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第二十三話「隔たりの自覚」



朝の光が、神殿の白い石壁を黄金に染めていた。アルマは祠の前に立ち、深く息を吸い込む。三つ目の聖火受領。昨日までの不安は、もうどこにもなかった。


手を翳す。聖火が彼女の体に流れ込んでくる。熱い、だが耐えられない熱さではない。むしろ心地よいとさえ感じる。アザリアの地獄のような訓練が、確実に実を結んでいた。


「見事ね」


監督の巫女が感嘆の声を上げた。


「こんなに短時間で三つ目を受領した生徒は、久しぶりよ」


アルマは誇らしげに胸を張った。自分の成長を、はっきりと実感できる瞬間だった。


その頃、メルベルは神殿の一室で、急遽駆けつけたナブと向き合っていた。重い沈黙が二人の間に横たわる。


「そんなに強いのか」


ナブが口を開いた。


「お前の娘は……ニイナは」


メルベルは肩をすくめた。自嘲的な笑みを浮かべながら。


「お前と同じくらいかな」


「俺と?」


ナブの顔が苦いものになった。それがどれほどの脅威か、痛いほど理解できる。そして、少しだけ笑った。


「やっぱり血は争えないな」


「ああ」


メルベルも苦笑する。だが、すぐに眉を顰めた。


「それより、お前、もうちょっと息子の方をしっかり鍛えておいてくれると思ったんだが」


「は?」


「全然じゃないか。昨日、あっという間にやられてたぞ」


ナブの表情が険しくなった。


「聞いたよ。刃を丸めた剣で練習させて、体中アザだらけだったそうじゃないか」


声が低くなる。


「お前、人の家の子に何してるんだ?」


「俺の子だった時期の方が先だ」


メルベルは憮然として言い返した。ナブは深いため息をつく。


「アルマの話も聞いた。アザリア様も大概だな。気絶が一度や二度じゃないって」


「ああ」


「虐待だぞ、それ」


「アザリアも昔、同じような訓練を受けたと言っていた。お前らが甘いだけだろう」


「全く、なんて親だ」


ナブは頭を振った。この男と議論しても無駄だ。話を変える。


「で、どうする?」


メルベルは立ち上がった。剣を腰に差しながら。


「神殿の警備を固めておけ。全ての神殿だ」


「分かった」


「あれ以上強くなられたら、捕獲は不可能になる」


メルベルは扉に向かって歩き始めた。ナブが背中に声をかける。


「お前はどうするんだ?」


足が止まった。メルベルは振り返らずに答える。


「さあな」


そして、恐ろしいほど軽い口調で付け加えた。


「手首でも切り落とすか」


扉が閉まる音が、妙に大きく響いた。ナブは一人残され、友の言葉の真意を測りかねていた。冗談なのか、本気なのか。


神殿の宿舎では、ガレスとアルマが突然できた休息を持て余していた。護衛の戦士たちが扉の外に控えているのは分かっている。自分たちが狙われているという話も聞いた。だが、実感が湧かない。


「暇ね」


アルマがベッドに寝転がりながら言った。


「カードでもする?」


ガレスは古びたカードの束を取り出した。旅の必需品の一つだ。二人は向かい合って座り、ゲームを始める。だが、話題は自然とあの少女のことになった。


「なんであんなことするんだろうね」


アルマが首を傾げる。


「すごい才能があるんでしょう?」


彼女は手を翳し、聖火を出してみせた。小さな炎が掌の上で揺れる。


「私、三つでもこれなのに」


数分も経たないうちに、炎は消えてしまった。額に汗が滲んでいる。


「あの子、私とそう歳は変わらなかったよね?」


「ああ」ガレスは頷いた。「でも、なんていうか……手品みたいだった」


「手品?」


「手の上で、炎で蝶みたいなのを作ってた。ひらひら飛ばして」


「信じられない」


アルマは目を丸くした。


「そんなの、上級巫女でも無理よ。教官の巫女だって、きっとできない」


ガレスは項垂れた。


「俺も全然歯が立たなかった。先生が来たから助かったけど……」


小さくため息をつく。


「でも俺、教官から一本取ったりとかはできるんだぜ、一応……」


声が段々小さくなっていく。アルマは兄の肩を叩いた。


「そんなすごい人なのに、なんで犯罪者なんかに」


「分からない」


ガレスは窓の外を見つめた。


「でも、あんなに強い人でも、メルベル先生と戦ってすぐに逃げたんだ」


声に畏怖が滲む。


「俺とそんなに違わない年の女の子なのに……世界が違いすぎる」


そして、ようやく理解したように呟いた。


「俺が毎日アザだらけになるまでしごかれて、そんなの当然だったんだ」


「兄さん……」


アルマは心配そうに兄を見つめた。いつも自信満々だった兄が、初めて見せる弱気な表情。それは、本物の強さを知ってしまった者の、正直な恐怖だった。


窓の外では、神殿都市が平和な午後を迎えていた。人々が往来を行き交い、商人たちが声を張り上げている。まるで昨日の騒動など、なかったかのように。


だが、どこかで一人の少女が、次の機会を窺っている。


父の仇を討つために。


そして、その父は今、娘の手首を切り落とす覚悟を固めつつあった。


カードゲームは続いていたが、二人とも心ここにあらずだった。手札を見つめながら、それぞれが違うことを考えている。


ガレスは、あの少女の冷たい笑顔を思い出していた。


アルマは、兄を傷つけた暗殺者への怒りを募らせていた。


どちらも知らない。あの少女が、本当は誰なのか。そして、これから起きる悲劇の序章に過ぎないことを。


「ねえ、兄さん」


アルマがカードを見つめながら言った。


「あの子が言ってた、父の仇って……どういうことだろう?」


ガレスは手を止めた。


「メルベル先生が、あの女の子の復讐の対象だって言ってたよな」


「変よね」アルマは眉を顰めた。「メルベル先生が誰かの父親を殺したって?」


ガレスは少し考えてから、ナブの言葉を思い出した。


「ああ、でも父さんが言ってただろ。あれは出鱈目だって。有名な戦士の名前を騙って、警戒心を解こうとしたんだって」


「そうか……」


アルマは納得したような、しないような表情を浮かべた。


「まあ、そうよね。あの人、得体が知れなさすぎるし」


彼女は身震いした。


「雰囲気もすごく変だったもんね。人形みたいっていうか、感情がないっていうか」


「ああ」


ガレスも同意した。あの冷たい瞳を思い出すと、背筋が寒くなる。


「しばらく私たち、ここでみんなに守ってもらうように言われてるし」


アルマはベッドに寝転がった。


「特訓もしなくていいってのは、ありがたいけどね」


「確かに」


ガレスも苦笑した。体中の痣が、ようやく治りかけているところだ。


二人はぼんやりと天井を見上げた。守られているという安心感と、何もできない無力感が、奇妙に混ざり合っている。


「でも、今なら分かる気がする」アルマは真剣な表情で言った。「あれくらいやらないと、本当の敵とは戦えないんだって」


ガレスも頷いた。


昨日までは理不尽だと思っていた訓練が、今は必要最低限のものに思える。それほどまでに、あの少女の強さは圧倒的だった。


二人は黙ってカードを切り直した。


外では、日が傾き始めている。長い一日が、終わろうとしていた。

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