43話:もう一度君に
1日1時間程度の歩行訓練。たったそれだけのこと。
普通の人にとっては1日1時間なんて普通に歩くことだろう。
でも、彼女はそれすらもまだまだ叶わないようだった。
平行棒の中でよろよろと立ち上がりながらなんとか棒を掴んで一歩一歩進んでいく。
でも、自分で歩けるという実感からか、別段辛そうという感じはしなかった。
ここから徐々に歩行器、杖、自立歩行と段階を踏んでいくようである。
急ぐことが1番ダメらしい。だから無理をしないよう見ていてあげて欲しいとのことだ。
俺が四六時中見てるわけではないからなんとも言えないことだが、しかしながらここまで言ってはなんだがひどい状態とも思えなかった。
よほど入院してた時期が長かったのだろう。
「どうだ?リハビリの感想は」
「いや、まあ、実際1ヶ月前からやってたんですよ。その時は棒を掴んで立ち上がることすら出来ませんでしたから、私からすればすごい進歩なんです」
「伝い歩き程度はできるようになったから退院を許可されたってことか」
「幸い自宅は無駄に広いので、車椅子移動であれ、手すりであれ、つけることは可能みたいだったらしいんで。まあ、そうでなければ退院許可なんて降りなかったでしょうし」
まだ階段の上り下りとかは難しいようだ。その辺りも段階を踏んでということか。
「それにしても毎日付き合う気ですか?」
「俺が付き合わなかったら誰が付き合うんだ」
「いや、普通に兄を連れ出せばいいと思いますが。さすがに私が頼んで嫌とは言わせませんし」
なんか言いそうな気がするのは俺の偏見なんだろうか。
「こんな誰かの目がないと生活が出来ない子の近くにいたってつまらないでしょう?」
「それは俺が決めることだ。俺がやりたいからやる。それだけ」
「……それは私だからですか?それとも頼まれたから義務感でやってるんですか?」
「頼まれた手前っていうのもあるけどな……どうなんだろう。やっぱり義務感なのかもしれない」
「……そうです。思い出したことがあります」
「なんだ?」
「私夜桜が見たいってずっと言ってたんです。桜ってこの時期にしか見れないじゃないですか。……夢で見たこともないはずなのにこんな風だったらいいなってものを見たんですが」
「結局、夢じゃ紛いもんだしな。ちゃんと自分の目で見て焼き付けておけ」
「付き合ってくれないんですか」
「わざわざ夜に行って一緒に来いと?」
「一人で行っても味気ないですし、そもそも自宅とはいえ、一人での外出なんて許可が下りないです」
「……素直にいっしょに見たいって言え」
「じゃあ、いっしょに見ましょう、想さん」
あまり心がこもってない。
淡々としすぎじゃないですかね?
今日は始業式。だが、彼女はクラスこそ割り振られたとはいえ、しばらくは教室に顔を出すことすら叶わないだろう。
俺が車椅子の女の子を押してたのを見た夢芽がまた問い詰めてきてたが。紹介するより先に突っかかってくるなや。
「……凪も一緒にいいか?」
「そうですね。ぜひ、そうしましょう。しかし、写真はどうするんですか」
「立場を乱用するようで気が引けるが、頼めば借りることは出来ると思う。じゃあ、お前を送り届けて、それから凪の写真持ってまた行くから」
「ちゃんと連絡してから来てくださいよ」
「はいはい」
あまり人と接する機会がなかったせいか、俺に対して若干ながらに構ってちゃんになってるような気がする。
可愛い女の子が他の誰でもない俺を頼ってくれてるのだから嬉しい話なのだが。
「……で、明里ちゃんは友達出来そうか?」
「周りに人がいないのにどうやって友達を作れと」
「いや……まあ、確かにそうだな。俺の友達でも紹介するか?夢芽だけじゃ色々限界があるだろうし」
「なんか想さんの知り合いってロクな人居なさそうな気がします」
なんて言い草と言おうと思ったが、思い当たるやつがなんか大概ロクでもないやつなような気がしてきてしまったので、当面は俺と夢芽が付き合ってくことだろう。
しかし、夢芽の人生ルートを変えてしまったような兄としては複雑な気分である。
出会わなければ、気にすることもなく、そのまま普通にバスケ部に入って友達と遊んで、彼氏でも出来て、そんな感じだったのかもしれない。
まあ、関わっていくかどうかはあいつ自身がまた決めることで、決めたことに俺が口出す権利はないか。
「で、自分の妹をあーだこーだ言う気もあまりないけど、明里ちゃんから見てどうだった?」
「なんというか人懐っこそうな人だとは思いましたよ。なんとなく、想さんと兄妹だなって、似てる感じがしました」
「似てるか?あいつと」
「困ってる人がいたらほっとけない感じが」
「俺、そんな殊勝な人間じゃないぞ」
「……私が凪さんを受け継いだからですか?」
「かもな」
「ま、今はそれでもいいです。しかし、私が普通に生活出来るようになるまでに想さんがいなくなったら路頭に迷いますからね」
「俺にプレッシャーを与えていくスタイルやめない?」
「えてして、世界はうまく出来てるものです」
「……まあ、俺も明里ちゃんがいたから塞ぎこまずに済んだかもしれないしな」
「私でも人の役に立ってましたか」
「そうだな。一人の人生を救ったわけだ」
「大げさですね」
「俺にとってはそれぐらいのことなんだ」
「じゃ、救ったついでに私にも付き合ってください」
「分かってるよ」
病院に来たバスに乗り込む。元々なのか時間帯の話なのかは分からないが、人はかなり少ないようだった。
しばらくは使うことになるだろう。
もっとも、車持ってるあいつが連れてけって話だが。同乗はさせてもらう。
バスの中で車椅子を固定してもらい、俺はその隣に立った。
一応、学校付近にバス停があるのでそこまで乗っていく。
俺は後でどうにでもなるからな。
しかし、丘の上まで車椅子を押していくのがかなりの重労働なのだ。せめて迎えに来い。
明里が悪いわけではないので、そう仙石に今度毒づいておくことにしよう。
きちんと自宅の中まで入っていくのを確認して俺は踵を返した。
日が沈み始めてる。
あそことは違い、確実に地平線の向こう側へと行き、反対から月から昇ってくる。
……凪は何か探してたのかな。
それとも、俺を探しに来てくれてたのかな。
「すいません、おばさん。凪にお線香と……写真、借りてっていいですか?見せてやりたいものがあるんです」
凪の家にお邪魔して線香をあげるとともに、仏間に飾ってる凪の写真を写真立てごと借りていくことにした。
どうしようもないぐらい笑顔の凪の写真がひどく胸を突いたが、立ち止まらず、俺はもう一度丘を登ることにした。




