31 全滅作戦
関ヶ原の戦いから2日後、羽柴軍は安土を捨て瀬田の近くまで進んでいた。
「急げ!急いで戻るぞ!」
そう言って先頭を走る秀吉を俺は捉えた。
親父の仇だ。
これでも喰らえ!
俺が引き金を引くと見事に秀吉の胸に命中した。
「ギェェッ!」
秀吉が馬から落ちる。
「よし!かかれえ!」
俺が命じると隠れていた2万の軍勢が襲いかかった。
「良いか!俺の指示していた奴は捕らえろ!あとは全員斬り捨てよ!」
ここで俺が捕らえろと命じていたのは石田三成、大谷吉継、藤堂高虎、後藤又兵衛、森吉成だ。
このうち森吉成はどちらかと言うと息子の勝永が目当てなのだが残りは俺が個人的に好きな武将ばかりだ。
まあ優秀だからって理由もあるんだけどな。
大量の弾丸が飛び交い羽柴の兵士たちはどんどんと倒れていく。
武将たちは必死に士気を立て直そうとするがもう無理そうだ。
「明石全登!羽柴秀長を討ち取ったり!」
全登の大声が聞こえてきた。
その後すぐに使者が訪れた。
「藤堂高虎、大谷吉継を捕らえました。」
「うむ、よくやった。とりあえず拘束を解き楽にさせておけ。」
俺はできるだけ捕虜に優しくしようとしていた。
好きだからもあるがその方が説得が楽だからだ。
正直、黒田官兵衛あたりも欲しかったが何をしでかすか分からないから死んでもらう方が後のためだろう。
「申し上げます!立花宗茂様が黒田官兵衛を討ち取ったとの事!」
また使者が訪れた。
羽柴兵の悲鳴であまり聞こえなかったがとりあえず黒田官兵衛は死んだ。
「蜂谷頼隆、討ち取ったり!」
その声も聞こえてきた。
蜂谷頼隆は別に好きで秀吉に従っていた訳では無いので少し申し訳なかったがまあ戦国の世だ。
仕方ないね。
攻撃から1時間も経つと羽柴軍が減ってきたのはよく分かった。
黒田長政、加藤嘉明辺りはよく戦ったが多勢に無勢。
2人とも討ち取った。
もはやこれまでと見て蜂須賀家政や浅野長政は自害し残りの連中は討ち取られるか東に逃げるかだった。
2時間後、本陣に羽柴軍の武将の首が並べられた。
「右から羽柴秀吉、羽柴秀長、羽柴秀次、黒田官兵衛、加藤光安、生駒親政、浅野長政……」
全登が説明する。
「もう良い。それは洛中に晒しておけ。捕虜に会いたい。」
俺はまず藤堂高虎を呼び寄せた。
五千石で召抱えると言ったらこいつはあっさり快諾した。
家臣からは反対もあったが実力は十分だろう。
次に後藤又兵衛は全登と顔見知りだったためこいつもあっさりと家臣にできた。
森吉成は自害してしまったため家臣に息子の居場所を吐かせ兵を向かわせた。
残りのふたりが厄介だ。
なかなか家臣になってくれない。
吉継には頭を何度も下げて頼んだ。
さすがの吉継も大大名の俺に頭を下げられて困ったのか仕方がなく受け入れてくれた。
さあ、あとは三成だ。
「まあ石田殿、茶で飲みなされ。」
俺は三成に茶を出した。
「要らぬ。」
「では干し柿は?」
後世の三成にはタブーな干し柿を出してみた。
「かのようなもので人の心が釣れると思うか!?」
まあキレるわな。
てかそれあんたのだろ。
「石田殿……。貴殿がワシを憎むのはわかる。されど貴殿の秀でた才能はワシに必要なのじゃ。」
「何を言うか!秀吉様から受けた恩を忘れ織田に与したではないか!」
「そもそもワシは織田家の家臣なのでな。しかしワシはここで収まる気は無い。共に天下を見ようではないか!」
でっかく言ってみた。
「秀吉様も同じことを申されておられた。お主は秀吉様の志をつぐのか?」
「ああ、奴と考えることは一緒じゃ。戦国の世に生まれたからには頂点を目指すのが男子の本懐。どうだ三成、共に天下を取らないか?」
俺が手を差し伸べる。
それを見て三成は少し笑って俺の手を握った。
「であれば、この三成。残りの生涯を全て八郎様に差し出しましょう。」
来たァァァァァァァ!
まるでずっと好きだった子に告白されてOKされた気分だ。
俺は三成の手を握りながら涙を流してしまった。
こうして石田三成と大谷吉継を手に入れた俺の家臣団はまさに西軍オールスターズになった。
あとは島津義弘かな?まあ自害したし無理だけど。
その後、森吉成の子を確保したと報告が入った。
まだ幼年だったのでとりあえず富川の所に預けさせた。
そんな感じでルンルンで二条城にどっしり構えた俺に信じ難い知らせが入ってきた。
「徳川家康挙兵!尾張が落ちました!」
は?????
