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第二十話「本当の地獄」



次の村に着くなり、メルベルは荷物から何かを取り出した。


それは、刃を丸めた鉄剣だった。木剣とは違う、本物の重さと殺気を帯びた武器。


「今日から、これを使う」


ガレスの顔が青ざめた。


「で、でも、これは……」


「始めるぞ」


メルベルの声に、今までとは違う何かが宿っていた。氷のような冷たさと、底知れぬ怒りが混じり合ったような響き。


構えを取った瞬間、ガレスは理解した。


今までの訓練は、遊びだった。


メルベルの剣が、風を切って襲いかかる。ガレスは必死に避けようとしたが、腕に激痛が走った。刃は丸められているが、衝撃は本物だ。骨が軋む音が聞こえた。


「遅い」


次の一撃が、脇腹を打った。息ができない。膝をついたところに、剣が首筋に当てられる。


「死亡」


メルベルの表情は、鬼そのものだった。今まで地獄だと思っていた訓練での厳しい顔など、優しい微笑みに思えるほどの恐ろしさ。


「立て」


ガレスは震えながら立ち上がった。体中が痛い。でも、立たなければ、もっと恐ろしいことになる気がした。


「なぜ避けなかった」


「速すぎて……」


「言い訳するな」


また剣が飛んでくる。今度は肩を打たれ、腕が痺れた。


(これは……本当に殺される)


ガレスは本能的な恐怖を感じた。メルベルは絶妙な力加減で、骨が折れないギリギリの強さで打っている。しかし、それでも十三歳の少年にとっては、死ぬか生きるかの真剣勝負と変わらなかった。


