表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
執行官:霧前天鳥  作者: 架音
二章
11/11

10話 月下

ちょっと大分遅くなりましたが再開します。



 時刻はそろそろ八時を回った頃だろうか。


 街路灯もない、歩道もない、道幅も二車線もない農道を一組の男女が歩いていた。


 幸いなことに空には雲一つなく、満天に煌めく星明かりと満月には少しばかり足りない月明かりのおかげか、多少男性の方が歩きにくそうにしているが、支障なく夜中の散歩を楽しんでいるように見えた。


「まぁ色々あるが……結局のところ儂は剣を振ることが楽しいだけなんじゃよ」


 自身を囮とするために、夜中の散歩に勤しんでいた少女は雑談の中で出てきた青年の問いに対してそう答えた。


「大体こんな仕事、どこかに楽しみでも見つけんとやってられんわ。いささか物騒かもしれんが、こんな機会でもないと真剣を用いた実戦など出来るわけがないからの」

「そりゃまぁそうかもしれないけど……それでも怖くはないのかい?」


 青年は、ここまで来る間の車中でのやりとりで大分馴染んできたのか、以前に比べると遙かに砕けた口調で少女に重ねて問いかける。


「恐ろしいとは思うておるよ。そもそも命を落とすかもしれんことを恐ろしいと思わなくなったら人として仕舞いだろうしの。でもまぁかといって怖かろうが恐ろしかろうが、それで技を鈍らせるようではとても武人とは自称できんよ。それに……こちらから手を打たねばいずれ遠からず儂の肉を喰らいに来る故是非もないわ」


 そう言うと少女は小さく溜息をつくと青年に視線を向け、僅かに口元をほころばせる。


「どうせ聞いておるんじゃろ?霧前の血のことを」


 その少女の問いに、青年は首を縦に振る。


「……おおよそのところは、支局長から」

「ま、そういうわけじゃ。どうあっても向こうが放っておいてくれんなら、こっちから片をつけにいかねばならん。儂もまだこの年で死ぬつもりはないしの。それにまぁこれでも普段は上手いこと隠しておるし」


 少女の言葉に青年は首を傾げた。


「今一よく分からないが、普段は何らかの手段でその……”霧前の血”を目立たないようにしているって事かい?」


 その問いに少女はすぐには答えず数歩、青年の前に足を進めるとくるりと振り向くと自身の襟元を指先で指し示す。


「車から降りた時に、預けたモノがあったじゃろう?」


 少女の言葉に、青年は三〇分を度前に少女から預けられたシンプルな黒河のチョーカーのことを思い出した。


「ああ、あのやたら細かな幾何学模様が刻んだ金属板のついた……」

「他にもいくつかもっておるが、まぁ”霧前の血の匂い”を押さえ込む絡繰りみたいなものと覚えておいてくれればいいわ。あれのおかげで普段は近距離まで近寄らなければ奴らに気が付かれはせんが、今ならそうさの……鼻がよい奴なら五〇キロ先でも匂いを辿ってくるだろうよ」


 そこまで話すと、少女は妙に色気の或る表情を浮かべて小さく笑う。その笑顔を見た青年は僅かに鼓動を強くし……それとは別にその表情、それが孕む意味を推測し理解すると確認するように少女の瞳を覗き込んだ。


「……つまり?」

「喰い付いたということじゃな」


 少女はそう言うと口を閉じ足を止めた。切れ長の瞳が月明かりでも照らしきれない彼方此方の闇に潜む何かを見定めるように、すっと細められる。


 直後、遙か遠くから犬の遠吠えが一つ響いてきた。


「今のは……」

「少し急ぐぞ」


 少女は表情を引き締めたままそう言うと小さく息を吐き、青年の腕を掴むと先ほどよりも早い歩調で再び歩き始める。

 その後を追うように、今度はもう少し近くからなのか、先ほどよりも大きな遠吠えがまた一つ、響き渡った。


 さらにその声に呼応するかのように今度はまた別の方角から野犬の吠え声が響き、それが終わるとまた別の方角から――遠雷のような唸りを伴った野犬の遠吠えはひっきりなしに、そして徐々に二人へと近づいてくる。


