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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

短編

毛玉の恋

作者: 守野伊音






 大きな手が好き。わたしを撫でる、大きな指が好き。大きな指が、こちょこちょとわたしをなでる動きが好き。

 わたしを呼ぶ声が好き。低いのにやわらかい声で呼ばれる、わたしの名前が好き。

 綺麗な目が好き。どんな石よりも綺麗な目が、わたしを見て細まるのが好き。

 『オレ』が好き。大好き。

 だから、今度こそこの巣を気に入ってくれたらいいなぁ。




 綺麗な石を見つけた。嬉しくなってくわえる。ひとつしか持てないから、くわえたまま巣に戻る。ころころころころ転がって、ぽんぽんぽんぽん飛び跳ねて、太い木の根を通り、木の根元にある洞へと入った。

 ずっとくわえて疲れてしまった石をとりあえず下ろす。ぐるりと巣の中を見回して、色の少ない場所へ石をぐいぐい押し込んだ。なかなか、いい具合だ。いや、なかなかどころではない。完璧だ。素晴らしい。この巣なら、きっとオレも気に入るはずだ。



「ケダマ」


 彼だ。嬉しかったのと、傍まで来ていたことに気づかなかった驚きで、わたしの身体はぴゃっと飛び上がる。跳ね上がりすぎて、洞の天井にぶつかった。わたしの口から、ぴぃと悲鳴が漏れる。


「大丈夫か? お前はいつもどんくさいからなぁ。ああ、ほら、そんなに泣くな。大丈夫大丈夫」


 痛くてびっくりして会えてうれしくて、ぴぃぴぃぴぃぴぃ泣いて転がっているわたしを、オレはひょいっと持ち上げた。巣から取り出され、大きな掌の上に乗せられる。片手の指でちょいちょいと撫でてもらえて、だんだんうっとりしてきた。気持ちいい。

 泣いていたことも忘れ、撫でてくれる指に身体を委ねる。ぺしょりと溶けたわたしの身体は、いつもはまんまるなのに、今では半分くらいの大きさになってしまっているだろう。もっと、もっと撫でて。

 されるがままうっとりしていると、上からくすくす笑い声が降ってくる。声に合わせて、わたしを撫でる指も一緒に震えるからくすぐったい。


「魔物も人間も、お前のようなものばかりならよかったのになぁ」


 オレの言葉はよく分からないことがいっぱいだ。けれど、柔らかで穏やかな声で紡がれる言葉は心地よく、大好きだ。だからわたしは、よく分からないまま、ぴゅうっと鳴いた。もっと撫でてもっとと催促すれば、オレは「仕方がない奴め」と、またくすくす笑った。



 一通り撫でてもらった満足したわたしは、オレの掌の上でぴょんっと飛び上がった。掌の上に着地したころには、ちゃんといつものまんまるに戻っている。

 オレはいっぱいわたしを撫でてくれた。今度は私がオレにお返しをする番だ。オレの手から飛び降りて、オレが腰掛けている木の根元に飛び降りる。

 その場でぴょんぴょん跳ねれば、オレはいつものように手を下ろしてくれた。その指をくわえ、一所懸命洞の中に入れる。笑っている声が聞こえるが、わたしだってオレの身体を動かせるのだ。ほら、オレは自分で思っているよりずっとずっと軽い。こんなに大きいのに、さっきの石より軽いのだ。わたしは、たまにわたしを押したり追い越したりするオレの腕を、きちんと巣の中に収めた。

 そして、どうだとオレを見上げる。


 今度の巣は今までより一番いいできだと思うのだ。大きな羽毛がみっつも見つかったし、きらきらした石はむっつとみっつもある。ふわふわした綿毛をいっぱいに敷き詰めた下の土台は、しなやかな山葡萄の蔓だ。どうかな。綿毛と蔓の間には若葉も混ぜ込んであるから、とってもふかふかなのだ。この一手間で巣の具合がうんと変わった。

 オレ、喜んでくれるかな。

 わくわくした気持ちで見上げていたら、オレは、いつもと同じ顔をした。いつもと同じ、ちょっと困った笑い顔だ。わたしはがっかりした。


「ケダマ。求愛してくれるのは心から嬉しい。お前が雄か雌かは分からないが、どちらでも本当に光栄だ。だがな、俺とお前は種族が違う上にとんでもなく身体の大きさが違うだろ? だから俺は、お前の番にはなれないんだ」


 オレの言葉は時々よく分からない。番は好きな相手となるものだ。わたしはオレが好きだ。だから問題ない。身体の大きさも問題ない。だってわたしは巣を作った。巣がなかったら巣には入れないけれど巣があれば巣には入れる。当たり前のことだ。現にいま、オレの腕はわたしの巣にいる。問題ない。腕以外ははみ出ているけれど、些細な問題だ。うん、問題ない。

 だけどオレは、わたしの巣を見て喜んでくれない。よくやったなと褒めてくれない。だから、駄目だったのだ。また、駄目だった。オレは、わたしの巣には入ってくれない。

 しょんぼりしたら、身体中の毛がぺそりと落ちた。オレの眉も同じように落ちる。


「すまない、ケダマ。そんなにがっかりしないでくれ。俺は人間で、お前は魔物なんだ。お前はお前の仲間と番になったほうがいいんだが……お前はどこから来たんだろうなぁ。お前くらいの大きさなら、大抵群れでいるものなのに。東の方にお前と似た魔物がいるらしいから、そこから流れてきてしまったのかもしれないな」


 ぺそっとへしゃげた毛と身体と気持ちのわたしを、オレの大きな手がそっと掬い上げる。巣の綿毛もいくつかついてきたけれど、指で器用に取ってくれた。オレは、大きいのに、細かい作業は私よりよっぽど上手だ。わたしも、オレみたいに指が五本もほしい。


「俺もケダマと同じ種族だったらよかったのになぁ。そうしたら、お前と番になって、ずっと森で暮らせたのに」


 ぷ、と鳴いて答える。


「でも俺は人間だから、ちょっと難しい。だからケダマ、俺なんかよりもっといい相手を見つけるんだぞ。大丈夫だ。お前は賢く、性根も優しい。巣作りだって上手だ。大丈夫、きっとすぐに番が見つかるさ」


