第三十一話「一週間の約束」
ジッパルへ向かう街道で、アザリアは通信機からの報告を受け取っていた。
「バビロン近郊の街で、メルベル様とガレス様を確認しました」
神殿戦士の声が響く。
「二人は剣術と法力の訓練をしながら、周辺を移動しているようです」
「分かりました。引き続き、遠巻きに見守ってください」
アザリアは通信を切った。そして、ため息をついた。
(よかったわね、メルベル)
夫のことを思った。昔、まだニイナがお腹にいた頃のことを。
大きくなったお腹を撫でながら、メルベルは熱っぽく語っていた。
「男の子だったら、俺が鍛えてやろう。剣術も、法力も、全部教えてやる」
その夢は、襲撃によって断たれた。ガレスをナブに預けることになり、そんなことは到底できないと思っていた。
だが今、それが実現している。
皮肉なものだ。
(でも、愛すべき娘が、今や洗脳されてメルベルを狙う暗殺者)
アザリアの表情が固くなった。
メルベルには、娘は絶対に斬れない。殺せない。そうなれば、娘はメルベルとガレスに容赦などしないだろう。
(やはり、私が夫に嫌われても、戦士たちを動員してあの暗殺者を捕まえるか……殺さなくては)
アザリアは意外なほどに落ち着いていた。
「もう娘ではない」
その言葉も、今は受け入れられる。息子に剣を突き立てる姉など、自分の娘ではない。
アザリアは決意を固めた。アジョラを都から呼び寄せることにした。護衛の中で、安全を確保してもらう必要がある。
数日後、アジョラが到着した。
「久しぶりね、アザリア」
「アジョラ様」
二人は昔からウマが合う。考え方も、価値観も似ている。
アジョラは、アザリアの手配書の提案も、娘を殺害する決意も、すべて受け入れていた。
「辛いでしょうね」
アジョラは息子の嫁を慰めるように言った。だが、その声は冷たかった。
「今、確実にいる息子を守る方が先。娘は死んだものと考えましょう」
二人の心は、氷のように冷えていた。祖母として、母としての情を、理性で押し殺していた。
「とはいえ」
アジョラが口を開いた。
「ガレスがメルベルの元にいるのは、感心できません」
彼女は眉を顰めた。
「話を聞けば、ガレスがニイナと戦えば確実に死ぬ。やはり、私たちと同様に警護の下で、安全な場所にいるべきです」
アザリアも頷いた。
「ニイナが回復するまで、もう少しあります。あと一週間」
二人は顔を見合わせた。
「メルベルが満足したら、引き取りましょう」
そう決まった。
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バビロン近郊の小さな宿。
メルベルとガレスが夕食を終えた頃、扉を叩く音がした。
「神殿からの使いです」
若い戦士が入ってきた。緊張した面持ちで、メルベルに告げる。
「アザリア様からの伝言です。期限は一週間。それを過ぎたら、迎えに参ります」
メルベルは深いため息をついた。
(仕方のないことか)
確かに、ナブとリーナに預かった子供だ。いつまでも自分の元に置いておくわけにはいかない。
戦士は小型の通信機を机に置いた。
「毎日、無事の連絡をお願いします」
そう言い残して、立ち去っていった。
ガレスは拳を握りしめた。
「一週間あれば、十分に戦えるようになります!」
若い情熱が、その声に込められていた。
メルベルは苦笑した。
「一週間で戦えるようになるわけがない。だが……」
息子の顔を見つめる。
「ナブやリーナに悪いからな。一週間で、できることを教えてやろう」
「はい!」
ガレスは嬉しそうに答えた。そして、すぐに眠りについた。明日の訓練に備えて。
メルベルは息子が完全に眠ったことを確認してから、通信機を手に取った。
「アザリア」
すぐに妻の声が返ってきた。
「話は聞いた?その子はまだ戦う準備ができていないから、こちらで預かります」
そこに、別の声が割り込んできた。
「メルベル」
アジョラだった。
「目の前にいる息子を優先しなさい。娘のことは……もういいの」
その声には、諦めと決意が混じっていた。
「無事なら、一日ごとに連絡してちょうだい」
「ああ、分かったよ」
メルベルは短く答えて、通信を切った。
窓の外では、月が昇っていた。
一週間。
それだけの時間で、息子に何を教えられるだろうか。
いや、教えるべきことは山ほどある。剣術、法力、心構え、そして……。
(生き残る術を)
メルベルは拳を握りしめた。
娘と戦うことになったら、ガレスが生き残れる可能性は低い。だが、少しでも可能性を上げてやりたい。
それが、父親としてできる、唯一のことだから。
遠く離れた廃屋では、ニイナが座ったまま眠っていた。
鎖骨の痛みは、日に日に薄れている。あと一週間もすれば、完全に動けるようになるだろう。
その時が、復讐の時だ。
三つの場所で、それぞれが一週間という時間を数え始めた。




