40話:生み出された幻想
「どうしたの?想ちゃん」
雨は降り続いてる。風通しは抜群そうな寺の中だが、不思議と寒くはない。
まあ、何も変わらないからそういう寒暖差も体調に問題が出るようなこともないって、確か光がそう言っていた。
でも、凪はその光に温もりを求めるために抱いているが。
しかし、俺が言ったことをそのまま受け入れるのだろうか。取り乱したりはしないのだろうか。
……ここでの記憶がないせいか、すごく曖昧なことばかりが渦巻いて、凪と過ごしていたはずの生まれてから入院するまでの記憶が全く思い出せない。
でも、逆にこれなら切り出せるか。
「凪。俺は、きっとお前のことが好きだった」
「…………え?ど、どうしたの?急に」
「ボクは邪魔かな」
「いや、いてくれて構わない。それに、お前は今の言葉のおかしいところ、わかっただろ」
「……過去形、そういうことだね」
「想ちゃん、今は私のこと嫌いなの?」
「違うよ。変わらず、好きでい続けるだろうな。でも、俺には叶わない話なんだ」
「どうして」
「お前が俺の生きる世界にいないからだ」
俺にない記憶。それはこの世界での記憶。この世界で積み上げてきたものがないからその通りだ。
だけど、なんとなく断片的にある記憶。それは元の世界で培ってきたものだ。
それから作り上げた事実は。
「俺は何かから逃げてきた。そう言われた。何から逃げてきたなんて到底わかりっこなかった。当たり前だよな、その現実から目をそらしたんだから」
「だ、だから想ちゃん何が言いたいの」
察しが悪い。
いや、俺が言ってやらないといけないことだ。凪が悪いわけじゃない。遠回しに言ったところで伝わるわけはないか。
そんな中で光は全て察しているのか、少し顔を伏せがちにしているように見える。
「……俺は、この世界、凪のいる世界の人間じゃない。神隠しにあって、この世界に来た。……自覚なんてないよ。でも、そうするとつじつまが合うからそれを信じることにした。不可解なことに巻き込まれているのは、俺がこの世界の人じゃなくて、いつかいなくなる存在だから、都合が良かったんだ。……俺が逃げて、ここに来たのは……凪がいなくなって、それを信じたくなかったからだ。……結局さ、いなくなってから、なくなってから気づくんだよ。それが、自分を構成していたものの大部分だったって。俺は、凪のことが好きだったんだ。だから、俺がお前と過ごして一ヶ月近くのこの生活は、お前と過ごしたかった俺の幻想だ」
「なんで……なんで、そんなこと言うの……」
「な、凪、痛いよ」
抱きしめる力が強くなっていたのか、そこに収まっていた光が抵抗を見せた。
それに気づいたのか、凪は光から離れて立ち上がった。
「だったら、これからも一緒にいようよ。そう言ってくれたのは想ちゃんじゃない。私を置いてどこかに行っちゃうの?そんなのないよ」
凪は俺に近づいてくる。その視線を強く俺に向けていたが、力強さとは裏腹に目尻に涙が浮かんでる凪の目を正面から見ることはできなかった。
「………………」
「ねえ、想ちゃん、なんとか言ってよ。私、想ちゃんと光ちゃんと一緒に遊べるって思ってここまで一緒にやってきたんだよ?それなのに、私だけ置いてどこか行かないでよ。ねえ、想ちゃん……」
凪はすがるように、さらに俺の方へと歩み寄ってきた。
この世界がなくなるのは時間の問題だ。俺がどうこうできる話じゃない。
ああ、出来ることなら、俺だってずっとこうやってたいさ。
でも、夢から覚めないと、俺は今度は一人でどこかへさまようことになるのだろう。
前を向かないといけない。
「凪、いつまでも子供じゃいられないんだよ。俺は、なくしたことを受け入れないといけない。俺がなんとか出来る話じゃないんだ。そもそも、俺がなんとかしようって言うこと自体がおこがましいんだけどな」
「……想……ちゃん……。ねえ、もしそうなったら、想ちゃんは私のこと全部忘れちゃうの?私がいたこと全部なくして生きていくの?私、そんなの……イヤだよ……」