 ぷぷぷと鳴いて怒る。

 番が欲しいのではない。オレと番になりたいのだ。それなのに、オレはちっとも分からない。

 わたしは怒って、オレの掌の中でぐっと丸まった。顔を下にして、オレに背を向ける。そうしたらどこが顔か分からなくなって困ると、前にオレが鳴いていた。


「そんなに怒らないでくれ、ケダマ」


 ぷー! と怒鳴って返す。

 オレが弱り切った声を出しているけれど知らない。だって、わたしの巣に入ってくれなかった。今までで一番立派にできた巣だったのに、喜んでくれなかった。それだけでは飽き足らず、他の何かを番にしろと鳴いてくる。これを怒らず何を怒れというのだ。

 ぷぃぷぃ怒っているわたしの背を、オレはずっと指で撫でている。そんなことで誤魔化されてはやらない。確かにオレの指は気持ちいいし、撫でるのも上手だし、心地いいし、眠たいけれど、わたしは怒っているのだ。ぷんぷんだ。だから絶対この気持ちいい指にほだされてなどやらないのだ!

 ぷぅぷぅ寝息を立てながら、わたしは夢の中でぷんすこ怒った。




 目を覚ましたとき、世界は既に暗くなっていた。慌てて周囲を見回しても、オレの姿はない。帰ってしまったようだ。わたしはがっかりした。ぺっそりと毛を落としながら、空っぽの巣の中に座り込む。


 何がいけなかったのだろう。一所懸命作ったし、作る度に巣は立派に上手になっている自負もある。だけど、オレはいつも困った顔をするのだ。枝から枝へ飛び移っただけで、お前は凄いなとにこにこ褒めてくれるのに、一所懸命作った巣はいつも困った顔をする。凄いともよくやったなとも頑張ったなとも鳴いてくれない。


 オレのことは大好きだ。だけど、オレはよく分からない。

 勿論、知っていることはたくさんある。オレはふたつの足で歩く。ふたつの腕で物を持つ。指は五本もあって、大きいのに小さな作業も得意だ。オレはよく食べる。わたしが木の実ひとつくわえている間に、わたしの身体よりたくさんの木の実を纏めて食べられるのだ。

 オレが持ってきてくれる食べ物は、美味しいし、味が濃い。森に生えているのを見たことがないから、きっと遠い地に生えているのだろう。今のところ『ヤキガシ』という木の実が一番好きだ。オレはあまり木の実に詳しくないようで味も形も大きさも違っているのに全部『ヤキガシ』と呼んだりする。『パン』もそうだ。オレはきっと、大雑把なのだろう。



 オレとは、この森で会った。最初は警戒してなかなか近づいてこなかったものだ。オレは大きな身体なのに、とても臆病な生き物なのである。きっとあまり強くないのだろう。オレは争い事を避けることが多い。気が優しいのは勿論だが、あまり強くないことも理由のひとつだと思っている。

 オレの身体は棘もなければ鱗もない。固くもなく、木の枝に引っかかれば血が出てしまうほど弱い。爪も薄く小さい。牙だって平らだから、きっと草食だ。夜目が利かないからと暗くなる前に森から帰っていく。鼻も、耳も、あまり利くほうではないと笑っていた。

 そんな弱い生き物だからか、オレは森で暮らしてはいけないらしい。いつも森の外へ帰っていく。オレの巣は、森の外にあるのだそうだ。森は、強い生き物じゃなければ暮らしていけないからと鳴いていた。

 でも、それならわたしが守ってあげるのに。わたしは、オレのための餌を集めることだって出来る。美味しい木の実がいっぱい生る秘密の場所も知っているから、オレにだけは教えてあげる。綺麗なお水が溢れる場所も、ふわふわの綿毛がいっぱい取れるところも、いっぱいいっぱい知っているから、全部オレに教えてあげるのに。


 しょんぼりして、きゅっと丸まる。顔を下に埋めて丸まった拍子に、何かが身体に当たった。首を傾げ、顔を上げる。横を見れば、丸いきらきらした物がわたしの毛に結びつけられていた。

 これは知っている。オレの毛皮についている丸だ。オレは不思議な生き物で、驚くほど脱皮する。来る度に脱皮しているのだ。毎日会えた日は、毎日脱皮していて仰天した。そんなに脱いでいては中身が空っぽになってしまうとはらはらしていたものだ。

 脱皮する度に、色も、ついている丸の数も、形も、いろいろ変わる。確かこの丸は…………ボタン? という名前だったはずだ。脱皮したときに外れたのだろうか。それを、わたしにくれたらしい。

 オレからの貢ぎ物だ。巣は断られたのに、貢ぎ物はくれる。オレはよく分からない。

 だけど、嬉しい。オレが、わたしに貢ぎ物をくれた。わたしはぴぴぴと鳴いて喜んだ。


 そういえば、前回会ったときに『これから少し忙しくなるから、次に一度来たら、そこからしばらく来られなくなる』と鳴いていた。そう鳴いていたから、ずっといられるように今までで一番の出来になるよう巣作りを頑張ったのだと思い出した。貢ぎ物は嬉しい。だけど、オレが帰ってしまったのは悲しい。


 オレはわたしに色んな物をくれる。ケダマという名前もくれた。ヤキガシもくれた。脱皮の丸もくれた。わたしもオレにいっぱいあげたいのに、オレは巣を受け取ってくれない。受け取ってくれるのは決まった種類の木の実ばかりだ。茸も食べない。いつも食べている木の実も、熟していなければ食べない。オレはわがままだ。だけど、それでもいい。番のわがままをどれだけ叶えられるのかは、番の甲斐性というものだ。


 今度こそ、オレが入りたくなるような巣を作ろう。そうして待っていよう。巣を作るのは大変だ。石を運ぶのも大変だし、綿毛は軽いけれどひとつでくわえられる量には限度がある。これだけ敷き詰めるためには何往復もしなければならない。葉をちぎるにも力が要る。いっぱいいっぱい力が要る。だから、巣を作るのはとってもとっても大変で、だから……巣を作っていたら待っている時間なんてすぐだ。淋しくなんて、ないのだ。

