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最終回 その後

自分で読み直していて気づいたのですがとんでもない設定や矛盾、更には信長に服従する姿勢を見せていた北条や東国諸将を何故か信長が攻撃していたりとりあえずむちゃくちゃなことが判明したのでダイジェスト的作って終わらせます。

現在更新中の「長宗我部元親の5男に転生したので長宗我部家を全力で守る話」が終了次第、織田信雄か津田信澄辺りを主人公にして織田家メインの話を描きます。

それまでは長宗我部の方をよろしくお願いします。

突然の報告で申し訳ありませんでした。

またここまでたくさんの方に読んでいただき本当に幸せでした。

ありがとうございます。

俺は中国と四国の軍勢を率いて九州を攻め龍造寺と秋月を降伏させた。

龍造寺は肥前、秋月は筑後を与え残りは没収し島津は大隅を返還した。

こうして西国を平定した俺の前に伊達と最上を従え滝川を滅ぼした徳川家康が立ちはだかる。


家康と俺は初めは俺が西国の主、家康が東国の主として朝廷を通して不戦条約を結んでいたが1600年に越中の佐々成政と加賀の丹羽長重の領土紛争が原因で両者は対立。

俺は自ら12万の軍勢を率いて美濃に侵攻し家康の8万と激突する。

初めは行長や全登らの奮闘で東軍を圧倒した俺たち西軍だが詮家の裏切りと毛利、長宗我部軍の傍観により大敗し三成、吉継、行長ら多くの家臣を失い配下の大名の独立と備前、播磨、摂津の3カ国への減封と公家として生きることを条件に講和する。


そして14年後、死期を悟った家康は20万の大軍を率いて備前、播磨を落とし大坂城を包囲する。

俺を始め大坂五人衆の全登、信繁、盛親、勝永、又兵衛らが奮戦し家康の首の1歩手前まで迫るも城は落城。

俺は全登に連れられ八丈島まで落ち延びる途中で弟が大坂側についた汚名を晴らさんとする長宗我部信親の攻撃を受け海の藻屑となるのだった。


そして目が覚めると俺は現代に戻っていた。

でもあたりは変わっていなかった。

結局のところ俺が史実の秀吉の役割を果たしたに過ぎず結局明治維新は徳川幕府に不満を持った薩長土肥により行われ二度の大戦を通して日本は奇跡の復活を遂げ……。


こうして俺の物語は終わった。

これで学んだのは歴史とは川の流れのようなものなので少し濁ったくらいじゃ流れは変わらないということだ。

今もこれからも、俺たちは川の流れに沿って生きていくんだろ。

そう思いながら俺は日常に戻った。

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