7 新婚さんの水泳
日間ランキング歴史部門で1位、ありがとうございます。
感謝の気持ちを込めてもう一本投稿します。
1ヶ月後、ガチガチに礼法を身につけた俺と江さんの結婚式が行われた。
秀勝様や信澄様みたいに近隣の大名は祝いの使者として重臣を送ってくれた。
1番驚いたのは羽柴殿が猿の格好をして来てくれた。
これにはみんな大爆笑だ。
江さんはまだ11歳、現代の価値観で言うとJCだがさすがはお市の方の娘、めっちゃ美人で聡明だ。
さすがに夜は手を出さなかったけど。
江との新婚生活は順調に進み秋になった頃、最近俺は思う事があった。
よく考えたらこういう転生モノって大体内政チートしてるよな。
しかし残念な事に俺が好きな歴史というのは政治とか戦争とかそういう話で農民の生活みたいなのは全く興味がなかった。
まあそういうのは富川が全部やってくれるから別にいいや。
「八郎様、民より是非食べて頂きたいと農作物を預かって参りました。」
噂をすれば富川がやって来た。
「おっ、桃じゃないか。早速貰うとしよう。」
流石は大都会岡山の桃だ。
みずみずしくて甘くてめちゃくちゃ美味い。
俺は桃を齧りながら富川に聞く。
「なぁ。今民達に不満ってあるかな?」
「ご案じなされますな。民は皆、八郎様の初陣でのご活躍を喜びますます忠誠を誓っておりまする。」
えっ?つまり俺が武功を上げれば民も喜ぶのか?
「じゃあ俺は武功を上げれば良いのか?」
「八郎様は武功を上げ上様の元でその名声を高めてゆかれるとよろしいでしょう。国のことは拙者にお任せくだされ。」
信長の〇望で言うところの委任かな?
まあ悪くない。
「わかった。民の事はこれまで通りそなたに一任致す。」
そう考えたらうちの家臣はバランスがいい。
忠家殿は外交に優れているし内政は富川にやらせばピカイチだし軍を率いるなら岡が適任だし先陣を切らせるなら花房ほど頼もしい奴はいないし長船貞親はこいつらのサポートをちゃんとしてくれる。
「ところで息子は元気か?」
富川は実は隠居して家督を息子の達安に譲っている。
なのでこいつは自分の城を持ってない。
「ええ。早う姫君にお会いしたいと申しております。」
「俺も早く嫁の顔を見せたいと伝えておいてくれ。」
この時、達安は色々と仕事が山積みでなかなか岡山城に顔を出せていなかった。
「ところで八郎様。失礼ながら最近少し太られたのでは?武士たるもの健康の管理は第一ですぞ。」
げっ……そういえば毛利を滅ぼしてからというもの部屋で寝て食って寝て食っての繰り返しだった……。
「何か良い運動はないかな?」
「泳ぐのは如何でしょう。ちょうど城の近くには川がありますし水浴びも出来て気持ち良いですぞ。」
ああ、水泳か。確かに8月だから暑いと思ってたんだ。
「おお、それは良い!早速泳ぎにいくとしよう。」
俺は早速城を飛び出し服を脱いで川に飛び込んだ。
戦国時代にはエアコンも扇風機も無いのでめっちゃ気持ち良い。
しかもそんなに深くもないし冷たくもないので最高だ。
「コラァッ!宇喜多の当主ともあろう方が何をしておる!」
忠家殿の怒鳴り声が聞こえてきた。
あーやっぱダメなのかな?
「川を泳いでおるのです!たるんだ体を引き締めようと思いまして!」
「なら城の外を走るとか武術の鍛錬をするとか他にもあるでしょうが!一国の主が裸になり川で泳ぐなど言語道断ですぞ!」
いや隠すところは隠してるし良いじゃんか……。
「親父も似たようなことをしておられたと聞きますぞ。良いではありませぬか。」
「親父って兄上はそのような事はしておられませぬぞ。」
「親父は上様の事でござるよ。」
それを聞くと忠家殿はギョエッって顔になった。
まあそりゃ焦るわな。
「八郎殿!上様に対してそのような……」
「上様よりそう呼べと言われたのですから良いではありませぬか?」
「上様が直々に……?なら致し方ありませぬな。風邪を引いたり川で流されないようにしてくださいな。」
「承知致しました!」
ほんとにコイツら前例を出すとすぐ引き下がるな。
そう言えば備前と言えば岡山、岡山と言えば桃太郎だ。
どこぞに桃など流れてこないかな。
信家が川で普通の子供と同じようにはしゃいでいる頃、薩摩の島津家では珍しい使者が訪れていた。
「龍造寺山城守隆信が家臣。鍋島左衛門太夫直茂にございます。」
「島津家当主、左衛門尉義久である。まずは遠路はるばるご苦労であった。」
「左衛門尉様、単刀直入に申し上げまする。当家と同盟を組んで頂けぬでしょうか?」
「ふん!肥後に手を出したのはどこの誰じゃ?」
義久の長弟の義弘が皮肉混じりに言う。
「目の前に取れる物があれば取るのは戦国大名として当たり前でございましょう。国境の問題に関しても当主山城守より託けを預かっておりまする。」
「ほう、申してみよ。」
義久が言う。
「龍造寺は肥後全域より撤退する。しかしその他の龍造寺領に関しては手だし無用。大友領は豊前を我ら龍造寺が、豊後を島津家が治める。」
「ほう、肥後を渡すとは。」
義久の次弟の歳久は少し驚いたように言う。
「その同盟は対大友の物か?それとも……。」
「事が済めば我らは中国、島津殿は四国より上洛致しましょうぞ。」
「ほお、大きく出たな。何故そこまでの自信がある?」
義久が顎髭を弄りながら聞く。
「公方様は今、肥前にいらっしゃいます。」
「なに!?」
平生を保っていた義久の目の色が変わった。
「何故公方様が肥前におる!我ら島津は源頼朝公より続く守護の血筋であるぞ!」
龍造寺はThe戦国大名とも言える成り上がり者の実力者だ。対する島津家は由緒正しき名門。
その島津より公方様こと足利幕府15代将軍の足利義昭が肥前にいることは屈辱に等しいだろう。
「そこでこの同盟が成れば公方様は薩摩に入って頂きます。全てが終われば公方様は島津様を副将軍に推挙すると仰られております。」
「副将軍……!」
他の家臣たちの目の色が変わった。
「ではお主らはどうするのじゃ?」
武人肌が多く喜ぶ家臣達の中で冷静な歳久が聞いた。
「北九州と中国さえ頂ければ。」
「肥前の熊も謙虚な物じゃな。お主が言いくるめたか?」
「いえ、これは山城守が自ら決めたことにございます。」
「どうする兄者。」
義弘が義久の方を向く。
「無論我らは公方様の上洛にお供する。山城守殿には良しなに伝えてくだされ。」
「良きお返事を頂き嬉しゅうございます。それでは公方様は近い内に薩摩にお送り致します。」
ここに龍造寺ー島津の同盟が成立した。
一月後には足利義昭が薩摩に入り義久は非公式ながら副将軍に任ぜられた。
お互い懸念が無くなった両家は大友家への攻撃をより強める事となる。