 ボタンを見つめて、ぴぴぴと笑う。次こそは、オレが巣に入ってくれたらいいなぁと思いながら、オレの脱皮に擦り寄って再び眠りについた。







 何か聞こえる。わたしはぴくりと身体を起こした。

 まだ夜明けではない。わたしの身体は白いから、夜の中では目立ってしまう。だから出来る限り昼に行動していて、夜に起きるのは何か異変が起こったときだけだ。

 ぷるぷるぷると身体を振り、眠気も飛ばす。敷き詰めていた綿毛がふわふわと舞う。オレは髪が黒いから、白い綿毛もきっと似合う。白いお花を飾ってもいい。そうだ。今度は巣に飾った花と同じ花をオレにもあげよう。頭にいっぱい飾れば、同じ花がある巣にも入る気になるかもしれない。

 次の巣の構想を考えたいのに、何か騒がしい。そういえばそれで目を覚ましたのだった。忘れていた。わたしはちょっぴり忘れっぽいとオレによく鳴かれる。最初は凄く忘れっぽいと鳴かれたけれど、わたしがぺそんとなっていたらちょっぴりだと鳴いたから、わたしはちょっぴり忘れっぽい。

 でも、わたしはオレのことを忘れたりしていない。オレの好きなものも、名前も、脱皮も、脱皮の丸の名前も、全部覚えている。そういえば脱皮した後の皮の名前は『フク』だと鳴いていた気がする。ほら、やっぱりわたしはちゃんと覚えている。それにしても、何か騒がしい。そういえばそれで目を覚ましたのだった。


 わたしは洞からちょっとだけ顔を出した。耳を澄ませ、風の臭いを嗅ぐ。変な臭いがする。雷が落ちた後の木のような、変な臭い。

 変な臭いは嫌いだ。ぷぅぷぅ抗議の声を上げた瞬間、一際強い風と共に、世界が色を変えた。夕焼けが突然現れた。朝焼けではない。夕焼けだ。だって真っ赤だ。それに、熱い。真夏の日差しを浴び続けた石だってもっと冷たいくらい、熱い。

 わたしは慌てて洞から転がり落ちた。転がり出るより落ちたほうが早いのだ。ころころぽわぽわ転がって、愕然とした。森が、真っ赤になっている。それに、たくさんの生き物が走り回っていた。

 一番多いのは、ふたつ足の生き物だ。一瞬だけオレもいるかなと思ったけれど、みんな硬そうな肌を持っているからオレとは違う生き物なのだろう。それに鋭い爪も持っている。爪の数はひとつだけだけれど、硬い毛皮を持つ魔物も一刀両断にしていて、その爪の鋭さが分かった。

 何が起こったか分からなかったけれど、よく見たら、ふたつ足の生き物は、同じ生き物同士で争っていた。縄張り争いだろうか。番を得ようと争っているのだろうか。でも、縄張り争いはおかしい。だってこの森でこんな生き物見たことがない。だったら新参者だ。新参者は、まず古参と争って縄張りを得てから数を増やし、そして同種族で争うものだ。それなのに、いきなり自分達だけで争い始めている。

 なんて迷惑な生き物だ!

 木に止まっている鳥の魔物達もがーがー怒っている。どうしてわざわざ余所の縄張りで争っているのだ。帰れ。戦いたければ自分達の縄張りを焼けと、色んな魔物達が怒っているのに、ふたつ足の生き物はちっとも聞かない。

 ふたつ足の生き物は、そのうちふたつ足で立っているものと地面に横たわるものに分かれ始めた。生き物は地面に倒れたら動けなくなるらしい。体勢に問題があるのだろうか。変な生き物だ。それに、顔もよく見えない。全身がちがちに硬い皮膚をしているからか、目も口もないのだ。変なの。

 それに、後方からは針を飛ばしてくるふたつ足がたくさんいる。身体に針山を持っている魔物はそういう戦い方をするものもいるけれど、ふたつ足の魔物達は針山なんて持っていないのに、変なの。


 そうこうしている内に、世界はどんどん赤くなる。闇とは違う白と灰色とどす黒い煙が充満し始め、森がどんどん死んでいく。たぶん、硬いふたつ足達が強い毒を吐いているのだ。そうでなければ、数多の魔物を内包できる森が簡単に死んでしまうわけがない。

 ふたつ足の生き物達は、硬い皮膚を持ち、鋭い爪を持ち、強い毒と火を吐き、数が多い。しかも同族同士で激しく争い合うほど好戦的。ひとつ、またひとつと、鳥が飛び立っていく。文句を鳴いていた魔物達は徐々に口を閉ざし、気配を殺し、森を離れ始めた。


 この森はもう駄目だ。かろうじて今を生き延びられても、この生き物がいる限り、共存はしていけない。どれだけ沢山の魔物がいても、強力な魔物がいても、それはそういう存在だ。相手も生き物である以上、住処が必要だ。餌だっている。それを壊すということは自分も死ぬということだ。そんな馬鹿なことはどれもしない。だから強い生き物も弱い生き物も、どんな生き物だって他の生き物と一緒に生きていけるのだ。

 だが、このふたつ足は駄目だ。全部を壊す。争いを自分達だけの傷で終わらせられない生き物だ。敵を殺すために森を殺す生き物と共存など出来るはずがない。そんなふたつ足が群れで争いながら雪崩れ込んできたこの森は、もう駄目だ。

 森を捨てるしかない。魔物達は夜の闇に溶けて住処を離れていく。侵入者に牙を剥いて戦った力の強い魔物達は軒並み殺された。ならばもう戦ったところで意味はない。もしもふたつ足をどうにか出来ても、強い魔物がいない森は小さな魔物の数が増えすぎて、餌が足らなくなり、どちらにしても死ぬのだから。


 わたしも、森から出るしかない。頑張って作った巣も、どうせオレは入ってくれないのだ。なら仕方がない。でも、どうしよう。このまま森を捨てたら、オレにはもう会えなくなる。