「凪……」
「そんなこと、あるわけないだろう?……凪。きっと、想は凪のことが忘れられないほど好きだったからこんなところに来てしまったんだ。簡単に捨ててしまえるものなら、逃げる必要なんてなかった。でも、想はまだ生きてるんだ。だから、立ち止まり続けてはいけない。……でも、想。君はまだ見つけてないだろう」
「な、なにを?」
「君の探し物だ」
「ああ、それなら……」
最初から見つけていた。
だって、自分で言ってただろう。俺はお前を探していたって。
意味合いなんて、全然違うかもしれない。言葉も額縁通りに受け取れるものではないだろう。でも、最初から見つけていたんだ。
「おそらく、光はこの世界ではすでに死んでる存在だと言われた。だが、それはあくまでも、この世界、と言うだけの話だ。だから、推測でしかないが、俺の元いた世界では光は生きてるんじゃないかって思う」
「確証はあるのかい?」
「ないよ。絶対なんて言えることは俺の中にはない。だから、それは俺の希望的推論だ。……凪」
俺は一度凪の方を見た。すっかり目を赤く腫らしてしまっている。でも、俺に呼ばれて顔は上げてくれた。
「納得してくれとは言わないし、許して欲しいとも言わない。でもさ、もし、この世界が俺がいなくなった後も残ってるとしたら、俺のこと覚えててくれると嬉しいかな」
「……うん、絶対許さない。私置いていくんだもん。でも、それならさ、一つ私の言うこと聞いてほしいな」
「なんだ?」
「光ちゃんさ、きっと近くにいると思うんだよ。想ちゃんがそう言うなら。だから、きっと見つけてあげて、想ちゃんが一緒にいてあげて」
「……まったく、ボクは凪にそう言われるほど子供じゃないよ。正確な年齢は分からないけど、きっと君たちと変わらないぐらいじゃないのかい?」
「……そうだな。じゃあ、頑張って見つけるとするか。幸い知ってる奴がいることだしな」
「調子がいい人たちだよ……」
呆れるように光はため息をついた。
「雨、止んだみたいだ」
普通、雨が止んでもすぐ雲がなくなることはないと思うのだが、すでにどんよりした空気はどこへ行ったのやらという感じで、この世界に来てからは初めて見る景色を目の当たりにしていた。
「これが夜……だね」
「……もう後戻りはできないな。光、なんともないか?」
「……ボクより凪の方を心配したらどうだい?」
「それはどういう……」
後ろを振り返ると、床の上で横になってる凪の姿があった。
「お、おい!凪!」
「想ちゃん……あはは……ちょっと力が入らないや……」
「……外に出よう。きっと夜桜が見えるはずだ」
衰弱してしまったかのような凪を背負い、寺の外へと出た。
光は先に出ていたのか、ある木の下に立ち、その木を見上げているのが見えた。
「凪、見えるか?桜」
「うん、見えるよ」
俺は光の近くまで歩き、見上げたままの光に声をかけた。
風はないのか、桜吹雪などはなく、ライトアップもされてない月明かりだけの光でとてもチンケなものだと思ったが、それでも、この桜は俺の目から見てもとても綺麗に見えた。
「どうだ、夜桜は」
「正直、こんな状態でもなければ綺麗だと感じたかもしれないね。……想。君が言うことが本当ならば、いつかボクに夜桜を見せてくれないかい?」
「そうだな。……それでいいか?凪」
「……………」
「寝ちゃったか」
「いや…………ううん、これ以上はよそうか。想、きっと、この桜がこの世界の出口だ」
「なんで分かるんだ」
「えてして、そういうものだよ。そこに理屈や理論を述べるのは無粋だ」
「そうか。……凪はこのまま連れて行ってもいいのか?」
「どこかではぐれることになると思うよ」
「それでも、最後まで一緒にいたいんだ」
「……ボクは止めないよ。じゃあ、また、どこかで会おう」
「ああ、『またな』」
だから、俺はもう一度約束をしよう。
すでになくしてしまった彼女のために。
そして、いつか出会うであろう少女のために。
また、夜桜を見に行こうって。




