皇太子殿下は婚約者と見つめ合いたい〜未来の宰相の憂鬱〜
10分で読める。ほのぼのラブコメです。
ミルフォード・ウェンディ・アルフォート皇太子は悩んでいた。婚約者が絶対に自分を見つめなかったからだ。
ミルフォードは王位継承第一位であり、幼少期から見られる立場にあった。金髪碧眼、整った顔立ち、愛くるしい笑顔は幼少期から臣下と国民に愛された。
青年になり剣戟で身体は鍛えられ、背は一段と高くなる。優雅さと理知的な笑みで社交界の貴族令嬢を魅了し、言い寄った令嬢達を貴族紳士の恋人に仕立て上げる巧みな話術は男女共に好感を呼び絶対的な影響力を持っていた。
けして高慢にならず、常に謙虚で王家を支える者を心から労う姿は国民から信頼厚く、絶大な人気があった。
皇太子が行けば、誰しもが皇太子を見た。
麗しき若き太陽。
目を合わせれば幸運が招かれると信じる者さえいた。
なぜなら彼は不敬だとは誹らず、必ず微笑んだから。
微笑みは優しさと慈悲深さを示している。――――
この物語は麗しく完璧な皇太子が最愛の婚約者の視線を獲得する、その幕間である。
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次々と差し出される書類は執務机の上で山になっている。勉強の為と現国王は実務的な職務の一部を皇太子に担わせていたが、仕事が遅々として進まなかった。
1時間以上も皇太子は羽ペンを持ったまま同じ姿勢で書類を睨んでいた。
「……殿下、サインを頂かないと、半年後に式を挙げる為の予算が執行できません。何か不満でも?」
そばに控えているのは将来皇太子の宰相としての立場が約束されている、ベネティクト・ヒューバート公爵だった。
艶やかな黒髪は緩く波打ち、肩で切り揃えられ、長めの前髪が中性的な顔立ちを際立たせる。しかし殿下の右腕として鍛え抜かれた身体は逞しく、日に焼けた肌は文人というより武人にさえ見えた。
ベネディクトは皇太子と同い年であり、幼少期から共に過ごす臣下である。皇太子と2人の時には古くからの流れでやや砕けた口調となっていた。
「ベネティクト。私の婚約者が視線を逸らす事についてどう思う?」
そっちか。とベネティクトは思った。
皇太子の婚約者エンズリー・ブルネッタ・ダウンワード公爵。銀髪の髪は緩やかにうねり、腰元まで届いている。陶器の肌と小柄で円やかな身体。
深層の令嬢として社交界に姿を表す事は稀であったが、皇太子が幼少期に一目惚れした事もあり、急遽皇太子自ら社交界へ招待。様々な策略をへて連れ出され婚約者となった令嬢である。
種々の根回しと皇太子からの密命を受けて駆けずり回わり、ベネティクトの寿命を縮めた張本人……。
「エンズリー様へお命じになったらどうです。殿下には立場がありますから」
「命じたが無理だった」
命じたんかい!表情こそ変えなかったが、ベネティクトは自分の冗談さえも既に試している皇太子の強かさに対して密かに尊敬の念を抱いた。
殿下が詰め寄り、目を白黒させる令嬢。
とても絵になる風景だ。それもこの完璧な麗しさと美しさがあるからこそ成せる技。
「不敬だと言って処罰されますか?」
「お前は馬鹿か?未来の妻をなぜ罰するんだ」
眉をひそめる皇太子は全く冗談が通じない。
気づかれないように、ため息ならぬ、息付きをした。日ごろ皇太子は冗談が通じぬ相手ではない。むしろ好んで使う方だ。それが無いのはおおよそ婚約者関連の時だけだ。
「殿下、のろけていないで仕事して下さい。ペン先のインクが乾いていますよ」
「真剣に悩んでいるのだ。あの調子では初夜が思いやられる」
初夜。
唐突な台詞にベネティクトは吹きそうになるが、自分の舌を噛んで耐えた。そして式の書類なんか最初に出すんじゃなかった……と心の中で反省した。
この様子では絶対にこの件が解決するまで、殿下は仕事を「あえて」進めない。
国王陛下が任命式で「まぁ何事も経験だ」とお言葉を述べられた意味を噛み締める。
火に油を注いでさっさと終わらせよう。
「数々の令嬢と浮名を流した貴方が何も手を打ってこなかったのですか?」
「ベティ、あれは叔父上の弾除けにされただけだ。その話を今持ち出さないでくれ」
ベティ。それは皇太子が幼少期から使うベネティクトの愛称だ。
ニ人だけの場でミルフォードが甘えたい、後ろめたい、本気の時、そんな時に使う呼称だった。
「我は散々に手は尽くした。しかし手が尽きた。どんなに見つめても愛しい君は目を伏せてしまう」