 それに、オレが、もしもオレがこのふたつ足達に襲われていたら、どうしよう。オレは弱いから、小さな魔物と会っても隠れて戦わずやり過ごすくらい、とってもとっても弱いから、きっとすぐに殺されてしまう。

 そう思うと、いても立ってもいられなくなった。少しだけ悩んで、わたしは決めた。オレがいつもわたしに会いに来る方向へ行ってみよう。

 ぽんぽんころころ飛び跳ね転がり、移動を始める。オレからもらった貢ぎ物がかつかつ音を立てた。オレが無事かどうかだけ確認して、それからどうしようか決めよう。オレの巣が安全な場所にあればいいな。オレは弱虫だから、こんな恐ろしいふたつ足が押し寄せてきたら、きっと泣いてしまうから。

 オレとオレの巣が無事かどうかだけ確認しよう。危なそうだったら、安全な場所まで連れていってあげないと。

 ころころころころ転がって、ぽんぽん跳ねてふわふわ流され、わたしは移動した。






「殺せ!」

「やれるぞ、進め!」


 硬いふたつ足が爪を振りかざし、針を飛ばしながら怒鳴っている。


「押し返せ!」

「せめて町民の避難が完了するまでは保たせろ!」


 硬いふたつ足が爪を振りかざし、針を飛ばしながら怒鳴っている。

 どうやらふたつの群れが衝突し合っているらしい。同じふたつ足なのに、個々の戦いじゃなく群れ同士で争っている。しかも、お互いの縄張りじゃないこの森で。本当になんて迷惑な種族なのだろう。同じふたつ足でも、優しくて穏やかなオレとは全然違う。

 みんなオレのようなふたつ足だったらいいのにと、わたしは思う。





 いつも暮らしている場所から随分移動してきた。オレの巣はどの辺りなのだろう。森には住んでいないと鳴いていたのでまだ先なのだろうか。そもそも、森の出口までどれだけなのか分からない。わたしは森から出たことがないのだ。ふたつ足やよつ足と違って、わたしは転がるか跳ねるか、風に乗って飛ぶかしか移動手段がないので、巣の材料を集めるとき以外はあまり遠くに行かないから分からないのだ。


 森全体が戦場になっている。どこに行っても爪がぶつかり合う音が響いていた。それに、血の臭いが酷い。鼻が利かなくなるほどだ。ふたつ足は、せっかく生っていた木の実を押しつぶし、草も花もなぎ倒している。


「赤い竜の剣、こいつがシルクトだな」

「手間取らせやがって」


 いつつのふたつ足がひとつのふたつ足と燃えている木を囲っているが、その木はたくさん年を取っている。燃えてしまえば、またたくさんの年を待たないと大きな日陰は作ってくれないし、同じ日陰はもう作れない。勿体ない。食べたり、巣に使ったりするならまだしも、燃やすだなんて。いまふたつ足が踏み潰している蔓だって、柔らかくしなやかで、形にしやすいから巣作りにはとってもいい素材なのになかなか見つからない貴重な品なのだ。


「部下を守ったのは立派だったな、流石英雄様」

「隊長を囮に使うたぁ、セピラー騎士団の信頼関係に涙が出るな」


 ふたつ足は嫌いだ。いっぱいいっぱい嫌いだ。勿体ないことするから。

 いつつのふたつ足が爪を振りかぶり、ひとつのふたつ足に振り下ろす。ひとつのふたつ足は、たくさんの爪をひとつの爪でうまくさばいている。けれど爪の数が多すぎて、ひとつのふたつ足の頭に当たった。硬いもの同士がぶつかりあった音が響く。けれど互いに無事のようだ。爪は折れていないし、頭の皮膚も切れていない。ふたつ足は本当に硬い皮膚を持っているようだ。オレは全部柔らかい皮膚だったから、こんなふたつ足の中ではきっと生きづらいだろう。だってオレはとっても弱いし、とっても優しいのだから。


 ふたつ足同士の戦いを見ていてもつまらないし、勿体ないことばかりしているから嫌になる。こんなものより早くオレを探しに行こうとぽんっと飛び上がったとき、どこからかオレの声が聞こえた。



「…………魔の森を溢れさせるなど、お前達の主は阿呆か」


 オレだ。オレの声がする。オレはどこにいるんだろう。


「例え森を溢れさせようが、お前だけは殺せってお達しなんでな」

「セピラーの英雄様も、流石に多勢に無勢だろ」

「恨むんなら、先の戦でうちの王子の首を取っちまった自分の腕を恨むんだな」


 ふたつ足うるさい。オレはどこにいるの? こんな所にいたら危ないよ。早く逃げなきゃ。風向き教えてあげるから、炎に飲まれないよう早く逃げて。もう火の手は天も地も覆っている。空からも火が落ちてくるから、わたしは風に乗って火の粉から逃げないと問題だ。わたしの身体は燃えやすいから、炎は困るのだ。


「お前達が侵攻してこなければ、我々は迎え撃つ必要もなかった」

「それは上層部に言ってくれってな!」


 ふたつ足うるさい。

 ぽんぽん跳ねながら、オレを探す。爪と爪がぶつかり合う音が始まって、オレの声が聞こえなくなってしまった。ぴぃぴぃ呼んでも、ぷぅぷぅ呼んでも、周りの音が大きすぎてオレには届かないようだ。それとも、怖くて出てこられないのだろうか。オレはとても弱いから守ってあげないといけないのに、きっとふたつ足がうるさいから出てこられないのだ。

 オレが隠れられそうな場所を探していると、爪がひとつのふたつ足の頭にまた当たった。ひとつのふたつ足の頭が取れた。でもひとつのふたつ足は動いている。ふたつ足は頭が取れても生きている種族らしい。凄い。でもわたしはオレから『……どこが頭だ? 全部頭か?』って鳴かれたけどずっと生きているので、わたしのほうが強い。


