第二十九話「炎の流派」
朝露が草原を濡らす早朝。メルベルとガレスは、街外れの開けた場所に立っていた。
「敵が回復するまで、骨の接合に数週間。完全回復には二ヶ月かそこらだ」
メルベルは冷静に計算していた。
「その間に、お前を瞬殺されないレベルまで鍛え上げる」
ガレスは背筋を伸ばして聞いていた。
(娘は天才だが、ガレスの才能は俺と同じだ)
メルベルは心の中で思った。繰り返し訓練しなければ覚えられない。だが、それでいい。自分もそうだった。父も、祖父も、その前も。
今まで、ナブに遠慮があった。ナブに預けた子だから、ナブが教えるべきだと。神殿戦士として生きるべきだと。
だがもう、遠慮はなかった。
師匠として、かつて父が自分に教えたように、息子を自分の流派に染める。
「まず、稽古前の挨拶から教える」
メルベルは地面に正座した。ガレスも慌てて真似る。
「剣を前に置け。両手を膝に。背筋を伸ばして、相手の目を見る」
深く一礼。
「次に、剣の鞘を取る。ささくれがないか、ひび割れがないか、儀式的に確認する。これは先祖への敬意だ」
ガレスは言われた通りに鞘を撫でた。何の意味があるのか分からなかった。
「片膝を立てる。右足から。決められた手順だ。そして立ち上がり、もう一度礼をする」
すべてが形式的で、非合理的に思えた。学校では、すぐに剣を抜いて訓練を始めていた。
(でも、これが流派なんだ)
ガレスは思った。小説に出てくるような、古い伝統。それを自分が学んでいる。
「よし。では基本の型を教える」
メルベルは剣を抜いた。曲刀が朝日を反射する。
「俺たちの流派は、七つの斬撃ですべてを表現する」
メルベルは構えを取った。
「いいか、まずカット一番。右上から左下への斜め斬りだ」
剣が空を切る。美しい弧を描いて。
「肩から腰にかけて、袈裟懸けに斬るイメージだ。相手の首筋から肩を狙う。騎馬からならこれが一番使いやすい」
ガレスは見様見真似で振ってみた。
「違う。力で振るな。腕と腰を繋げろ。全身で斬るんだ」
メルベルは息子の腰に手を当て、正しい動きを教える。
「カット二番。今度は逆だ。左上から右下へ」
鏡写しのような動き。
「これも首筋から肩口を狙う。騎馬戦なら、この二つでほとんど決着がつく」
次々と型が示される。
「カット三番、右から左への水平斬り。首を狙え。素早く、鋭く」
「カット四番はその逆。左から右。顔の高さで水平に」
ガレスは必死についていく。ナブが教えてくれた直剣の技術とは、まったく違う体系だった。
「カット五番、右下から左上への斬り上げ。歩兵の脚を断つ時に使う」
「カット六番は逆方向。左下から右上へ。斬り上げは軽く見えるが、当たれば致命傷だ」
そして最後。
「カット七番。真上から真下への斬り下ろし」
メルベルの剣が、重力に従って振り下ろされる。
「頭を割る。一番単純で、一番強力な一撃だ。覚えておけ、『頭を狙えば戦いは終わる』」
ガレスは七つの動きを繰り返した。まだぎこちない。だが、体系的な美しさがあった。
「次は防御だ」
メルベルは構えを変えた。
「剣は盾じゃない。止めるんじゃなくて、受け流せ」
新しい動きが始まる。
「右上から来る斬りは、ティアースで受ける。剣を傾けて、相手の刃を外へ滑らせる」
金属音が響く。
「左から来たらクォート。これも受け流しだ」
「下から狙われたらセコンド、プリム。要は、敵の刃を正面で受けるなということだ」
ガレスは混乱していた。学校では「しっかり受け止めろ」と教わった。これは真逆だ。
「そして最も大事なことがある」
メルベルの目が鋭くなった。
「受けたら、すぐに返す。防いだだけでは、次で死ぬ」
実演が始まる。
「ティアースで受けたら、そのまま手首を返してカット二番」
流れるような動き。防御から攻撃へ、一つの動作で。
「クォートならすぐにカット一番。守りと攻めは一続きだ。二拍子でやるな。一つの動きでやりきれ」
ガレスは目を輝かせていた。これだ。これが自分の求めていたものだ。
「分かったか?」
「はい!」
「では、百回やれ。カット一番から」
「百回?」
「そうだ。体が覚えるまで。考えなくても動けるまで」
ガレスは剣を振り始めた。
一回、二回、三回……。
体力はある。神殿での訓練で基礎は出来ている。だが、十回を過ぎると、動きが崩れ始めた。
「腰が逃げてる!最初からやり直せ!」
ピシリと木剣でふくらはぎを打たれる。
また一から。今度は三十回まで続いたが、
「手首が固い!流れが止まってる!」
今度は腕を打たれた。痛みで涙が滲む。
五十回目。
「足の運びが違う!何度言えば分かる!」
太ももに一撃。膝が震える。
「姿勢が崩れてる。最初からやり直せ」
メルベルの声は容赦なかった。
七十回目でようやく及第点が出たが、八十回目でまた崩れた。
「集中力が切れてる!だから言っただろう、考えなくても動けるまでやれと!」
肩を打たれる。もう体中が痛い。
百回が終わるまでに、実際は二百回以上振っていた。やり直しの連続で。
「よし。次はカット二番だ」
「え?」
「七つの型、それぞれ百回。それが終わったら、防御の練習だ」
ガレスは目眩がした。だが、同時に興奮もしていた。
これが流派の訓練。何百年も受け継がれてきた、本物の剣術。
「先生」
「なんだ」
「この流派の名前は?」
メルベルは少し考えてから答えた。
「鉄嵐流。古い流派だ」
鉄嵐流。力強い名前だった。
「いつか、お前がこの流派を継ぐことになる」
メルベルは呟いた。本当は「息子よ」と付け加えたかった。だが、それは言えない。
「はい、師匠」
ガレスは力強く答えた。
遠く離れた廃屋では、ニイナが痛みに耐えながら、同じ型を思い出していた。
あの男——メルベル・ボムとの戦いで見た、美しい剣技。
手首は動かない。だが、頭の中で何度も反芻する。
次に会った時は、完璧に再現してみせる。
そして今度こそ、父の仇を討つ。
三人の剣士が、それぞれの場所で、同じ流派の技を磨いていた。