舞台がかった台詞にベネィこと、ベネティクトは皇太子が自分の反応を楽しんでいるなと理解した。
書類の山はまだ残っていて式典の段取りを打ち合わせる時間が刻々と迫っている。忙しい皇太子の時間管理も宰相である自分の仕事だ。客観的にどう見られているか述べ、一刻も早く終わらせよう。
「傍目から見ればエンズリー様は殿下を見ていらっしゃる。伏目がちな睫毛は恥じう乙女のようで初々しい……殿下、怖い目で見ないで下さい。貴方の婚約者に変な気を起こすわけないでしょう」
事実、エンズリー公爵令嬢は陛下に対してだけ、目を合わさない。
ベネティクトはエンズリーが頑張って皇太子と目を合わせようと婚約当初から努力しているのも知っている。恥ずかしさでその努力が空回りし、伏し目がちになっている事も。
そして伏し目がちな仕草は可憐さと愛らしさを際立たせ、社交界の令嬢の保護欲を掻き立てていることも。それもこれも皇太子がさりげなくフォローしているから成り立っているはいるが。
「エリーの振る舞いは完璧だ。ベティ、これは私の気持ちの問題なんだよ」
皇太子が婚約者をとてもとてもとても大切にしているのは誰もが知るところである。
「男として……エリーの視線を初夜に得たい!」
めんどくさー。贅沢な悩みだなコイツ。ご馳走様です。という言葉を全て飲み込み、ベネティクトは澄ました顔で提案した。
エンズリーがミルフォード皇太子と視線が合わせれないのは単に麗しい若き太陽を想うがあまり、見慣れてないからだ。
二人とも両思いならばやることをとっととやってしまえ。俺は溜まっている書類をさっさと片付けて欲しいんだ、という顔は流石にしなかった。
ベネディクトも一応は貴族である。
「舞踏会で使うマスクで目元だけ隠し、押し倒したらどうですか」
「ベネティクトの案か、名案だな」
皇太子が不敵な笑みを浮かべ、再びペンにインクを付け、書類に走らせた。
ベネティクトが言質を取られた事実に気付くのは翌日の午後である。
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「で、国王陛下と王妃殿下の御叱責にあったのですね」
そしてその後、ベネティクト自身も別室にて、国王陛下と王妃殿下から宰相らしからぬ提案だととばっちりを受けたのである。
「我が父と母は婚約者に甘すぎる。兄弟に女性がいないからと言って酷くないか?」
「殿下に皇女が有られたとしても間違いなくお二人はエンズリー様を大事にされるでしょうね」
「しかし……これでは初夜をどうすればいい?……俺はまず何をすればいいんだ?」
「仕事です!……仕事が溜まるので、手を動かして下さい。……エンズリー様も当日にはさすがに覚悟を決められましょう」
ミルフォードが、何かを思い出し、書類に走らせていたペンを再び止めた。
「……エリーに嫌われたかな?」
「いったい何をしたのですか?」
真剣な眼差しで皇太子はベネディクトを見つめた。
「エリーがあまりにも可愛くて、ドレスも脱がさずにそのドレスの下へ潜り込んでしまった」
ベネディクトは危うく持っていた書類を握りつぶしそうになった。
「わ、私は『押し倒せ』とは言いましたが、ドレスに潜れなんて言ってませんよ!」
「仕方ないだろっ!あんまりにも可愛かったから、つい……」
ミルフォードがグリグリとペン先を書類に押し付ける。
「つい、じゃありません。目的がズレてます!……そんな事をしたら私も擁護しきれませんよ!それと書類に穴を開けないで下さい!」
ベネディクトは慌てて書類を王太子の前から取り除く。
「お前までそんな、怖い目をしないでくれ。明日の公務はエリーも同伴するんだぞ……」
嫌われるのが嫌なら、せめて自制してくれよ……とは言えず、ベネディクトは一つ咳払いをし、さりげなくフォローした。
「大丈夫です。幸いエンズリー様からはまだ何もありません」
このフォローが翌日の王太子の心の傷に塩を塗る台詞になると、当のベネディクトは想像していなかった。
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二人だけの執務室でミルフォードはベネディクトに抱きつく。
「ベティ……!」
「よく我慢されましたね。公務の間、殿下が泣き崩れるんじゃないかとハラハラしていました」
公務の間、エンズリーはいつもより一歩分、ミルフォードから距離を取っていた。もちろん皇太子とベネディクトで無ければ気づかれない範囲でだ。