 そんなことを思っていたら、いつつのほうのふたつ足が爪を振りかぶった。ひとつのふたつ足は、さっきもげた頭を自分で蹴って、弾かれたように顔を上げた。あれ、頭あるなぁ。ふたつ足は頭がふたつあるのか。凄い。わたしは……頭ふたつもない。どうしよう、ふたつ足のほうがほんのちょっぴり凄いかもしれない。ぺそんとなった毛が、一気に逆立つ。


 だって、ひとつのふたつ足が、オレの顔をしていたのだ。


 気がついたら風に乗っていた。気がついたら魔力を全部使って最大限に大きくなっていた。大きくなれば火の粉が身体につきやすくなってしまう。だけど、逆立った毛をいっぱいに広げた。だってそうじゃなきゃ、オレを守れない。

 火の粉はあっという間にわたしの毛へ絡まった。身体が燃え上がる。だからそのまま、ツメが折れたオレに爪を振りかぶっているふたつ足に飛びついた。ふたつ足は変な声で鳴いた。酷く慌てた蛙みたいな、へんてこな声だ。オレをいじめるからそんなへんてこな声になるんだと思った。

 だって、何してるの。オレに何しているの。オレをいじめちゃ駄目じゃない。オレは弱いのだ。守ってあげなきゃいけないのだ。それが番の甲斐性だ。それなのに、わたしに内緒で、オレをいじめちゃ駄目じゃない。

 へんてこなふたつ足は爪を振り回し、わたしの身体をいっぱい刺して、引っ掻いた。でも、全然痛くない。だってもう、わたしの身体はほとんどが燃えている。へんてこの仲間はわたしの身体をいっぱい叩くけれど、わたしの身体はよく燃えるから、そんなんじゃ火は消えないのだ。どうだ、参ったか。わたしのほうが強いんだぞ。

 よろめいたへんてこと一緒に、へんてこの仲間も一緒にオレから離れる。

 オレが頭を押さえている。頭を二度も爪で叩かれたから、ぐらぐらしているのだろう。

 大丈夫? 痛くない? すぐに助けてあげる。

 オレの、揺れる視線を必死に止めている目がだんだん形を変える。

 まんまるだね、オレ。


『お前、本当にまんまるだなぁ』


 オレがまんまるって鳴いた、わたしとおそろいだね。

 うれしい。オレとおそろい、うれしいな。今度巣を作るときは、まんまるの物あつめるね。そうしたら今度こそ、わたしの巣に入ってくれたらいいなぁ。


 オレの唇が震えながら動く。回りの音が、特にへんてこ達の声が大きすぎて声は聞こえない。けれど、唇の動きでなんと鳴いているのか分かった。オレがつけてくれたわたしの名前。

 ケダマ、だ。


「隊長には当てるなよっ! 放てぇ――!」


 弾けるような声と共に、針の雨が横殴りに飛んできた。わたしとへんてこ達の身体が針の動きに合わせて横に吹き飛ぶ。ぷつりと、オレからもらった貢ぎ物が身体から切れた音を最後に、わたしの命も千切れた。









『森で死んだ子らに、餞をあげようね』


 森の神様が鳴いた。


『今日は数が多いねぇ』


 森で死んだら神様が餞をくれるから、魔物はあんまり森から出ないのだ。だって、外で死んだら餞をもらえないから。


『お前は侵入者と勇ましく戦って死んだ子だね。お前の望みはなんだい? ――そうかい。お前を殺した人間を八つ裂きにしたいんだね。よし、行っておいで。願いが叶えば、ちゃんと巡るんだよ。お前は炎に飲まれて死んだ子だね。お前の望みはなんだい? ――そうかい。水がたくさん飲みたいんだね。よし、行っておいで。願いが叶えば、ちゃんと巡るんだよ。お前は人間に踏み潰された子だね。お前の望みはなんだい? ――そうかい、腹の子を産みたかったんだね。よし、行っておいで。願いが叶えば、ちゃんと巡るんだよ』


 神様は、たくさんの魔物達ひとつひとつと話をしていた。大きな魔物も小さな魔物も、全部の話を聞いている。

 綺麗だった長い髪は千切れ、燃え、手足は半分以上炭になっていた。動く度に炭になった身体が崩れ落ちている。ぼろりと右腕が落ちた。けれど、左腕でひとつひとつ撫でていく。わたしは小さくて、魔物達の吐息や動きで起きた風に飛ばされて、どんどん後ろに移動してしまう。気がつけば、回りにたくさんいた魔物はどれもいなくなっていて、神様とわたししか残っていなかった。


 神様は、両手も両足もなかった。全部崩れ落ちてしまったのだ。せめて落ちた部分だけでも集めようとしたけれど、わたしの身体が真っ黒になっただけだった。

 くしゅんくしゅんと息を吐きながら身を震わせる。真っ黒な煙がもうもうと上がった。


『いいんだよ。放っておきなさい。そんなものに触れてはいけないよ。さあ、おいで、小さな子。待たせたね』


 神様は、優しい声でわたしを呼んだ。


『お前は人間を守って死んだ子だね。お前の望みはなんだい?』


 神様はわたしに問うた。わたしの願いはひとつだけだ。わたしはぴぃぴぃ鳴いた。


『――そうかい。その人間とずっといたいんだね。珍しいねぇ。すぐに結果が出る願いを望む子が多いんだけどねぇ』


 どんなお願いにもすぐに答えていた神様は、少し考えた。どうしよう、叶えてもらえないのだろうか。わたしは不安になって、ぴぃぴぃ鳴いた。神様は瞬きした。するとわたしの身体がふわりと風に乗り、神様の肩に乗った。


『ああ、くすぐったいね。お前達は可愛いねぇ。やわらかくて、ふわふわしていて、温かい。可愛いねぇ。嬉しいねぇ……いいよ、叶えてあげようね』


 わたしは嬉しくなって、ぴぃと鳴いた。神様は目を細め、頬を私へ寄せた。ぐりぐり動いた頬に潰される。わたしはぷぃーと鳴いた。神様、オレみたいなことする。オレもよく肩を走り回っているわたしをこうして頬で挟むのだ。何度ぷぃぷぃ怒ってもやめない、オレの困った癖だ。


