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執行官:霧前天鳥  作者: 架音
二章
7/11

6話 距離感

 元河真人が特殊災害対策委員会北関東支局に着任してから、一〇日ばかりが経過していた。


 もう来週になれば月が変わる時期ともなれば、寒さも大分温くなってくる。そろそろ一部の桜がつぼみを綻ばせはじめ、おそらくあと何日か過ぎれば桜も見頃になることだろう。


 そんな、どこかのんびりした空気が漂う特殊災害対策委員会北関東支局の中で青年が何をしていたかと言えば、ごく普通の書類仕事であった。


 正直なところ青年としては、初日に見せつけられた”あれ”が頻繁に起こり、あちこち引っ張り回されると思っていた。場合によっては命の危険もあるんじゃないかと覚悟もしていた。しかし実際のところはさにあらず。

 あの後は特に”案件”が発生することはなく、些か拍子抜けしたまま年度末に発生しがちな大量の書類の処理をしつつ日々を過ごすという、ある意味例年通りのどこにでもいる国家公務員らしい日常を送っていたりしていた。


 まぁその処理している報告書やら申請書やら破棄された稟議書やらに記載されている文字の中に”鬼”をはじめとして”物怪”やら”妖”やらの、間違いなく他の部署ではお目にかかることのない単語がやたらと踊っているのはご愛敬……と言ってもいいのかどうか。それに目を閉じれば書式そのものはよくある公文書としては定型の書式に則ったものであるので、さほど変わったものではないと言えるかもしれない。


「……ふぅ」


 昨日栃木県内某所にある分局から上がってきた報告書と添付書類を読み込み、不明な部分は分局に連絡し確認し、電話越しではあるがあちらの担当執行官に細かい要目の説明を受け、支局長が目を通す最終報告書を作り上げた青年は小さく溜息をついた。


 と、それが耳に届いたからと言うわけではないのだろうが、机に湯気を立てるコーヒーの入ったマグカップが置かれる。


「お疲れじゃのう」


 青年が視線を向けると、ここまでマグカップを乗せてきたのだろうトレーを両腕で抱えてニコニコと微笑んでいる少女が立っていた。


「あ、ああ……ありがとうございます霧前さん」


 青年がやや表情を引きつらせつつも礼を言うと、少女は細く整った形のよい眉を顰め、少し不満げな表情を浮かべながら少し呆れたように声を漏らす。


「なんじゃ、まだ慣れんのか?」

「いや……ええまぁ……そんなところですね」


 青年は苦笑を浮かべながら、何に慣れていないのかを意図的にごまかしながら、曖昧な笑いを浮かべて返事をした。


 正直なところ青年は、少女との距離感を図りかねていた。


 最初の出会い……というほど格好をつけたものではないが、夕闇が迫る中で会話をした少女からはどこにでもいるような普通の女子中学生という印象が強かった。


 しかしその第一印象は僅か数分後に覆されることになる。


 人懐こくて可愛らしい、どこにでもいそうな女子中学生……そう思った人物は、溢れるように現れた異形……大小含む”鬼”の群れに躊躇いもなく突撃し、どこからともなく一振りの刀を取り出してみせ、そのことごとくを撫で斬りにしたのだ。


 しかも一滴の返り血も浴びず、一筋の傷も負わずに、だ。


 強烈なことこの上ない邂逅だったと言えるだろう。


 そして、少女がその最初の邂逅の時と同じイメージを保っていたとしたら、青年は現在のように距離感に戸惑うようなことはなかっただろう。


 翌日、改めて支局で顔合わせをした少女から受けた印象は、昨日とは違った意味でまた強烈なものだった。


 別にその見た目が変わったわけではない。整った、将来が楽しみな幼さを残したどこか怜悧な印象を与える容貌。小柄ではあるが均整のとれた肢体。その動作の端々に現れる所作に品の良さを感じるところは一緒だった。


 だがしかし、その視線が、その仕草が、その表情が前日の少女のそれとはまったく違っていた。


 良くも悪くも真摯さだけしか感じなかった視線には、からかうような、値踏みするかのような、挑発するような、推し量るような……複雑な光を湛える鋭い、少女のものとは思えないそれに変わっていた。

 表情もそれに合わせるかのように、わざと見せつけるかのようにくるくるとよく変わり、時折見せる人の悪そうな笑顔はどこか老獪な印象を青年に与えていた。

 距離感の近さはあまり変わらなかったが、気配をまったく感じさせずにいつの間にか隣にいて、したり顔で頷いていたりするのだから心臓に悪いことこの上ない。


 その中でも特に戸惑ったのが、その口調だった。


 最初に顔合わせをした時の、いかにもな少女らしい言葉遣いは全くなくなり、その涼やかな声が紡ぎ出すのが年寄りじみたそれであるというのは、戸惑うなと言う方が難しいものだった。


