本当の敵とは
自分自身を敵に回した晴奈は戸惑い、困惑し、そして延々と苦しまねばならなかった。
(来る! ……であれば恐らく、初太刀は!)
自分がいつも仕合や稽古の時に取る動作を思い出し、初太刀はきっちりと受ける。そのまま攻撃に転じようとしたが――。
(……やはりか)
自分が受けた時と同様、相手もきっちりと受け返す。そしてもちろん、相手もそのまま攻撃に回るが、当然晴奈も受け切る。
(堂々巡りだ)
どう攻めても、どう守っても、一向に平行線をたどり、決定打に結びつかない。相手の苦々しげな顔を見て、晴奈も苦い顔で返した。
(相手も一言一句違わず同じことを思っているのだろうな。……そう、それが問題だ)
自分が考えうる限界の動きを、相手もその限界ギリギリでこなしてくる。「自分ならばこう対処する」と言う戦術・戦法も、相手がそっくりそのまま使ってくるため、意味が無い。力技で押そうとしても、同等の力で押し返してくる。
(仮に今、己の持てるすべての力を使い切り、捨て身になったとしても、相手も同じ力量で立ち向って来るであろうことも、その結果相討ちになることも明白だ。
これでは将棋の千日手、囲碁のコウと同じではないか)
打つべき手が見出せず、晴奈は今までに無いほどに苦しめられた。
そして晴奈は――薄々ながらも、自分自身に怯えていた。
(私が、私を殺そうとしている)
自分自身と戦ってからずっと、その「自分自身」からひどく重苦しく、冷たい悪感情をぶつけられていた。それはこの19年で最も鋭く、最も強い殺意だった。
(こんなに私は殺気立っていたのか? これほどの殺意を、私は人にぶつけていたのか? ……私と戦った者は皆、こんな気持ちだったのだろうか)
相手を倒せない焦りと、絶え間なく浴びせられる殺意で、晴奈の手足が重たくなってくる。
(殺意とは、これほど心を刺すものなのか。私は激情に任せ、こんな悪意を撒き散らして生きていたのか)
晴奈の心の中に、じわりと罪悪感が染み出した。
(どうすればいい……?)
晴奈は戦い始めてから途方も無い時間が経ったように感じていたし、実際、両者とも疲労が蓄積しているのが、己の肉体の重さと、相手の顔色で分かる。
(ここまで私が手強いとは。どうすれば倒せる? どこに隙がある? 何が弱点だ? ……駄目だ、策が浮かばない。ともかく、倒さなければ!)
そう考えたところで、晴奈は自分の思考の齟齬に気が付く。
(……『倒す』とは? 倒さなければならない理由があったか? よく考えればこの試験を修了するには、24時間眠らずにいればいいだけではないか。『敵を倒せ』などとは言われていない。……となると、こちらから何かする理由が無い。何もしなくていい)
そう考えた晴奈は刀を正眼に構え、相手との距離を取った。それでも相手は襲い掛かってくるが、その都度刀を弾き、距離を取る。
(こちらはただ防御し、攻撃は一切行わない。私は、何もしない)
やがてその状態で5分も経った頃、相手も正眼に構え、そのまま静止した。そのまま立ち尽くすばかりとなり、晴奈はここでようやく、落ち着いた心で己の身の振りを思い返すことができた。
(こちらが戦えば、相手も戦わざるを得ない。ならばこちらが戦おうとしなければ、相手もわざわざ戦おうとはしない。相手が戦おうとしてもこちらが応じなければ、戦いにはならぬ。……そう考えれば、戦いのなんと無益なことか。戦えば戦うだけ、私も相手も体力と時間を費やし、いたずらに傷つけ合い、苦しめ合う。それで得られるものがあるならまだしも――この場のように――戦うことに意味が無いのなら、戦っても何の得にもならぬ。得をせぬならば、戦わなければよいのだ。
無益な戦いは避けるべし――そうか。そんな、単純な理屈。しかしそれこそが、この試験の本意なのか)
そのまま双方微動だにせず、晴奈と晴奈は静かに向き合い続けていた。