『けれど……すまないね、お前の願いはとても難しい。どうしようねぇ。今の私では完全には叶えきれないかもしれない。それでもいいかい』


 わたしはぷぅと鳴く。


『そうかい、いい子だねぇ。じゃあ、よく聞くんだよ。お前を人間にしてあげよう。けれど、私はじきに死ぬから、私の力が途切れればお前にかけた魔法も途切れてしまう。だから、お前には少し違う魔法をかけるよ。これは、お前が育んでいく魔法だ。いいかい? お前が一緒にいたいと願う人間と、ずっと一緒にいられるよう縁が繋がったら、お前は人間として生き続けることが出来る。けれど、一年、一年後までにその人間と縁を繋げることが出来なければ、お前は死んでしまう』


 一年ってどのくらいの時間ですか? ぷぃぷぃ問えば、神様は太陽が365回昇ったらだよと教えてくれた。どうしよう。わたしは困って、ぴぃぴぃ鳴いた。


『六つまでしか数えられない? おやおや、困ったねぇ。では、背中に印を入れてあげようね。一日ごとに一個ずつ印が消えていくからね。印が全てなくなれば、一年だよ。それなら分かるかな?』


 ぷぃと鳴く。神様はくすりと笑って、わたしに頬を擦りつけた。反対側の頬がぼろりと崩れ落ちる。よく見たら、神様の瞳も両方真っ黒になっていた。


『お前はちゃんと縁が繋がるまで、自分の正体を人間に教えてはいけないよ。教えれば、その場で魔法が解けてしまうからね。それにお前は元々話せる魔物ではないから、ある程度馴染むまで話すことは出来ない。分かったかい?』


 ぴぃと鳴く。


『お前は賢い子だねぇ。願いが叶えば、ちゃんと巡るんだよ』


 神様。ぷぃと鳴く。


『なんだい?』


 ぴぃぷぅぴぃと鳴く。


『――ああ、お前は本当に優しい子だね。私の願いを聞いてくれるのかい……そうだねぇ、出来るなら、死ぬ前のお前達に触れてみたかったのだけれど、それは叶わないし、私はもう充分幸せだよ。ありがとう、いい子だね。可愛いねぇ。嬉しいねぇ………………――私の可愛い子らを、お前達を殺した人間達を、皆殺しにしてやろうねぇ』


 炭になった瞳がこぼれ落ちた中は、がらんどうだった。


『私が怖いかい?』


 ぷぃぷぅぴぃーと鳴く。


『入り口が小さいから、もっと大きな洞に住みたいだって? おやおや、住居として落第だったのかい。眼孔なんてどれも似たようなものだよ。口の中ならそうでもないけれど、入ってみるかい? ああでも、お前は人間のところにいきたいのだろう?』


 ぷぅーと鳴く。


『じゃあ、お前をもらうわけにもいかないねぇ。よしよし、送ってやろうねぇ。けれど、そうだねぇ。レクマー国には決して踏み入ってはならないよ。ああ、そうだ。万が一お前が分からなくなってしまっては困るから、背中以外にも印を入れておこうね。お前は人であって人でなし、私の子だと記すよ。私がレクマーにかける呪いが、間違ってもお前には届かないように』


 ぷぃぷぃぷぃーとお礼を鳴く。神様は黒い煙を吐きながら微笑んだ。


『元気でおやり。ああ、そうだ……余計なお世話だろうけれど、お前の大好きなその人間は、ちょっと名付けがうまいとは言えないから、何かを名付ける際にはその者に頼んではいけないよ? いるんだよ。時々、そういう名付けがどうしようもない人間が……。もしその人間との縁がうまく繋がり、お前の正体を話せるようになったら、お前の神がこう言っていたと伝えなさい。いいかい? 私の可愛い子に』


 ケダマは、ない。


 よく分からなかったけれど、わたしはぷっと答えた。結局、ケダマってどういう意味なんだろう。






 宵の空が煙に覆われている。黒と灰と白の煙。森を焼いた煙。神様を焼いた、煙。

 わたしはきゅっと眉を寄せた。嗅ぎ分けがしづらい。何が燃えた臭いかの判別が着きにくくなっている。鼻が弱くなっているようだ。すんっと風の臭いを嗅いでいるわたしを、ふたつ足が囲んでいる。硬い皮膚のふたつ足だ。


 わたしは、薄い皮膚のふたつ足になっている。神様は人間にしてくれると鳴いたからだ。そういえばオレも自分のことを人間だと鳴いた気がするから、ふたつ足は人間だったようだ。神様は神様だから、ふたつ足の時もあればよつ足の時もあればみつ足の時もあれば足がない時もある。


 わたしの皮膚が薄いのは、生まれたてだからだろう。オレも薄い皮膚で弱かったから、オレもきっと生まれたてだ。だから何度も脱皮していたのだ。でも、そういえば最後に見たオレは硬い皮膚になっていた。脱皮を繰り返したから成体になったのかもしれない。それは凄い。めでたいことだ。オレに、成体になれてえらいねって鳴いてあげなければ。わたしもちゃんと成体だったけれど、今は生まれたてになってしまった。弱くなるとしょんぼりする。ぺそんと毛が落ちる気がした。


 わたしを囲んでいるふたつ足、人間達は、何やら早口で鳴き合っている。そのうちのひとつが、わたしに何かをかぶせた。それはオレの脱皮した皮によく似た物だった。オレのならばともかく、知らないどれかの脱皮をもらっても嬉しくない。それに邪魔だ。

 ぺいっと捨てて、この場から動こうとした。けれど、ぺそんっと地面に落ちてしまう。わたしはびっくりした。

 進み方が分からない。この身体、どうやって進むのだろう。転がるには適していない形をしているから跳ねるのかと思いきや、身体が重くてちっとも風に乗れない。それなのに、周りの人間達は、いくら払い落としても自分達の脱皮をかぶせてくる。ただでさえ重いのに、これ以上重くしてどうするのだろう。それに身動きも取りづらくなる。


「――で、保護した少女なのですが、どうやら言葉を話せないようです。それに、どうも動きがおかしい。もしかすると歩けないのかもしれません。それから、背中におびただしい数の入れ墨があります。そして、服を着ようとしません」