 少女自身はこっちの方が普段通りであると言い、支局の職員も――支局長も含めて――それを肯定したので一応は納得はしたが、納得するのと慣れるのはまた別の話である。


 そういうわけでそれらのこともあって、青年はどうにも今ひとつ少女との距離を未だに測りかねているのだった。


「……ま、よかろ」


 少女は黙ってしまった青年をしばらくじっと見つめ、それに対して青年が嫌な汗を掻き始めた頃にようやく視線を外すと小さくため息をついてそう言葉を漏らした。


「ではの。ああ、一応儂手ずから入れてやったんじゃ。できれば冷めないうちに飲んでくれんかの?」


 少女はそう言うと、青年に背を向けて事務室から出て行く。


 残された青年は、しばらくの間少女が出て行った扉の方を眺めていたが、一つため息をつくと椅子に座り直し、残されたマグカップの中で揺れる黒い液体の表面に視線を落とし、小さく呟いた。


「……本当、どうしたもんかな……」



     ◇         ◇         ◇         ◇



 特殊災害対策委員会北関東支局の給湯室は、ちょっとした設備が整えられている。具体的にはマンションなどによくあるダイニングキッチンが適当だろうか。

 広さもそこそこあり、キッチン部分が四畳ほど。休憩室も兼ねるダイニング部分が六畳ほどある。


 その休憩室に据えられた丸テーブルの上にだらしなく上半身を投げ出しながら、少女は小さく呟いた。


「……うまくいかんのぅ」


 そんな少女の様子を見て、石蕗はクスクスと笑い声を漏らし、少女はぐでっとしたままやや恨みがましげな視線を石蕗に向ける。


「ごめんなさいね。でも天鳥ちゃんがそんな風になってるの珍しくって」


 石蕗は楽しそうにそう言うと、手に持ったマグカップに口をつける。そんな石蕗をそのままの姿勢で軽くにらんでから、少女は小さくため息をついた。


「やはり初日のあれがまずかったかのぅ……」


 特殊災害対策委員会の業務は、その名が示すとおり極めて特殊である。


 最も困難な執行案件の処理に関しては天鳥のような”対抗できる素養”をもった人間が対応するのだが、それとは別に案件が無事処理されたかを確認するための確認業務を行うため、これに一般の職員が当てられることになっているのだ。


 当然事前に説明をされるべきなのだろうが、元河真人の例に見るとおり、それがなされることはない。せいぜいが身体的な危険に遭う可能性を示唆する程度である。


 無論それがあまりよろしくないことは、特殊災害対策委員会の職員はよく理解している。しているのだが正直な話、真摯に業務内容を説明したところで一体どれだけの人間がその内容を理解し、納得するというのであろうかという問題点が出てくる。

 どう上手く言い繕うと、その業務内容(やること)は伝奇アクション漫画や小説に出てくる巻き込まれる一般人、よくて主人公の相棒枠のそれである。

 無論探せばそういった状況に嬉々として飛び込んでくる笹座作(バカ)のような例もないわけではないが、特殊な例外を一般化するようなことを仮にも官僚組織がするわけがない。


 結果乱暴極まりないないが、いきなり現場に叩き込んで実際に案件の処理現場を見せることで、説明の手間を省くといった手法が非公式なマニュアルとして特殊災害対策委員会の内部では用いられていたりするのだ。


 正直説明義務も何もあったものではないが、各種手当てや補助の割り当てを増やすというわかりやすく札束を積むことで、後から不満を解消、あるいは納得させているのが現状である。それがいいことか悪いことかはここでは言及しないが。


 ともあれそのぶっつけ本番いきなり現場という事態の際、執行官が見た目もわかりやすいそれなりの体格や風貌をしていればこういったやり方も――些か乱暴な話ではあるが――特に問題が発生、あるいは表面化することもないのだが、残念なことに天鳥は見た目もわかりやすい中学生の少女である。


 あの現場を見た後でも少女の指示に素直に従わない、あるいは無駄に少女の心配をして勝手に動く人間が結構いたのだ。


 そういった何回かの失敗を踏まえて、少女はある程度の段階を踏むことでそれらの人間を減らすことを覚えた。


 こちらを侮る人間にはあえて挑発的な態度をとり、その後の戦闘時にわざと攻撃をそちらに流した上で助けるようなマッチポンプを行うことで信頼を得ることもした。心配してくるような相手には、素人にもわかりやすい余裕のある立ち回りを見せることで、杞憂であることを分からせた。


