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第三十六話「予知夢の成就」



剣戟の音が、夕闇に響き渡った。


二つの炎が激突する。赤と黒、父と娘の法力がぶつかり合い、火花を散らす。刃と刃が触れ合うたび、甲高い金属音が鳴り響いた。


ニイナは確信していた。あの夜、骨折の痛みに苦しみながら頭の中で反芻し続けた動きが、全て正しかったことを。


――分かる! 全部分かる!


メルベルの剣が右上から振り下ろされる。カット1。身体が自然に反応し、ティアースで受け流す。そのまま手首を返し、カット2で反撃。メルベルがそれをクォートで防ぐ。


――あの廃屋で、痛みと空腹と渇きの中で考え続けた動き。


水平の斬撃が来る。カット3。セコンドで受け、即座に突きへ移行。メルベルが身を捻ってかわし、下から斬り上げてくる。カット5。それも読めていた。


――練習台での実験も、全て正しかった。


初めての戦いでは、必死に動きを追うので精一杯だった。だが今は違う。動きの意図が、技の理由が、全て理解できる。なぜそこで重心を移すのか、なぜその角度で剣を振るのか、全てが見える。


「ふっ!」


ニイナが鋭く息を吐き、攻勢に転じた。黒い炎を纏った剣が、複雑な軌道を描く。それは、メルベルが教えた技術を基にしながら、彼女なりの解釈を加えた動き。時には、メルベルの動きを上回る速度と精度で繰り出される。


メルベルも本気だった。もう峰打ちという選択肢はない。生きたまま捕らえることも、もう考えていない。ただ、予知夢で見た運命を受け入れるだけだ。


二人の剣技は、まるで鏡写しのように似ていた。同じ流派、同じ技術、同じ炎の法力。違うのは、経験と体格、そして心の中にあるもの。


――勝てる!


ニイナの中で、確信が膨らんでいく。次の交差で、確実に男の肩に剣を突き立てられる。予知夢で見た通りの場面が、もうすぐ実現する。


――父の恨みを果たせる!


たとえこの後、神殿戦士たちに捕まって処刑されても構わない。それでも、父の仇を討つことができれば、それは勝利だ。


――私は、父を超える!


渾身の力を込めて、斬撃を放つ。メルベルがそれを受け流す。返ってきた反撃も、完璧に受け流した。そして――


――終わりだ!


メルベルの肩が、完全に空いた。防御が間に合わない。剣を突き出す。刃が肉に食い込む感触。勝利を確信した、その瞬間。


灼熱の何かが、顔面にぶちまけられた。


「ぐあっ!」


反射的に目を閉じ、よろめく。焚火の残り火。メルベルが蹴り上げた炭の粉末が、目に入ったのだ。視界が真っ赤に染まり、涙が止まらない。


――なぜ焚火を……!


電撃のように理解が走る。最初から、これも計算のうちだったのだ。だが、もう手遅れだ。技術は追いついた。メルベルの剣技は完全に習得した。しかし、これは教えられていなかった。予知夢にもなかった結末。自分の慢心が、勝利を確信した油断が、全てを台無しにした。


メルベルの中で、剣士の本能が叫んでいた。


――今だ! 首を落とせ!


敵が無防備だ。一撃で終わらせられる。だが、その手は別の場所へ向かった。十三年前の小さな手。自分の指を握りしめていた、あの温かい手を思い出しながら。


剣が振り下ろされた。


だが、狙ったのは首ではなかった。


ニイナの左手首に、刃が食い込んだ。抵抗もなく、まるで枯れ枝を切るように、手首が切断された。大きく弧を描いて、小さな手が宙を舞う。


「うあああああああっ!」


ニイナの口から、獣のような悲鳴が迸った。十五年の人生で、これほどの声を出したことはなかった。自分の声とは思えないほどの、凄まじい絶叫。


目の痛みと、失った手首の激痛。二重の苦痛に、膝が崩れる。残った右手で、左腕を抱え込む。そこにあるはずの手を探すように、虚空を掴む。


「あ……ああ……」


声にならない呻きが漏れる。血が、止まらない。腕から、顔から、全身から力が抜けていく。


メルベルは剣を投げ捨てた。そして、倒れ込もうとする娘を抱きとめ、そのまま首を絞めた。裸締め。武器を使わない、最も原始的な制圧方法。


ニイナは必死に抵抗した。残った右手で、メルベルの顔を引っ掻く。髪を掴み、力なく引っ張る。失った左腕が、血を撒き散らしながら暴れる。メルベルの顔に、温かい血が降りかかった。


メルベルは少女の首を絞めながら、妻とも違う、息子とも違う、誰とも異質に違う少女の肉体の感触に、十三年前のことを思い出していた。あの自分の指を握った小さな手。小さな頭。間違いなく、あの金髪を称えた可愛い頭が、今、自分の腕から何とか逃れようと足掻いていた。


――お前の小さな手を……


メルベルは歯を食いしばった。十三年前、この腕の中にいた娘。リュートの音を不思議そうに聞いていた、あの小さな子。今、その娘の命を、自分の手で……


徐々に、ニイナの抵抗が弱まっていく。呼吸が浅くなり、顔色が青白くなっていく。瞳孔が開き、焦点が定まらなくなる。


「ぁ……」


最後の息が漏れ、身体から力が完全に抜けた。ぐったりと、メルベルの腕の中に崩れ落ちる。


静寂が訪れた。


メルベルは震える手で、娘の首筋に指を当てた。かすかに、脈がある。生きている。気を失っているだけだ。


転がった手首を拾い上げる。まだ温かい、小さな手。かつて自分の指を握っていた、あの手。涙が、止まらなかった。


用意していた縄で、娘の身体をきつく縛り上げる。足、腰、胸、そして残った右腕も。逃げられないように、しかし血流を止めないように。切断された左手首は、布と縄できつく縛り、止血を施した。


「大変だ! 何があった!」


悲鳴を聞きつけた村人たちが駆けつけてきた。松明の明かりが、血まみれの現場を照らし出す。


そこにあったのは、異様な光景だった。


血まみれの大男が、手首を失った少女を抱きしめている。男の顔は血と涙でぐしゃぐしゃで、肩には剣が突き刺さったまま。少女は意識を失い、顔面は炭で黒く汚れている。地面には血溜まりが広がり、切断された手首が転がっていた。


「あ、あの手配書の……」


誰かが呟いた。


「神殿戦士を呼べ! 医者も! 早く!」


村長が叫ぶ。人々が慌ただしく動き始める。


メルベルは、ただ黙って娘を抱きしめていた。肩の傷から血が流れているが、気にも留めない。腕の中の娘が、まだ息をしていることだけを確認しながら。


遠くから、馬の蹄の音が近づいてくる。神殿戦士たちが、ついに到着したのだろう。


夕日は完全に沈み、夜の帳が下りていた。


予知夢は、現実になった。


父は娘の手首を切り落とし、娘は父の肩に剣を突き立てた。


二人とも、勝者ではなかった。

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