第十一話「予言の共有」
夜が更けても、アザリアの自責の念は消えなかった。
「私のせいだ……私が、ほんの少し目を離した隙に……」
ベッドの上で、彼女は同じ言葉を繰り返していた。顔は涙で濡れ、体は小刻みに震えている。
メルベルは妻の隣に座り、優しく肩を抱いた。そして、アザリアのお腹にそっと手を当てた。
「まだ俺たちには、この子がいる」
温かい手のひらで、まだ小さな命を感じ取ろうとするように、ゆっくりと撫でた。
「アザリア、お前がここで折れてしまったら、すべてがなくなってしまう。気をしっかり持ってくれ」
「でも……」
「聞いてくれ」メルベルは妻の顔を両手で包んだ。「これは俺の不注意だった。あれだけ計画的な行動なら、誰がいても防ぐのは難しかった。俺でも無理だっただろう」
「違う!」アザリアは首を振った。「私が郵便屋なんかに気を取られなければ……」
「責任はお前にはない」メルベルは断言した。「俺が家を空けていた。俺が守れなかった」
しかし、アザリアは聞き入れない。
「私のせいよ……私が母親なのに……」
メルベルは、これ以上言葉を重ねても無駄だと悟った。疲労と自責で憔悴した妻に、睡眠薬入りの水を飲ませた。
「少し休んでくれ。明日も捜索は続く」
やがて、アザリアの呼吸が規則的になった。眠りに落ちたのを確認して、メルベルは静かに部屋を出た。
書斎で、アジョラが待っていた。
「アザリアは?」
「やっと眠った」メルベルは疲れた声で答えた。「母さん、実は話しておかなければならないことがある」
アジョラの表情が引き締まった。
「何ですか?」
メルベルは深呼吸をして、予知夢の内容を話し始めた。
「最近、夢を見るんだ。予知夢だと思う」
「どんな?」
「ニイナに似た戦士が、俺と戦う夢だ。黒い甲冑を着て、ギシュガルと同じ技を使う」
手首を切断する場面については、さすがに言えなかった。その代わり、もう一つの夢について話した。
「そして、これから生まれる息子と、その黒い甲冑の少女が戦う夢も見た。おそらく……二人は殺し合うことになる」
アジョラの顔色が変わった。そして、普段の穏やかな表情が消え、かつての聖女の厳しい顔になった。
「なぜもっと早く言わなかったのです!」
怒気を含んだ声に、メルベルは俯いた。
「信じたくなかった。まさか自分の子供たちが……」
アジョラは立ち上がり、窓の外を見つめた。
「おそらくですが」彼女の声は冷静だが、怒りが滲んでいた。「攫った集団はルカヴィの生き残りでしょう。あなたの夢で孫が使っていた剣技が、ギシュガルのものなら間違いありません」
「つまり?」
「敵は、ニイナを新しいルカヴィとして育て上げ、私たちと戦わせるつもりです。復讐の道具として」
メルベルは頭を抱えた。愛する娘が、敵の手で憎しみの戦士に育てられる。これほど残酷なことがあるだろうか。
「他に夢は見ましたか?」アジョラが聞いた。
メルベルは首を振った。
「いいえ、この二つだけです」
アジョラは深いため息をついた。
「アザリアを決して折れさせてはいけません。お腹の子に障ります」
そして、決意を込めて言った。
「お腹の子は、今度こそ絶対に守らなければなりません。そして、強靭な戦士として育てる必要があります」
「でも……」
「あなたのお父様がしたような隔離は、もちろんやりすぎですが」アジョラは苦笑した。「でも、備えは必要です」
メルベルは、ふと思い出したことを口にした。
「そういえば、夢の中で息子が使っていた剣技は、俺のものとは違った気がする」
「どういうことです?」
「俺の流派の曲刀じゃなくて、直剣だった。構えも動きも、ナブの剣技に近かった」
アジョラは考え込むように顎に手を当てた。
「なるほど……」
しばらくの沈黙の後、彼女は驚くべき提案をした。
「メルベル、これは辛い決断になりますが……その子は、ナブの息子として育てた方がよさそうです」
「何だって?」
「予知夢がそう示しているなら、それに従うべきです。アザリアには申し訳ないですが……」
アジョラの顔に、深い悲しみが浮かんだ。
「私のように、26年間も完全に会えないよりは、ましでしょう。時々は会えるはずです」
メルベルは衝撃を受けた。母は、自分と同じ苦しみを息子に味わわせないために、別の道を提案している。
「でも、アザリアが……」
「今は何も言わないことです」アジョラは断言した。「ニイナのことは……もはや手遅れです。まずは無事に男の子を産んでもらわなければいけません」
メルベルは黙って頷いた。
窓の外では、月が雲に隠れたり現れたりを繰り返している。まるで、彼らの未来のように、光と闇が交錯していた。
「母さん」メルベルが呟いた。「俺たちは、運命を変えることができるでしょうか?」
アジョラは息子の肩に手を置いた。
「あなたのお父様も、きっと同じことを考えたはずです。そして、あの過酷な訓練という形で、運命を変えようとした」
「結果は?」
「あなたは生きています。それが答えです」
そして、アジョラは静かに付け加えた。
「微睡の魔王の脅威も去りました。今度も最善を選び続ければ、必ず良い結果になります」
メルベルは母の言葉を噛みしめた。
父も、予知夢を見ていたのかもしれない。だからこそ、あの地獄のような訓練を課したのかもしれない。全ては、息子を守るために。
「この呪われた予知夢を覆せるのか?」
メルベルは母と真剣な眼差しを交わした。アジョラの瞳には、確かな決意が宿っていた。
「明日、ナブに連絡を取ります」メルベルは決意した。「まずは捜索の範囲を広げてもらう」
「そうしてください」アジョラは頷いた。「そして、時が来たら……」
言葉は続かなかった。二人とも、これから下さなければならない決断の重さを理解していた。
夜は更に深まっていく。屋敷は静寂に包まれているが、それぞれの心には嵐が吹き荒れていた。
失われた娘、これから生まれる息子、そして避けられない運命。
メルベルは拳を握りしめた。