尾張にさしたる防衛部隊を残していなかった織田軍は瞬く間に破れさり信濃も制圧されたため織田家は一瞬にして80万石もの所領を失った。
「なぜこうなった!」
信雄がキレる。
「どうやらこれを狙っていたようですな。滝川とは分断されこのまま攻め込まれては一溜りもありませぬ。」
「では講和すると申すか?」
「越後の割譲くらいはする必要がありそうですな。」
長秀が渋々言う。
戦の後、勝家が体調を崩してしまったので今は彼が織田家の筆頭家老だ。
「うーむ、仕方あるまい。」
こうして信雄は信濃、越後の割譲を条件に和睦を申し出た。
しかし交渉は難航しなんとか甲斐の切り取り次第で尾張を取り返すことが出来た。
だが信雄にはまだ仕事が残っていた。
「論功行賞も考えねばならぬな。」
まず森長可には替地を与え津田信澄は摂津と丹波に戻した。
問題は宇喜多家だ。
既に畿内からは兵を引いたが播磨、但馬を抑え滝川一益を除けば織田家一の大大名になってしまったのだ。
「下手に刺激したくもありませぬし備後と出雲を渡しますか……。」
長秀の提案を信雄は素直に受け入れた。
そしてこの知らせはすぐに信家の元に入ってきた。
「おい!皆よく聞け!ワシは陰陽9カ国の太守となったぞ!」
俺自身ここまで貰えるとは思ってなかった。
やっぱり真っ先に敵を攻め長宗我部の内紛を解決し首脳陣の首を挙げたんだから当たり前かな。
とりあえず国分けをする事にした。
まず但馬には富川達安と藤堂高虎、播磨にはこれまでの通り花房と最前線に岡と後藤又兵衛を。
詮家は優遇しておきたいので備後を加増し忠家殿は出雲に入ってもらった。
伯耆と因幡は長船に任せた。
残りの備前と美作は側近の全登や行長、宗茂、親次と新規の三成、吉継で分けた。
ちなみに織田家は大名格の大名が減り佐々成政が能登を加増、柴田勝敏(勝家の養子)が越前の引き継ぎと加賀の加増、丹羽長秀は紀伊に戻り改易した筒井家の大和を手に入れ蒲生氏郷は伊賀一国、堀秀政は若狭に加え北近江の10万石を手に入れた。(とはいえ右腕を失っているので従兄弟の堀直政が政を取り仕切っている。)
森長可は美濃の最前線に配備され徳川家康に備えた。
明智家、池田家、長宗我部家は感状に加え当主3人の葬儀が信長の葬儀と共に行われた。
そして最大勢力の滝川一益は依然東国で大勢力を誇り常陸の佐竹家、下総の結城家なども従えていた。
そして羽柴側の処遇だが秀吉やその家臣たちの内、信家が保護した以外のものは一族皆殺し(一部は保護されたらしい)にされ裏切った三好、中川、高山らも同様の処置となった。
筒井家は改易されたが本戦で何もしなかったのと順慶が病死していたので処刑とまではいたらなかった。
この後信家が島左近を血眼になって探すのは別の話である。
最後に細川家はその才能を惜しんだ正親町天皇が助命を祈願したため細川藤孝は京に幽閉され忠興は八丈島(それを聞いて信家はビビり散らした)に流される途中に何者かに拉致された。
改めて9カ国の大大名となった信家に対して朝廷は従四位下参議に任ぜられた。
信雄と信孝も同様に任ぜられたのだがつまり朝廷からすると織田政権の主軸たる2人と西国に大勢力を誇る俺は同格みたいだ。
2人とも秀吉討伐の功労者たる俺に文句を言えるはずもなく任官の儀は終わった。
さて問題はここからだ。
「で、織田家の家督は誰が継がれるのですか?」
帰路にて俺が2人に聞く。
「えっ……。」
2人とも黙り込んだ。
まあ関ヶ原で勝ったのは別に信雄の手腕ではないし信孝は淡路しか攻め落としてないからなぁ。
「いやぁこれは家老衆を集めて会議を開けば良いのでは?呼ぶのはうーん……。」
そう提案した俺だったがここで問題発生だ。
清洲会議の主要キャストが丹羽長秀以外いないのだ。
柴田勝家は病気で倒れて来れないしそうなると織田家の家臣って誰だ?
蒲生と森と佐々くらいかな。
いやでも津田信澄は一門格だしなぁ。
「佐々、津田、丹羽、森で良いのでは?」
信孝が言う。
まあ譜代はここら辺だよな。
「うーむ、それに賛成じゃな。では2週間後に安土にて。八郎も来るのじゃぞ。」
まだ呼び捨てかよ、こいつ。
信雄の偉そうな態度にイラつきながらも俺は会議に行くことにした。