「まだ本命の親玉は来ておらぬようじゃが、囲まれておるわ……走ると変に刺激するかもしれん」

「わかった……けど」

「なに、まだ些か時間はあるわ。とりあえず次の辻に立っておる……夜じゃと何の木かは判らんのう……ま、あそこまでは行けるじゃろう」

「間に合うのか?」


 あらゆる方向から響いてくる不気味な遠吠えに、青年は内心にわき上がる不安を押しとどめて少女に尋ねた。


 少女が言っている辻は大分先だ。夜間なので多少距離感が怪しいが目測でおよそ三〇〇メートル。それなりの走る格好をしているならともかく、革靴とスーツにコート姿では走っても三分近くかかるだろう。


 早足とはいえ歩きでは、それの倍以上はかかるのは間違いない。


 青年の問いかけは、その移動中に襲われはしないかという意味を含めた問いかけであったが、少女は油断なく周囲に視線を配りながら、小さく笑い声を漏らした。


「恐らく大丈夫じゃろう。奴らは人にとっては些か厄介な存在ではあるのは間違いない。が、その在り方や行動をある程度伝説伝承に縛られるからの。『鍛冶ヶ婆』の話は聞いておるじゃろう?」


 少女の言葉に、朝方支局長から話を聞かされた後、自身でネットから拾ったいくつかの似たような話を確認していた青年は首を縦に振った。


「山犬に追われた旅人が木の上で狼をやり過ごそうとして、化け物狼に襲われそうになったが、護身用の刀で撃退したとか言う話でよかったよな?」

「正解じゃ。で、この話が成立するため、というよりも事件の真相が人口に膾炙するためには、襲われた男が無事に生きて戻らねばならない。この場合、男が無事に生きて戻るための要素とは何じゃ?」


 少女の問いに青年は歩く速度を保ちながら首を傾げ、少女も答えを待つつもりはなかったのか、すぐに続きを口にする。


「脇差し、刀、腰のもの。つまりは得物、武器の有無じゃよ。ま、当然といえば当然じゃな。酒船が言っておったホームレスが助かったのも、後生大事に抱えておった一升瓶で上手いこと親玉を殴りつけることが出来たからではないかの」

「……逆に言えば、得物を持っていない場合は……」

「皆喰われておるじゃろうな。いくつかの伝承では親玉が化けていた人物の自宅から、複数の髑髏が出てきたことを話の終わりで示しておるしの」


 少女の言うとおり、今回の件に関わっているかどうかは分からない行方不明事件がいくつか出ていると支局長から告げられている。その内の少なくとも数件は、今のように野犬の遠吠えに追い立てられ、最後は……


「ともあれ今現在手ぶらに見える儂らは奴らにとってはまさにいい鴨という事で間違いない。仮に伝承通り木の上に登らせても反撃され返り討ちにされる恐れのない、な。ならば慌てて襲ってくることもなかろうよ」


 黙り込んでしまった青年をあえて無視しながら、少女は足を速めつつも器用に肩を竦め、青年にそう告げる。

 その少女の言葉が正しかったのかどうかは分からないが、青年と少女は何事もなく農道が交わる辻の一角に枝葉を伸ばしている木――樹高が一五メートル以上は優にあるだろう櫟の古木の根元にたどり着いた。


 と、同時に四方八方から折り重なるように響き続けていた無数の犬の遠吠えが、ピタリと鳴り止んだ。


「成程。どうやらこの木が今夜の奴らの狩り場、その目印らしいのぅ」


 遠くからではいまいちその高さが判然とせず、近くに寄ったことでさらに掴みにくくなったが――それでもおそらくビルの四階には届くだろう高さのクヌギの木を見上げながら少女は呟いた。


 しっかりとした幹、足場にするには十分な幹から張り出した瘤、人が乗っても大丈夫そうな横枝。野犬に追われた人間が、野犬から逃れるために登るには実に手頃な出で立ちをしたクヌギの木である。