一方、アルマも地獄を味わっていた。


「錫杖を使いなさい」


アザリアが、重い金属の杖を差し出した。手に持つと、ずしりと重い。


「これで聖火を?」


「当然でしょう」


アザリアの声も、いつもと違っていた。優しさの欠片もない、冷徹な指導者の声。


アルマが錫杖から聖火を出そうとすると、制御が効かない。杖が増幅器となって、炎が暴走する。


「集中しなさい!」


アザリアの叱責が飛ぶ。


「そんな弱い意志で、敵と戦えると思っているの!?」


「で、でも、難しくて……」


「言い訳は聞きたくない」


錫杖から噴き出した聖火が、アルマ自身を焼きそうになる。慌てて消そうとするが、うまくいかない。


「力に飲まれるな!お前が支配するの!」


アザリアの声が、鞭のように響く。


「こんなことで音を上げるなら、巡礼なんてやめなさい!」


涙が出そうになるが、泣いている暇はない。必死に錫杖をコントロールしようとする。しかし、疲労が限界に達し、意識が遠のきそうになる。


「まだよ!」


アザリアの声で、かろうじて意識を保つ。


夕方、祠での浄化作業の時間になった。


普段なら訓練と思うところだが、今日は違った。


「やっと……休憩だ」


ガレスが呟いた。全身があざだらけで、まともに立っているのもやっとだ。


「私も……」


アルマも疲労困憊だった。錫杖の訓練で、精神力を全て使い果たしていた。


祠の前に座り、浄化作業を始める。これが休憩に思えるなんて、二週間前の自分たちが聞いたら信じないだろう。


その夜、二人は泥のように眠った。


食事も喉を通らず、風呂に入る気力もない。ベッドに倒れ込むと、すぐに意識が闇に沈んでいった。


深夜、メルベルとアザリアは宿の屋上で密談していた。


月明かりの下、二人の表情は深刻だった。


「娘が……ニイナが現れた」


アザリアの声は震えていた。十三年ぶりに聞いた娘の名前。しかも、敵として。


「本来なら、ガレスと一緒に、家でのんびりと育っていたはずなのに」


涙が頬を伝う。


「可愛い盛りを全部奪われて……今は、憎しみの戦士として」


メルベルは、アザリアの肩に手を置いた。


「ガレスが話した内容から、大体の事情は察しがつく」


彼は冷静に分析を始めた。


「カーカラシカという姓は、ギシュガルが名乗っていた姓だ」


「ええ」


「おそらく、ニイナは攫われた後、闇の炎の戦士として育てられた。ギシュガルの部下たちに、『死んだギシュガルの仇を討て』と教え込まれたんだろう」


アザリアは唇を噛んだ。


「予知夢で見た光景とも一致する」メルベルは続けた。「父の仇と叫んで切りかかってきた理由も、それで説明がつく」


「ギシュガルを父と思い込まされている……」


アザリアの声に、深い悲しみが滲んだ。


「それに」アザリアは別の懸念を口にした。「ガレスが聞いた話だと、ニイナは聖火を四つ持っていると言ったそうね」


「ああ」


「でも、それも疑わしいわ」


アザリアは指折り数えた。


「未登録の巫女は、基本的に都市部の聖火には近づけない。警備が厳重だから」


「確かに」


「もし本当にはぐれの巫女がいたとしたら、取れる聖火は限られている。エリドゥ、ジッパルの山岳地帯、キシュの森。この三つくらいでしょう」


「三つか」


「でも、ガレスは四つと聞いて信じた。ということは……」


「ニイナは、かなり強い才能を持っている」


メルベルが結論を出した。


「三つでも、相当な力だ。それを四つに見せかけられるほどの」


「ええ」アザリアは頷いた。「それだけの聖火を扱えるということは、法力も凄まじいはず」


「剣技の方は予想がつかないが」メルベルは腕を組んだ。「ギシュガルの部下が育てたなら、相当な腕前だろう」


「ガレスやアルマでは……」


「勝ち目はない」


メルベルは断言した。


「一瞬で殺される」


二人は暗い表情で顔を見合わせた。


「靴屋での出会いも、偶然じゃない」アザリアが言った。「ガレスと接触するために、計画的に近づいたのよ」


「ああ。様子を探りに来たんだろう」


「でも、なぜ今?」


メルベルは苦い表情を浮かべた。


「きっと、ニイナが俺たちを襲って勝てるだけの力量が付いたと判断したんだろう」


アザリアが息を呑む。


「もし、靴屋で襲われていたら……」


「ガレスは死んでいた」


メルベルは断言した。その言葉の重さに、アザリアの顔が青ざめる。


「動き始めたことは確かだ」


メルベルは懐から通信機を取り出した。


「ナブに連絡を取る」


「ええ、お願い」


通信機のボタンを押すと、しばらくして向こうから声が聞こえてきた。


『メルベル?こんな時間にどうした』


ナブの寝ぼけた声だった。


「緊急事態だ」


メルベルの声の調子で、ナブもすぐに目が覚めたようだった。


『何があった』


「娘が現れた」


『娘?まさか……』


「ニイナだ。ガレスと接触した」


通信機の向こうで、ナブが息を呑む音が聞こえた。


『本当か?』


「ああ。特徴を言う。金髪碧眼、アザリアによく似た顔立ち。そして、曲剣を持っている」


『曲剣を?巫女が?』


「ギシュガルの部下に育てられたようだ。カーカラシカという姓を名乗っている」


『なんてことだ……』


「ナブ、頼みがある」


『何でも言え』


「もし見つけたら、捕縛を試みてくれ。ただし……」


メルベルは言葉を選んだ。


「恐らく、凄腕だ。並の戦士や巫女では歯が立たない。単独で当たらせるな」


『そんなに強いのか?』


「ガレスの話では、聖火を四つ持っていると」


『四つ!?その年で?』


「信じられないが、本当らしい。下手をすれば……」


「殺される」


アザリアが横から付け加えた。


『分かった。精鋭部隊を編成する。見つけ次第、包囲して捕縛を試みる』


「頼む。そして……」


メルベルは少し躊躇してから言った。


「できれば、生け捕りにしてくれ」


『当然だ。君たちの娘だろう』


「いや、もう……」


メルベルは言いかけて、口を閉じた。


十三年間、敵の手で育てられた娘。もう、自分たちの知っている子供ではない。


『とにかく、全力を尽くす』


「ああ、頼む」


通信を切ると、メルベルは深いため息をついた。


「どうする?」アザリアが聞いた。「このまま旅を続けるの?」


「続けるしかない」メルベルは空を見上げた。「ここで逃げても、いずれは追いつかれる」


「でも、ガレスとアルマが……」


「だから、鍛えるんだ」


メルベルの目に、決意の炎が宿った。


「少しでも強くして、生き残れるようにする」


「そうね……」


アザリアも頷いた。しかし、不安は消えない。


「目を離さないようにしよう」メルベルが言った。「二人きりにさせるな。特にガレスは」


「ええ。ニイナが狙っているのは、間違いなくガレスよ」


「予知夢の通りなら……」


二人は同時に黙り込んだ。


予知夢では、メルベルがニイナの手首を切断していた。そして、ガレスとニイナが殺し合っていた。


その未来を変えることはできるのか。


「とにかく、明日からもっと厳しくする」


メルベルが言った。


「生き残るために」


「ええ」


二人は、月を見上げた。


同じ月を、どこかでニイナも見ているのだろうか。十三年前に失われた、愛する娘が。


「ニイナ……」


アザリアが小さく呟いた。


その名前は、風に乗って夜空に消えていった。


翌朝、地獄は続いた。


いや、さらに激しくなった。


ガレスは朝から晩まで、鉄剣で打たれ続けた。体中が悲鳴を上げているが、メルベルは容赦しない。


「敵は待ってくれないぞ!」


「もっと速く!」


「そんな動きで生き残れると思っているのか!」


アルマも、錫杖の訓練で限界を超えていた。


「集中!集中!集中!」


アザリアの声が響く。


「甘い!もっと力を込めて!」


「敵はお前の何倍も強いと思え!」


二人の若者は、なぜ急に訓練が厳しくなったのか分からなかった。


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