最も憧れた人
堂に籠ってしばらくが経ったはずだったが、晴奈にはそれがどのくらいであるのか確認する術は無く、また、その余裕も無かった。
「ゼェ、ゼェ……わけが、分からぬ」
この時既に20人近い手練を打ちのめしていたはずだったが、倒して目を離した途端、いなくなる。その手練たちも、晴奈にとっては信じがたい面々ばかりだった。
(黒炎教の者が襲ってくる……と言うのは、まだ分かる。こんなところに来るのは不可解だが、私に襲いかかってくるのはまだ、道理が立つ。分からぬのは小鈴殿や柏木殿――私と親しくしてくれていた者、焔流の同門までもが、私に襲いかかってくることだ。
一体、何故だ? 今、何が起こっている?)
19歳にして剣術を極めた晴奈とて、何時間も兵たちを相手にし続けては、流石に疲れも色濃く表れてくる。肩で息をし、後ろでまとめた髪はとうにほつれ、乱れている。敵から受けた傷も少なくなく、それを体現するかのように鉢金が、パキ、と音を立てて割れた。
(考えるひまも無い……次は、次は誰が来る!? どのように!?)
と、またしても敵が現れた。その姿を目にし、晴奈は「あっ」と声を上げた。
「し……師匠」
「……」
その雪乃らしき者は一歩、踏み込んでくる。瞬間、晴奈の全身にぞくりと怖気が走る。
(殺気!?)
その一挙手一投足には明らかに自分を仕留めに掛かる気配がにじみ出ており、晴奈はとっさに構え、斬撃を防――ごうとしたが、自分の心がそれを否定する。
(違う……受けるな、避けろッ!)
構えを解き、大きく体をのけぞらせる。直後、晴奈の右二の腕からばっと血しぶきが上がった。
「うぐっ……」
体勢を大きく崩しながらもどうにかその太刀筋をかわし、晴奈は改めて間合いを取り、相手と対峙した。
(師匠の『必殺技』――家元も称賛した当代最高、神速の居合抜き、……か? は、速すぎて何がなんだか分からなかったが……もし刀で受けていたならその刀ごと叩き斬られ、私の上半身は宙を舞っていただろう。腕を斬られはしたが、……幸い、まだつながっているようだ。ちゃんと動く。骨や神経を断たれたわけではないらしい。
迷うな! 当惑するな! しっかりしろ、黄晴奈! 最早敵だ味方だと分ける意味は無い。誰であろうと襲ってくるこの状況で逡巡すれば、死ぬのみだぞ!)
この世で最も信頼を置く相手から殺気をぶつけられてもなお、晴奈は戸惑う心を無理矢理に抑え込み、覚悟を決める。
(今考えるべきは目の前の――『敵』を倒すことだ!)
晴奈は刀を構え直し、改めて対峙する。
「……ふーっ……」
全神経を一点、相手の刀に集中し、その切先が動く瞬間をじっと待つ。
「……」
やがて相手は刀を振り上げ、飛び掛かってきた。
(……袈裟斬り!)
刹那、晴奈も応じる。刀を脇に構え、低く跳ぶ。
「ぐっ……!」
やはり神速の太刀を完全に避け切ることはできなかったものの――一歩分体が前に進んだことで切先ではなく、切れ味の悪い鍔元が肩に食い込むに留まった。
「くっ……う、うお、おあぁぁッ!」
痛みからの叫びを気合の声に変え、晴奈は刀の柄を相手の鳩尾にねじり込んだ。
「……っ」
相手から息が漏れる気配を感じる。すかさず晴奈は一歩退いて上段に構え直し、逆に袈裟斬りを極めた。
「……やっ……た……!」
相手が左前側にまとめていた三つ編みごと、肩から胴に向けて切り裂いた瞬間――晴奈の中に安堵と後悔と、そして違和感が生じた。
(師匠に勝った……師匠を斬ってしまった……が……何かがおかしい)
倒れゆく相手の姿と、床に落ちた三つ編みとを見て、その違和感が確信に変わった。
(今朝会った時も、昨夜就寝の挨拶を交わした時も、師匠は三つ編みなどしていない。稽古の邪魔であるし、師匠は普段、御髪を後ろで束ねている。そもそも三つ編みにしているのを見たのは……6年前、私が黄海で初めて出会った時だけだ。それを考えると……師匠の出で立ちも妙だ。道着姿ではない。初めて会った時に見た、旅装ではないか)
あえて晴奈は倒れ伏した相手から目を逸らし、もう一度視線を戻してみる。薄々気付いていた通り、そこに師匠の姿はもう無かった。
(よくよく考えればウィルバーもおかしかった。小鈴殿から聞いたが、彼奴は私の1つ上だと言う。となれば今は20歳のはずだ。どう考えても4年前と全く同じ、16歳の顔立ちであるわけがない。……つまりこう言うことか。
伏鬼心克堂、ここは心の中のものが現実に現れる。私が今の今まで戦ってきたのは、何のことは無い、私自身の心の中――思い出の中にあった『強敵』の心象だったのだ)
それに気付いた途端、晴奈はふっと笑みを漏らした。
(だが乗り越えたぞ……! 私が今まで出会ってきた数々の強敵たちを、こうして一人残らず倒してやった!)
そして――清廉な剣士ならば決して抱いてはならないであろうこんな傲慢な考えが、頭の中によぎってしまった。
(私こそが最も強いのだ)
その瞬間、これまでにないほどの殺気を感じ、晴奈は振り向いた。
「うっ……!?」
そこに現れた姿を見て、晴奈は絶句した。
(この阿呆……! よりにもよって『こいつ』を……)
目の前に現れたのは自分自身――晴奈だった。