「ふん。実に登りやすそうではあるのぅ。野犬に追われて慌てふためいた人間ならつい、登ってしまいたくなりそうな木じゃ」


 少女はそう呟くと数回、襞が寄ったような手触りの幹を二、三度叩くと、傍らで緊張のために呼吸を少し荒くしている青年に視線を向けた。


「では、ここからは儂の仕事じゃ。すまんが元河さんは当初の予定通りこの木の上で待っておってくれ」

「了解……けど大丈夫かい?」

「まあ、鬼共を相手にするよりはよほど厄介じゃが、それでも野犬ごときに後れはとらんよ。もっとも今回は単に親玉を潰すだけではあまりよろしくなさそうだからの。そういった意味では手間はかかるかもしれんのぅ」


 その少女の言葉に、青年は首を傾げる。


 あからさまな異形である鬼達よりも、ただの野犬の方が厄介なものなのだろうかと疑問に思ったからだ。青年が浮かべたその訝しげな表情を見た少女は、その理由を青年に尋ね、その理由を聞いて苦笑を漏らした。、


「なに、得物が刀である故の厄介さじゃ。刀は腰より下へ攻撃を加えることに向いておらんからの。そうするためにはどうしても姿勢を崩さねばならんから、必然繋ぎが甘くなる故な」


 その少女の言葉に青年はなるほどと小さく頷いた。言われてみればその通りだ。素手よりも間合いが伸びるとは言え、低い位置から向かってくるものに対しての対処能力が格別優れているとは思えない。

 少なくとも槍や長刀のような武器に比べれば明らかに劣るだろうし、少女自身も己が振るう武器の欠点はよく理解しているようだった。


「ま、儂は小柄な女の身体(こんななり)じゃから、逆にまだその手の輩に対しては上手く立ち回れるがの。佐島の大叔父は身体がでかすぎて、刀ではかえって取り回しが悪すぎると言うてな?儂以上に刀好きだというのに、実戦では泣く泣く得物を片鎌槍に持ち替えておったわ……分家の一部の阿呆には女なんじゃから長刀を使えと口うるさい奴がおるし……まぁ儂としても言わんとすることは判るし、その方がいいんではないかと思うことはあるが……」

「刀が好きなんだから仕方がない?」


 少女の言葉を遮るように言った青年の言葉に、少女はにやりと不敵な笑みを浮かべる。


「その通り、と言いたいところじゃが正確には”刀を振るのが好きで仕方がない”じゃな。ああ、こればっかりは譲る気はないわ」


 そう言うと少女は表情を改める。木の前で悠長に話をしている二人にじれたのか、あるいは脅しているつもりなのか、再び野犬の声がそこかしこで上がり始めたのだ。


「話はここまでとするかの。早う登るがいい」

「わかった……気をつけてな?」


 青年の言葉に少女はニヤリと不敵な笑顔を返し、青年はその返答に肩を竦めると少女に背を向け、意外な巧みさでするするとクヌギの木を登っていく。


「……教え込めばそれなりに使えるようになりそうじゃの」


 猿のように、とまでは言わない。


 しかしそれでもとても運動をするような格好ではない服装と靴だというのに、ごく一般的な成人男性としては恐ろしく速い速度でかなり高い位置まで登っていく姿を見ながら、青年の意外な身体能力の高さに少女は驚きと呆れが半々の声を漏らした。


 そして、そこかしこから響いてくる野犬の遠吠えその一切を無視して、少女は改めてぐるりと視線を正面の水抜きをされた枯れ田に向けると、僅かに眉を顰める。


 所々にある積まれた藁の山に、縦横に走る用水路。水田を区切る畝や農機具を入れているだろう簡易倉庫に、野菜の無人販売所など、少女が思っていたよりも視界を遮るものが多数存在していたのだ。


 無論、それらを利用して野犬共が不意を打とうとしてきたとしても、少女が劣勢になることはないだろう。が、遮蔽物が多ければそれなりに手間が増えることもまた、間違いではない。


