1話 特殊災害対策委員会
間が空いてしまい申し訳ありません。
ちょっと当初のプロットだとあんまりうまく動いてくれなかったもので、全面的に書き直してました。
なお、第一話だというのに主人公名前しか出ませんが、仕様です。
多少は暖かくなっては来ているが、未だ寒さが抜けきらない三月初頭の某日昼過ぎ。
上品なグレーのスーツを身に纏った青年が一人、とある古ぼけたビルの前でいささか呆然とした面持ちで立ちすくんでいた。
さもありなん。以前の上司から手渡された地図が正しければ、今この目の前にある古ぼけたビルこそが、今日から青年が出向することになっている新しい職場ということになるからだ。
しばらくの間その古ぼけたビルを眺めていた青年は、あきらめたように小さくため息をつくと、あらためて自身の新しい職場であるビルに視線を巡らせる。
立地自体は、そう悪いものではない。
このあたりの幹線道路である国道からもさほど離れておらず、バス停も近い。駅からの距離も3キロ程度で、雨の日は辛そうだが徒歩での行き来も問題なしと、交通の便は悪くはない。建物の正面に設けられた駐車場もそこそこの広さがあり、普通乗用車なら八台ばかり停められそうな余裕がある。
だがしかし、周囲に鬱蒼とした木々が生い茂り、建物を周囲から完全に覆い隠してしまっているのが、いささか頂けない。国道から一本入った側道の、そのさらに奥に建物が建てられているせいで、表からは中が一切窺えず……そのせいで鄙びた雰囲気を余計に助長しているような気がしないでもない。
「ああ、そういえばなんとかいう神社の敷地を借りてるんだったか?」
夏場は涼しそうだなとか、いやいやむしろ虫がたくさん出てうっとうしいか?などとやくたいもないことを考えていた青年は、ここへの出向辞令を携えてきた前の上司が色々と言っていた言葉を思い出し……思わずその場で腰を落とした。さすがに直接地べたに座り込むまではしなかったが。
「総務省外局特殊災害対策委員会北関東支局……で、間違いないよなぁ」
ビルといってもわずか3階建ての、エレベーターもなさそうなこぢんまりとした建物で、造り自体はしっかりしていそうだが、いかにも年代物といった汚れをたたえた壁面の一部には蔦が這っており、なんとも表現しづらいというかよく言えば雰囲気があるというか、忌憚なき意見を述べるならばうらぶれた雰囲気が溢れまくっているのだ。
先週までは都内の霞ヶ関にある合同庁舎で仕事をしていたおかげで、なんというかまぁ、その落差が著しい。
「まぁ、左遷って訳でもないらしいが……」
辞令を言い渡されたのが二週間前。急な異動ではあったが、まあ仕方がないと内心辟易しながら業務の引き継ぎと引っ越しの準備をしつつ、職場の先輩や他省庁に詰めている数少ない友人に、新しい配属先についてそれとなく聞いて回ったところ、何らかの懲罰的な人事ではないことは確認できていた。
残念ながら業務内容については守秘義務が厳しいらしく、誰からも――それこそ辞令を渡してきた上司からすら『配属後に現場で確認してくれ』と言われ――聞くことはできなかったが。
「さすがにちょっとモチベーション下がるかなぁ……」
古いビルにはありがちな、見た目の作りは立派な、無駄に重そうなガラス製の観音開きの扉。
その脇に立てかけられているやたら大きな一枚板に、無駄に達筆な筆遣いで書かれている『総務省外局特殊災害対策委員会北関東支局』の文字を眺めながら、田舎のヤンキーのように座り込んでいた青年は再度深々とため息をついた。
◇ ◇ ◇ ◇
「やぁやぁこんな辺鄙な所へようこそ、元河真人君」
三階の一角に設けられた支局長室で、青年はこれから暫くの間付き合うことになるだろう痩身の、四〇がらみの上司から、暖かくもちょっと胡散臭い歓迎の言葉を向けられていた。
「いやー、前任者が急に辞職しちゃってねぇ。何でも牛蒡作りの魅力に目覚めたらしくてさ、田舎に土地を買って残りの人生は農業に尽くすなんて言い出しちゃってさー」
「はぁ」
微妙に軽薄そうというか、いまいち威厳の感じられない口調の支局長に、なんとも言葉を返しようがなく青年は気の抜けた相槌を打つ。
「これでも必死で慰留したんだよ?まだ三〇になったばかりで……嫁さんはまだいなかったし、一人で農家なんて無茶もいいところだって言ったのに聞きやしなくてねぇ」
「それはまぁ、大変でしたね?」
「大変だったんだよ。いくら機械化されたって言っても農家なんて結局人手を揃えてなんぼなところがあるし……まぁ、結局慰留の説得は失敗。そんでもって理由はともかく、欠員ができたら補充しなくちゃならない」