 その都度都度、ある程度相手の反応を見ながら調整をしながら、自分の指揮下に入るようにさせてきたのだが……今回は微妙に失敗しているのだ。

 いや、心理的な指揮下に組み込むという点では成功しているのかもしれないが、どうにもその後の関係が微妙にぎこちないままであるのが気に入らない。


「……というよりも、天鳥ちゃんの普段の姿(それ)見せるのがちょっと早過ぎたんじゃないの?」


 テーブルに身体を投げ出しただらしない姿勢のまま、一人考え込んでしまった天鳥に対して、石蕗は呆れたようにそう言う。


 どうせ今回も最初はあざとく振る舞ったんでしょ?なのにその次の日にすぐその本性見せたら普通の男の人が戸惑わないわけないじゃない。


 容赦のない石蕗の突っ込みに少女はうめき声を漏らした。


「……別にあざとくなんぞは……」

「……あれ、別に完全に素でやってるわけじゃないんでしょ?」


 石蕗の突っ込みに、少女は口を閉じる。意識してやっているのかと言われれば確かにその通りだが、石蕗の言うとおりにあざといとまで言われるとは欠片も思っていなかったのだ。なのでつい反論してしまう。


「……確かに多少は演技もあったのは認めるがのう……」

「まぁ、悪意マシマシでやってるわけじゃないのは私も知ってるけどね」 


 そう言ってにっこり微笑まれると、少女としてもそれ以上言いつのるのは難しい。できることと言えば不満そうに頬を膨らませるくらいである。


「天鳥ちゃんはもう少し自分の容姿を気にした方がいいと思うの」

「見た目なら普通じゃろ?」


 何言ってんだこいつとでも言いたげな表情を浮かべてそういう少女に、石蕗は天鳥に淹れてもらったコーヒーが入ったマグカップを手に持ったまま、ため息をついた。


「天鳥ちゃんが普通なら、普通のハードルが上がりすぎるわよ……ともかくあなたその顔で愛想振りまきまくってたら、いらない男まで虫みたいに寄ってくることになるわよ?というより言い寄られたりしないの?」

「うちは女子中学校だしのぅ」

「ああ……中高一貫のお嬢様学校だったっけ?」

「儂本人はお嬢様なんてもんじゃないんじゃがの……まぁ母のお願いじゃったからな」

「ふうん?ま、それはともかくもう少し自分の見た目に注意しなさい。いくら天鳥ちゃんが強くても、世の中笹座作さん(あのバカ)みたいな人のいいバカばかりじゃないんだから」


 そう断言する石蕗の言葉に、少女は姿勢を正して椅子に座り直すと両手を挙げて降参の意を示した。

 色々言いたいこと、言い返したいことはあるが、正直なところこの手の言い合いで彼女に勝てたためしがない。もっともいくら生前と今の年齢を足して一〇〇を越えていても、女として生きた時間は彼女には及ばないのだからある意味仕方ないのかもしれないが。


「それで話を戻すが、どうすればいいかのぅ」


 あからさまに話題を変え、当初の相談に内容を戻した少女に石蕗は少し呆れたように軽く息を吐き、自分が思う解決方法を口にする。


「時間に任せるしかないでしょ。要するに元河さんはまだ最初に話したときの天鳥ちゃんの姿の方が印象が強いのよ……あのバカと御倉さんに聞いたけど、ちょっと今回は熱心すぎたみたいじゃないの?」


 石蕗の言葉に、少女は頬を指先で掻きつつあの日のことを思い返す。言われてみれば、多少やり過ぎた気がするような気がしないでもない。


「あ~……まぁ、あのバカが伝言を忘れたせいで、いきなり顔合わせをしたからのぅ……それで、いつもよりも多少熱が入ってしまった……かもしれんの」

「あ、そんな理由があったんだ……ていうかまたあのバカがやらかしたのね……」

「時間も時間じゃったから、顔を見るのに大分顔を寄せて話すことになったのも……考えてみればあれもまずかったかの?」

「まずいに決まってるでしょ、このおバカ」


 石蕗はそう言うと、少女の頭を軽く叩いた。

 どうにもこの少女はそもそも自分が女であるという意識が薄い。正直この妹のような少女がいつか男関連で何か大やけどするんじゃないかと気が気ではないのだが……まぁ、高校生になっても改まらなかったらまた叱ることにしようと心に決める。


「まぁやっちゃったことは仕方がないんで、次からは気をつけなさい」

「む……善処する」

「善処じゃなくて、ちゃんと守りなさい。ともかく、元河さんにとってはその初対面の時のインパクトが強すぎたんだと思うの。猫被ってる天鳥ちゃんがデフォだと認識しちゃってるのよ」

「……つまり?」

「仕方ないと思って、元河さんがこっちの天鳥ちゃんに慣れるまで諦めて我慢しなさい」

「……了解じゃ」


 石蕗の言葉に、少女は深々とため息をついた。

石蕗女史の口調が安定してないような気がする……


次回更新は週末までになんとかしたい所存

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