「面倒な話じゃの」


 言うまでもなく今回の目標は『推定:鍛冶ヶ婆(仮称)』である、野犬どもの親玉であると思われる赤いエプロンの女である。


 数ある説話の通りならば、それが現れるのは襲撃対象が野犬どもではどうにも手に負えなかった後に限られる。つまり、これから姿を現すだろう野犬どもを延々と撃退し続けなくては、本命が姿を現さない可能性が高いのだ。


 かといって、手加減抜きで野犬全てを切り捨ててしまえばいいという話でもない。


 もしそうしてしまった場合、手駒を全て失った赤いエプロンの女は逆に姿を隠したままでやり過ごすことを選ぶ可能性が出てくる。仮にも群れの統率者である。勝てない相手ならば一度引き、隙をうかがい、こちらが反撃できない状況で再度襲撃をかけてくるだろう。


「まぁ、儂の肉には奴らにとってはそれだけの価値はあると思うが……それでもどう転ぶか分からんしのぅ」


 少女は小さく呟くと左手側――用水路の中から声もなく飛び出してきた野犬の鼻面に右の拳を叩き込むと同時に地面を蹴る。その勢いと反動を利用して少女はそのすらりとした足を上に、空中で倒立するような姿勢で身を躍らせた。


 直後、少女が立っていた場所に僅かな時間差を置いて三匹の野犬がそれぞれ別方向から飛び込んできたが、無論その時には既に少女の身体は空中にあり、野犬の牙は少女を捉えることなく、そのまま身体を交差させるのみ。


「……思ったよりも連携が上手いの」


 空中で倒立した姿勢のまま視線を定めないまま、ある一定以上の技量を有する武術家ならば修めている周辺視――観の目、八方目と呼ばれるそれで周囲の状況をまさに瞬く間に収めながら、眼下の野犬四頭が見せた連携に僅かに眉を顰める。


 野犬と一括りにしているが、忘れてはならない。奴らは手練れの狩人であるのだ。頭のよいリーダーに率いられた群れは特に、だ。たとえば今自分が相対しているこの群れのように。


 今の一瞬の連携、そして視界の端にいつの間にか姿を現し、しかし不用意に突っ込まずにこちらの動きを伺うように視線を送るに留めている次の襲撃役らしい野犬の様子からもそれはよく分かる。


 いくら餌が美味そうだろうが、それが罠と紐付けされていると分かれば恐らくこの群れは引くだろう。そして、再度状況が変わるまで待ちの姿勢を取るに違いない。少女が隙を見せるその時まで、自分たちが有利になるその瞬間まで、虎視眈々と周囲に潜み機を伺いつつ、だ。


 そうなってしまっては元も子もない。


「……しばらくは無手で相手をするしかないか」


 少女は、判っていたこととはいえ些か面倒になった状況に小さく声を漏らすと、宙に舞った身体を捻るとどういった身体操作のたまものか、足場のない空中であるというのにそれなり以上の勢いをつけて右足が流れるように振り下ろされる。


 その先にあったのは、少女よりもよほど体重がありそうな大型犬の背中だった。恐らくほんの僅か前に最も低い位置で揺れていた両腕のどちらかを狙って飛び込んできたのだろうが、大きく開かれた顎の先にそれはすでにない。


 巧みな身体操作で振り下ろした右足の踵、ブーツのヒール部分を大型犬の背骨のあたりに当てることで強引に足場とした少女は、勢いを無駄にすることなく右足を軸にした横方向への回転へと力のベクトルを変換すると、後ろ回し蹴りの要領で左足を振り抜く。


 直後、少女を背後から襲おうとしていた中型の黒犬の大きく開かれた下顎に、少女の左足の踵が横合いから激突し、下顎をその顎関節を粉砕しながら黒犬を弾き飛ばし、その身体を数メートル先の用水路の中へと叩き込んだ。

なかなか刀を振れない主人公……


そしてちょっと身の回りが忙しないので次回投稿までちょっと間が開くかもしれません。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