「服を?」

「はい。元々全裸だったので慌てて服を、せめてマントだけでも羽織らせようとしているのですが、嫌がっているようです…………あまり、人間的な生活をしてきたようには見えません」

「……そうか。どこぞの馬鹿が人体実験のために買い付けた赤子がそのまま大きくなり、この騒ぎで逃げ出したのかもしれないな。その手の馬鹿はいつの時代も現れるからな。ひとまず騎士団で保護する。それで宜しいですか、隊長」

「ああ」


 剥いでも剥いでもかぶせられる脱皮を捨てていたわたしは、ぱっと顔を上げた。頭が重い。ふたつ足ってこんなに中身が詰まっているのかとびっくりするくらいだ。でも、そんな重さを押してなお、顔を上げる理由があった。


 オレだ。オレの声がした。

 オレが「ああ」って鳴いた。オレの鳴き声、他のふたつ足に比べたら短いね。森にいるときはいっぱい鳴いていたのに。


 顔を上げれば、わたしを囲んでいるたくさんのふたつ足の顔が見えた。その顔を見て、わたしは首を傾げる。その顔は、わたしが巣を見せたときのオレによく似ていた。どうして困った顔をしているのだろう。オレが巣に入ってくれないことが腹立たしくて、ぷぃぷぃ怒っていた。けれど、わたしを囲むふたつ足達も皆一様にオレと同じ顔をしている。わたしは、オレ達にそんな顔をさせるようなことをしているのだろうか。

 まあ、よく分からないけれどとりあえずオレだ。


 オレ、怪我していないかな。怖がってぴぃぴぃ鳴いていないだろうか。せっかく脱皮で硬くなった頭の皮膚を剥ぎ取られていた。きっと痛かったことだろう。きっと怖かったことだろう。大丈夫。きっとまた何度か脱皮したら硬くなるはずだ。痛みも、嘗めていたらきっと楽になる。その前に、痛み止めの草を塗り込んであげなければ。

 たくさんのふたつ足が横にずれていく。その先から現れたオレに、わたしはとても嬉しくなった。オレだ!


「――!」


 オレ、と呼んだつもりだった喉からは何の音も出ず、オレの元に飛ぼうとした身体はぺそりと地面に落ちた。視界が突然、オレから地面に変わってびっくりした。顔が地面についたまま動けない。


「確かに、歩いたことがない人間の動きだな……起き上がれないのか?」


 オレの声がするのに頭が重い。身体も重い。指が五本もあるのに、オレのように小さな作業が出来るどころか、身体を起こすことも出来ない。ふたつ足は、身体全部が重い。これじゃどうやっても風には乗れないし、皮膚が薄いから無理やり転がったら怪我をしてしまうかもしれない。地面に触れている皮膚がちくちく痛み、わたしはがっかりした。ふたつ足、弱い。

 しかもまた脱皮をかぶせられた。うんざりする。


「触るぞ」


 でもオレがそう鳴くから、わたしは嬉しくなった。撫でて撫でて。いっぱい撫でて。

 嬉しかったのに、オレはわたしを撫でてはくれず、地面にぺったりした身体を起こしただけだった。起こした途端、脱皮で前まで包まれた。手が出せない。邪魔だ。むぅっとむくれるけれど、オレが近くて嬉しくなる。

 嬉しい。ただ座っているだけなのに、オレの顔が近い。オレがいる。頭の硬い皮膚は取れてしまったけれど、身体の皮膚はそのままだ。オレは立派な成体になっている。うん、強そうだ。よかった。強いのはいい。怪我をしないし、縄張りも取られないし、いっぱい食べられるし、敵が少ないから夜もゆっくり眠れる。いいことばっかりだ。弱いのは駄目だ。すぐ死んでしまうから。

 オレが強くなって嬉しいし、オレに会えて嬉しいし、オレが近くて嬉しい。いっぱいいっぱい嬉しくなっていると、オレと周りのふたつ足は驚いた顔をしていた。


「泣く子も黙って気絶する隊長を見て笑ってる、だと……!?」

「笑ってるのが仕事の商売女も恐怖に引き攣る隊長を見て嬉しそう、だと……!?」

「豪傑が売りの盗賊頭も絶叫して逃げ出す隊長を前に意識を保っている、だと……!?」


 自分よりうんと強い相手を前にした魔物のように恐れおののいたふたつ足達の前に、オレの隣にいたふたつ足が進み出た。


「お前達、いい加減にしろ! 隊長だって顔自体は整っておられるんだ! 後は魔王もかくやといわんばかりの殺意が籠もっているとしか思えない目力を何とかすれば何とかくらいは何とかなるかもしれないと何とか思えるくらいには何とかなるんだぞ!」

「どこにも救いがねぇ!」


 ふたつ足うるさい。耳がごんごんする。甲高くはなく、むしろ低い声なのに、耳がごんごん揺れるくらいやかましい。きゅっと眉を顰めたら、オレの大きな手がわたしの喉をがしりと掴んでびっくりした。わたしに首がある。びっくりした。周りのふたつ足達もびっくりしている。


「た、隊長! 俺達は隊長のことを信頼していますから意図が分からずとも怖くはありませんが、せめて初対面の相手には説明してあげてください!」


 ふたつ足うるさい。それにしても、やっぱりオレの手は大きい。わたしが乗っても全部は覆えないほど大きくて、温かい。今のわたしもこんなに大きくなったのに、わたしの首を片手で簡単に覆ってしまえる。凄い。それに温かい……。

 そこまで考えて、わたしはびっくりした。オレの手の硬い皮膚も、剥がれてしまっている! あんなに脱皮して、毎日脱皮して、頑張って硬くした皮膚だったのに、頭だけではなく手まで! なんてことだ! オレの立派な成体の皮膚を剥いだふたつ足達は許せない! と思ったけれど、そういえばわたしと一緒に死んだはずだ。なんだ。じゃあ別にいいや。死んだものに体力を使うことほど無駄なことはないのである。


「何か喋ってみろ」

「――!」


 オレ! オレに会えて嬉しい! あ、でもオレにはわたしがケダマだって喋っちゃ駄目って神様が鳴いてた! だから教えないね! 教えたらわたし死んだケダマに戻っちゃうから! ところで神様がケダマはないって鳴いていたけど、ケダマってどういう意味?