ほら、うちって少数精鋭って名の常時人手不足だからさ。
支局長はそう言うと立ち上がり、机を回って青年の前に改めて立つと、右手を差し出してきた。
「急な異動で申し訳ないんだけど、そんなわけだからよろしく頼むよと。と、そうそうまだ名乗っていなかったな」
差し出された右手を青年が握り返すのと同時に、頭を掻きながらこの今一掴み切れない雰囲気を持つ支局長は自身の名を告げた。
「総務省外局特殊災害対策委員会北関東支局支局長の酒船だ。よろしく頼むよ?元河君」
◇ ◇ ◇ ◇
支局長自らの案内で、先ほど支局長室のことを訪ねた二階の事務室に連れてこられた青年は、こちらは型通りの挨拶をして頭を下げる。
「本当ならここにはあと三人いるはずなんだけどね」
一人は辞めちゃった君の前任者だから、置いとくとして。あとの二人は確か今日は外回りに出てるはずだから……まぁすぐに会うと思うからその時は挨拶よろしくね。
そう言うと支局長は部屋に残っていた二人の職員の方を見て、軽く手を振る。
「そんなわけで石蕗君と笹座作君、自己紹介はそっちで適当にやっといてくれる?私はこれから怖い怖い委員長様に、彼が無事着任したことを報告せにゃならんのでね」
ついでに業務内容のレクチャーもよろしく~
言いたいことだけ言い残すと支局長はひらひらと手を振って事務室を出て行き、その場には青年と、青年よりももう少し年が上らしい同僚と、青年よりももう少し年が低そうなショートカットの女性だけが残された。
「……なんというか、独特な方ですね」
妙な沈黙に支配される前に、青年は思わずといった風に呟きを漏らす。その呟きにショートカットの女性はわずかに緊張していた雰囲気を和らげると、魅力的な微笑を浮かべながら青年に声を掛けた。
「あれでも結構やり手なんですよ?支局長。あの雰囲気は確かに独特ですけど」
「そうなんですか?」
「ええ。必要最低限よりもちょっと多めに予算を引っ張ってきてくれますし……あ、私石蕗伊鈴です」
よろしくお願いしますね、と言って差し出された右手を軽く握り、青年はあらためて挨拶を返す。
「よろしくお願いします。石蕗先輩」
「先輩なんてつけなくていいですよ。私、現地採用の非常勤職員ですし、大学行ってませんから多分元河さんよりも年下ですし」
「そうですか……では石蕗さん、改めてよろしくお願いします」
「はい。よろしくお願いします」
と、二人がにこやかに握手を交わしていると、もう一人の同僚から声がかけられた。
「つーか、俺のこと放置して二人だけの空間作るって、さすがにひどくない?石蕗ちゃん」
「?ならさっさと自己紹介すればいいじゃないですか?」
「……相変わらず俺に対してだけはセメント過ぎない……?」
「普段のご自身の態度を改められれば、私も多少は友好的に接しますよ?例えばその机の上に広げたプライズ品のフィギュアの数々を自宅に持ち帰るとか?」
そう言って石蕗は、事務所の一角に据えられている机へと視線を送り、それにつられて真人もそちらを見る。そこは、先ほど二人の前で挨拶をしたときにも気になっていた机だった。
何しろここには着任したばかりである。ひょっとしたら万が一何らかの資料等の、業務に必要なものではないかと思い見て見ぬふりをしていたのだが、もしあの机の上に山のように飾られているあれらの小さな人形が、もし私物であったとするのならば――
「これはひどい」
真人は端的に、自分の心情を表現して見せた。
「ひどくないしっ!?これは俺の癒しだし、俺が仕事するモチベーションの維持に必要な戦略物資だし、効率的に仕事をする上で必要な心の燃料なんだぞ後輩っ!?」
「いや、自分もこちらの業務を把握していないので、何らかの資料等ではないか等の理由があって置かれてるもんだと思い、さっきの挨拶の時はスルーしてたんですが……趣味は人それぞれですし?ええっと、とりあえずほかの職員の机を領土侵犯しなければまぁ……」
必死になって訴える先輩の言葉に真人は丁寧に、しかしバッサリと言葉の刃を振り下ろす。
「終わった……せっかく気さくな先輩を演出して、新たなパシリになってもらおうと思ってたのに……」
「くだらない悪巧みしても元川さんの机、笹座作さんの隣なんですから今日半日も保つわけなかったと思うんですが?」
「あ~……笹座作新。一応三年先輩?になるんでよろしく」
尊敬してくれていいんだよ?といった台詞を続けながら差し出された右手を握りながら、真人は表面上はにこやかな微笑みを浮かべ、尊敬できるところを見せて頂いたらそうさせて頂きますと言葉を返す。
――しかしずいぶん体格のいい人だな