しかしそれは皇太子の繊細な心を傷つけるのに十分すぎた。
ベネディクトは自分に抱きつく御傷心の皇太子の背をさすりながら、執務机の上の書類の束に目をやった。……頼むから仕事を進めてくれ、何ていう思いは……ひとまず頭の片隅に追いやった。
「………お前は分かっていたのか」
ミルフォードはベネディクトを解放し、執務机の椅子に座す。
「何年、殿下と共にあるとお思いですか」
「宰相候補の任を解くつもりだったが、私の心が分かるのはお前だけだな」
「ははは。物騒なご冗談を。……ここは少し、エンズリー様に嫌われても様子を見てはどうですか?」
鋭く王太子がベネディクトを睨む。
「前言撤回させてもらおうか」
「お戯れを。押してだめなら引いてみろですよ?」
「それは駄目だ。……私の心が折れる」
ベネディクトは自分の胸に手を当てた。
「ならば貴方様の心が折れた時は、私がお支えして……真面目に言っているのに変な目で見ないで下さい!」
「男は範疇外だぞ!」
「殿下!……私だって妻子がいるのを知ってるでしょう!」
「悪かった。夫人の香水を匂わせているお前に嫉妬しただけだ」
「……まだ匂います?」
ベネディクトは自分の服を嗅いでみるが、夫人の香りに慣れすぎてよく分からない。
王太子は執務机の上で両手を組み、真剣な眼差しで宰相を睨んだ。何か真剣な話を……?………ベネディクトが息をのむ。
「奥方とはどうやった?」
「真昼間から話す事ですかっ!?」
さすが未来の宰相。皇太子の言葉にも怯まず、素早くツッコミを入れる。しかし皇太子は真面目な表情を、1ミリも変えなかった。
「夜はエリーと過ごすんだ。話す暇はない」
両手を組む真剣な皇太子の左右には今日中に決裁してもらわねばならぬ書類がある。ベネディクトはため息を付いた。
「……分かりました。仕事はして下さいよ」
いくらか時間が経ち、耐えきれなくなった、ベネティクトは顔を赤らめながら皇太子に指摘した。
「……殿下。ペン先があらぬ方へ滑っています」
「………嫉妬で手が震えるな」
「私の方が恥ずかしくて震えていますよ!」
ベネディクトは普段より大きな声になり、更に赤面せざるをえなかった。
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それから色々あって、ミルフォードとエンズリーは無事に結ばれたらしい。使用人達の噂を聞きベネディクトはホッとしていた。
しかし、ホッとしたのも束の間だった。ベネディクトは書類を持ったまま執務室の戸を叩き、返事を待って部屋に入った。
若き太陽はいつにも増して輝いて見える。
「ベティ!」
「おめでとうございます……と言いたい所ですが、陛下にも怒られたそうですね。エンズリー様のお身体を壊すと」
「じ、自制はしてる……しかし、溜まっていた仕事捗るな……いつもの時間の半分で終わった」
ベネディクトはサイン済みの書類を、確認して、トントンと揃えてから持っていた手紙……というよりはメモ………を王太子に差し出す。
「では、王妃殿下から。エンズリー様の新しい寝室の案です。……公務に支障があるので、エンズリー様と寝室は分けるように、とお申し付けがありました」
「なぜ最重要事項を朝一で言わない?……お前は私の宰相だろ?」
「宰相だからこそ言わなかったのです。言ったら貴方の仕事が進みませんから……」
「次、同じ事をしたらお前の任を解きかねん。母上の所に行ってくる」
ミルフォードは勢いよく立ち上がり、執務室を後にする。
この後王妃殿下と皇太子がずいぶん揉め、母子の間を取り持つ為、未来の宰相としての手腕を試される事になるのだが……。
ベネディクトがそれを知るのはもう少し後、また別の話である。
お読み頂きありがとうございました。
初ラブコメ、初ほのぼのです。
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反響が大きかったので、幼少期のミルフォードとベネディクト、エンズリーとの出会いを描いた連載を始めました。
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『皇太子殿下は婚約者と見つめ合いたい〜皇太子と未来の宰相〜』
友情と恋愛がテーマのゆる〜いラブコメです。婚約者も登場します。よろしければ覗いて見て下さい^_^