「…………何か怒濤のごとく話しているのは分かりますが、やはり音が出ていませんね」

「そうだな。喉は確かに振動している。喋れない演技というわけではないようだ」

「……彼女から情報が漏れることを恐れたのでしょうか。気の毒に……」


 どうやらふたつ足のわたしは木の毒らしい。まあそれはいいとして、わたしはオレの動きをじぃっと見つめる。そして、今までのオレも思い出す。オレの腕を駆け上って遊んだ。転がり落ちたわたしがよじ登りやすいよう、腕の角度を傾けてくれたオレ。わたしを抱き上げてくれるオレ。わたしを撫でるために腕を伸ばすオレ。

 確か腕の動きはこうだ。重たい腕を持ち上げてみる。うまく動かせないけれど、なんとか持ち上がった。わたしの腕は酷く揺れている。重たいから、支えるのも一苦労だ。でも、動く。腕だ。わたしの、腕。

 わたしはいつつも出来た指を目一杯広げ、オレの顔に触れた。いつもは身体全部擦りつけて触れている。その時はくすぐったそうに目を細めるオレは、全く表情を動かさない。周りのふたつ足がうるさいだけだ。

 オレ。オレ、怪我はない? オレ、せっかく硬くなった皮膚が剥がれちゃったけど、痛くない? 大丈夫だよ。オレは毎日脱皮するから、すぐに硬くなるよ。立派な成体になれてよかったね。オレ。

 オレだぁ。

 ぺたぺた自分の手でオレを触れることが嬉しくて、何度も何度も触る。オレはされるがままだ。『こら』も『くすぐったい』も『全くお前は』もない。でも、嬉しい。オレがいる。オレと近い姿で、わたしもいる。


「…………隊長に懐くとは豪胆な」

「…………肝が据わりすぎだろう」

「…………感性が特殊なのでは?」

「ひぃい! にこにこしてるぅ!」


 ふたつ足うるさい。


「俺は、どういう反応をすればいいんだ……」


 オレは、ぺとぺと触るわたしの手をそのままに、顔をぴくりとも動かさず鳴いた。わたしの首を掴んでいた手が離れていく。結局撫でてくれなかった。わたしはがっかりした。

 ぺそんと落とした視線の先で、さっきわたしに触っていた手とは逆の手が見えた。その掌は真っ黒になっている。どうやら煤けた物を触ってしまったらしい。森はどこもかしこも真っ黒になってしまったから、オレはもっと気をつけないといけないと思う。

 わたしの視線を辿ったオレは、自分の手を見てぎゅっと唇を噛みしめた。


「ケダマ……」


 呼んだ?


 わーいと両手を頑張って上げれば、オレはすっと表情を消した。そして黒くないほうの手で、わたしから落ちた脱皮を再びかぶらせた。嫌だけど、オレがかぶってろと鳴くんなら、かぶってる。しょんぼりどれかの脱皮をかぶったら、オレは立ち上がった。わたしもついていこうとしたのに、ぺそりと潰れるだけだった。


「後は任せる」

「はっ」

「残党狩りに三十連れていく。後は好きに使え」

「了解しました」


 そう鳴いて、オレはすたすた歩いて行ってしまった。オレが行っちゃった。オレ……オレ、凄い。ふたつ足でいっぱい歩いてる。あんなに硬い、がしゃがしゃ音を立てている皮膚の足で、あんなに早く。でも、オレ。そんなに音を出してたら敵に見つかっちゃうよ?

 ふたつ足の成体は、硬い皮膚を得る代わりに身を隠す術を失ったのかもしれない。それは心配だ。わたしが守ってあげなければ。



 そこまで考えて、わたしは「あ」と口を開けた。音は出なかったけれど、出なくてよかった。神様からケダマって知られちゃ駄目だって鳴かれていたのを忘れていた。うっかり返事をしてしまった。失敗だ。

 反省したら、段々眠くなってきた。地面にぺそりと潰れたまま目を閉じる。本当は巣に戻って寝たいけれど、巣は燃えてしまった。巣を作っていた洞もきっと残っていない。それに、神様がいなくなった森には、もう帰れない。


 森から出たことはないけれど、森がないのなら仕方がない。住処を見つけなければ。巣を作るための森を見つけることから始めなければならない。縄張り争い面倒だなぁと欠伸をする。今日じゃなくていいや。

 どれかの脱皮も嫌だけど、オレがかぶっていろと鳴くからかぶっているし、今日は頑張ったからこのまま寝てしまおう。どれかの脱皮は嫌だけど、わたしの毛皮の色より闇に溶けやすいし、地面にぺっそりしていたら外敵から見つかりにくいだろう。それに、どうやらオレはこの群れの頭のようだ。オレが群れを率いているなら、そうそう無体なことはされないだろう。だってオレは優しいのだ。問題ない。きっとそうだ。そうに違いない。だって眠い。

 どれかの脱皮は本当に嫌だけど。オレの臭いならいいんだけど、ふたつ足の雄の臭いは、あんまり好きじゃない。血と同じ臭いがする。硬い皮膚からその臭いがするのだ。血の臭いもするけれど、血とも違う、ふたつ足が持つひとつの爪と同じ臭い。でも我慢しよう。眠い。


 わたしはそのまま眠った。ぐぅ。








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― 新着の感想 ―
[一言] すみません、先の感想で続編のお願いをしてしまいましたが、発見しました。かなり嬉しいです。 ありがとうございます!
[良い点] 素敵なお話でした。 オレのケダマへの対応が優しくて何か切ない。 ケダマ視点の世界観もとても好きです。 他の作品でもそうですが、言葉が綺麗に紡がれていく感じで心に染みます。 [気になる点] …
[一言] 守野伊音さんのお話、優しくて、クスリと笑える物が多くて好きです。 このお話も心に残る様な、何度も読むだろうと思っている物なのですが。 とっっっても先が気になってしまって。 続編というか連載等…
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