながら、最後の言葉を告げる。
「本当に残念。けど、あなたが殺した人も、そこに帰りたかったのよ。あなただけが帰るわけにはいかない」
振り返らずに続ける。
「夢の中で我慢して」
ニイナは泣きながら、何度も繰り返した。
「帰りたい……帰りたい……」
その声は、もう暗殺者のものではなかった。ただの、迷子になった子供の声だった。
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一部始終を見ていたナブは、興奮を抑えきれなかった。
――アザリア様の、あの手荒い指導が最高の結果を生んだ!
もう間違いない。十三年の悲惨な教育は、やはりメルベルの愛情に敗れ去ったのだ。生まれた直後の記憶、朧げな内容。それでも、メルベルの子守唄が勝った。
思わず目頭が熱くなる。
「全く、大したやつだ……」
部屋から出てきたアザリアに、ナブは興奮して駆け寄った。
「すごいですよ! もうニイナは罪を認めたんですよ!」
声が上擦っている。
「自分の行いと向き合い始めたんです! 今ならメルベルに会わせれば、新しい生活を始められます!」
希望に満ちた言葉。しかし、アザリアの顔は暗かった。
「どうしたんですか?」
「ニイナは……人を殺しすぎました」
アザリアが項垂れる。
「その罪を償う方法はありません」
「それは違います!」
ナブが声を荒げた。
「彼女も被害者なんです! 見てください!」
牢獄の方を指差す。アザリアと全く同じ顔をした少女が、毛布にくるまって震えて泣いていた。帰りたいと、小さく呟き続けている。
「あれが本来の彼女なんです!」
ナブの声に、熱がこもる。
「十三年前の父親の記憶に縋って泣いている! 本当なら、メルベルとあなたの愛情の中で生きるはずだった!」
拳を握りしめる。
「悪いのは敵です! 卑劣な罠で全てを破壊した! 彼女にどうしろと言うんですか!」
声がさらに大きくなる。
「たった一ヶ月! それでここまで取り戻したんです! 償いをするのは彼女じゃありません! 敵が償うべきです!」
聞いていた看守たちも、ナブと同じ気持ちだった。ここまで人間に戻しておいて、このまま牢獄に閉じ込めておくのか。囚人の中にいる意思薄弱な者たち、堕落した殺人者。それとあの少女とは、分けて考えるべきではないのか。
アザリアは困惑した表情を浮かべた。
「少し……私もわからなくなってきました」
正直な告白だった。
「最初は、一生牢屋から出れないだろうと……いつか、自分で……洗脳された人形として……自分で命を断つのだろうと思っていましたが……」
言葉に詰まる。予想外の展開に、自分でも答えが見つからない。
「相談をしてきます」
そう言って、アザリアは部屋を後にした。
ナブは何も言えないまま、その背中を見送った。複雑な感情が胸の中で渦巻いている。希望と不安、喜びと悲しみ。全てが混ざり合って、言葉にならない。
牢獄の方では、毛布でできた饅頭が、哀れな声で歌を歌っていた。
「眠れ、疲れし戦士よ……お前の戦いは終わった……」
本当の自分の場所に戻るために。もう二度と戻れない場所へ、せめて夢の中だけでも帰るために。
その歌声は、看守たちの心を締め付けた。これが罪人の歌なのか。それとも、被害者の嘆きなのか。
「なあ」
若い看守が呟いた。
「俺たち、何をしてるんだろうな」
誰も答えられなかった。正義とは何か、罰とは何か、救いとは何か。全てが曖昧になっていく。
ただ、少女の歌声だけが、静かに響き続けていた。