握られた右手から伝わってくる想定よりも遙かに大きな力強さに、真人は表情に一切出さずに内心で先ほどの自身の台詞を翻し、僅かだけ尊敬の念を抱いた。
さほど熱心な生徒ではなかったが、大学を卒業するまでは自宅近くの空手道場に通い、一応二段の資格を持っている。身長も一八〇センチ近くあり、それなり以上の体格の持ち主であることを自負していたが、今握手を交わしている新しい同僚はそれ以上の体格の持ち主だった。
身長は自身よりも頭一つ高い、二メートル前後。肩幅も広く、ややゆったりしたスーツに身を包んでいるが、おそらくその下の肉体は最近運動不足気味な自分とは比較にならないほど、鍛え上げられているのが見て取れる。
「まぁそこは追々尊敬してもらうことにしてだ。一つ聞いておきたいことがあるんだ後輩」
笹座作はつい今し方のやりとり全てを忘れたかのように、改めて真人に話しかけた。
「何でしょうか先輩」
「夏の有明のイベントで手伝いしてくれそうな知り合い、いない?」
◇ ◇ ◇ ◇
「ところで石蕗さん、さっきの支局長の話ではまだ職員がいるような話でしたけど」
あの筋肉と、笹座作のことを脳内ではそう呼ぶことを決めた真人は今のやりとりを見て、疲れた表情を浮かべている石蕗に声をかけた。
支局長の口ぶりでは自分の前任者とは別にもう二人が、ここに在籍していることになる。名前だけでも確認しておきたいと、真人は石蕗にお願いする。
「あ、ええっとそうですね。一人は御倉総治郎さん。今年で五三……だったかしら。そこの筋肉バカとは違ってちゃんとした方です。書類溜めたりしませんし、たまにお茶請けを差し入れてくれたりするんですよ?」
石蕗の言葉に対して真人の背後から笹座作が抗議の声を上げたが、二人とも一顧だにしない。
「さすがにそうそう変な人ばかりではないと」
「変人は笹座作さんよりも、むしろ支局長の方かもしれませんけど……ともあれ支局長は変人でも仕事はできる方ですから。必要な予算はいつもきちんと確保してきてくれますし」
「なるほど……それでもう一人は?」
「もう一人は私と同じ非常勤の職員なんですが、この職場で唯一の執行権持ちの三級執行官ですね」
「三級執行官……ですか?初めて聞く役職なんですが……特殊災害対策委員会にはそういった名称の役職が?」
真人の問いに対して石蕗は、「あ」と小さく声を漏らして小さく舌を出してから真人に頭を下げた。
「すいませんでした元河さん。業務内容の説明もまだでしたね」
「あ~……やっぱり何の説明も事前に受けてなかったのか?後輩」
会話の流れが変わったからと言うわけではないのだろうが、頭を掻きながら笹座作が確認するように声をかけてくる。
「業務内容はこちらに来てから、現場で聞くようにとしか言われてませんでしたよ、先輩」
「ありゃまぁ……いい加減丸投げはやめてほしいんだけどなぁ」
なんとも言いがたい表情を浮かべて笹座作がため息をつくと、石蕗はにこやかに話を進める。
「守秘義務がきちんと守られているようで何よりでしょう。それにうちの業務は口頭や文書で説明しても到底……理解できるものとは思えませんでしょうし」
「確かに石蕗ちゃんの言うとおりなんだろうけど……ま、しゃあないか。御倉さんと天鳥ちゃんは何時頃から始めるって言ってたっけ?」
「予定では一八〇〇からですけど。いきなり現場を見せるんですか?」
「まだ間に合うか……実際見てもらった方が早いんだから仕方ない。やむを得ない被害ってことで、後輩には我慢してもらうことにしよう」
しばらくは肉を食えなくなるかもしれないけどな、と笹座作は笑い、石蕗は小さくため息をついた。真人はといえばあまりにも急に話の流れ……というよりも状況が急変していることに、言葉を失っていた。
どうやら“現場”とやらに連れて行ってもらえるというか、連行されるようだが……そこで何が起こるのか、起こっているのか皆目見当がつかない。
「石蕗ちゃんは御倉さんに連絡入れといて。今からなら……一七三〇には合流できるだろ」
「天鳥ちゃんにもあまり派手なことにならないようにお願いしておきますね」
「……あの子、そういったこと頓着する子だったっけ?」
「……お願いするだけならただですから……」
「……まぁいいや。なるようにしかならんでしょ。と、ほいじゃ元河真人君」
唐突に始まった石蕗と先輩のやりとりをあっけにとられたまま眺めていた真人に向けて、笹座作は今までのどこか抜けたところが感じられた笑い顔とは全く違う獰猛な、まるで一匹の獣のような笑い顔を見せる。
「着任早々悪いんだけど、現場に行ってみるとしようか」
今回は以上になります。
次回は少なくとも主人公は出ます(確定)
剣戟はどうだろう(未確定)