番外編:中学時代のバレンタイン
中学は小学校よりはいささか規律については緩めだったような気がするが、それでも不要物は持ち込まないというのは小学校からの暗黙の了解なのか、たとえチョコを持ってきていても多少は隠れて渡すものだ。先生も見つけてもこの日ばかりは見過ごそうというのがはたらいていたような気もする。
ただ、俺も毎年二つは確定でもらえるので、一つももらえなくて惨めな思いをすることはないという観点から言えば、恵まれた環境に置かれていたのだろう。
一つは妹の夢芽から。
そして、もう一つは言うまでもなく……
「うう……想ちゃん……」
「な、なんだ。どうして泣いてんだ」
家を出てすぐ、自宅の門の前で立ったまま泣いてる凪の姿があった。
「チョコ……」
「チョコがどうした?」
「想ちゃんに渡そうって作って、せっかく出来たのに、今転んで……」
手に持ったまま出てきたのだろう。あいにくこの日は前日から雪が降っていて、積もるまではいかなかったが、路面はかなり滑りやすくなっていた。
そのまま転んで箱ごと潰してしまったのだろう。綺麗に包装していたのであろうラッピングがぐしゃぐしゃになって、凪の手元にあった。あれでは、中のチョコも崩れてしまっているだろう。
「……いつもありがとな。これはこれでもらうよ。せっかく作ってくれたんだし」
「でも、たぶん中も……」
「味は問題ないだろ。……そうだ、たぶん夢芽のやつがまだ材料余してんだ。帰ったら一緒に作るか」
「想ちゃん、お菓子作りできたの?」
「そこに疑念を抱くな」
「だってまだ受験勉強……」
「息抜きだよ息抜き。ものごと、本番に近くならないとやる気でないの。それに今日作って今日渡せばまだバレンタインに渡せたことになるだろ?」
「うん……うん!でも……これどうしよう」
「さすがにここで開封するのは怖いな……俺の部屋に置いてくるからちょっと待ってろ」
「うん。……あ、想ちゃん」
「なんだ、今度は」
「早くしないと遅刻ギリギリだよ?」
「……そういうのはもう少し早めに言って欲しかったな」
夢芽のやつは早く行って友チョコ渡すんだーとか言ってたからとうの昔に出て行ってます。
いつも健気にこうして手作りでくれてるチョコだが、これ、義理なんだろうか、本命なんだろうか。
聞くのは容易いことなんだろうけど、結局回答がなんとなく怖くて聞かずに俺たちは学校へと向かうのだった。
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学校へ着くとギリギリだと思うのだが、なんだか人がまだ多いような気もした。路面が滑りやすいから慎重になってるという考えもありっちゃありだけど、どう考えてもバレンタインだからチョコもらえないかウロウロしてるのだろう。せめて、教室で待ってた方がもらえる気がする。あと、放課後。そこの男子、下駄箱を開け閉めしてもチョコは現れないぞ。出てきたらマジシャンになれるわ。
まあ、下級生からはそれだと辛いかもな。今受験生の俺たちは下級生より先に下校してしまうのだ。俺は下級生からはアテがないからどうでもいいけど。妹はカウントしません。
それでも平日なのでいつまでもそわそわしてるわけにもいかず、まあ、きっとあまり必要のない授業を受けるのだった。
公立受験のやつらはこれからだから受験勉強に充てるという意味で授業は有意義かもしれないけど、私立受験なんてほとんど終わってるやつらでそこを滑り止めとして受けたのならともかく、もう私立に行くことが決まってるやつらは何をすればいいのだろうか。
「お前のことだぞ、凪。何してんだ」
「え?想ちゃんと作るなら何がいいかなぁって」
帰った後のチョコ作りに精を出してるようだった。寝てるよかマシかもしれんが、あまり褒められたことでもない。お菓子作りの本広げてるだけだし。教科書盾にして。
「ちょっとは入学した後のこと考えて勉強したらどうだ」
「え〜想ちゃん一緒のところじゃないしやる気でない〜」
「このアホちんが」
俺は広げたノートを丸めて凪の頭を叩いておいた。
ちょっとは反省したのかお菓子の本はしまって、その下敷きになってたノートに何か書き始めた。
まあ、勉強する気になったのならそれでいいか。
しかし、書いてたノートを少しちぎって俺に渡してきた。読めってか。
『想ちゃん何作りたい?』
放課に聞け。今はまだ授業中だ。だが、俺はこの時はまだいい子ちゃんしてたような気もするので、受け取った紙はそのまま机に置いて、凪には前を向くようにジェスチャーしておいた。あいつが集中するかはともかく。
しかし、こいつこのまま俺と離れて大丈夫なものか。
そうだな……。
俺は凪が渡して来た紙とは別にメッセージを書いて、凪に渡した。
ただ、その返事がその授業の間に返ってくることはなかった。
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散々冷やかされたような気もするが、日常茶飯事かついわば公認の仲のようにも見られてるようなのであたふた否定することもなく、凪を連れ立って俺の家へと帰っていた。そうやって冷やかしてるだけだからチョコもらえないんだぞお前ら。
幼馴染かつお隣さんというアドバンテージはかなり強いのかもしれないが。冷やかされるものの、凪は恋愛感情というよりはなんか慕ってるというか懐いてるみたいな子犬的感覚でしか見えないんだがどうしたものか。好きではあるんだろうけどベクトルがなんか違うみたいな感じだ。好きの形は人それぞれとかいうから凪がそういう形であるのならばそれでいいんだけども、俺が受け止めるとは言ってない。
だから、付き合ってるわけではないのだ。彼氏彼女の関係ではない。でも、否定するのも面倒だからそう言ってる奴らはそう言ってる奴らで言わせておけばいい。事実を知ってるのは結局のところ他人などではなく自分たちなのだから。他人が事実をねじ曲げていいことなんてどこにもない。しかし、当人がねじ曲げようというものなら訂正するが。
だから思い切って聞いてみることにした。
「凪、俺のこと好きなのか?」
「どうしたの?急に。好きだよ?」
「そっか」
こうも当たり前かのように好きって言われるとあまり感慨深いものがない。だからといって、慌てふためいて動揺しながら言われても今更感はあるのだが。
「……その、迷惑かな。幼馴染だからって、いつまでもこうやっているの」
明るく、楽しく、ちょっとばかり間抜けなところがあるが、少しばかり人の感情の機微が気になるやつなのだ。
その場では流しても後々になって溜め込んでしまう。そんな時のはけ口が俺になってるんだが。だから、俺には最も正直でいるやつなのだ。
「……お前の好きなようにすればいいさ。俺がイヤということはないからな」
「……うん。ありがと、想ちゃん。……想ちゃんは私のこと……どう思ってるのかな?」
「幼馴染。それ以上でもそれ以下でもない」
「ぶぅ〜そればっかり〜」
「文句言いたいなら出るとこ出てから言え」
「出てるもん!想ちゃんが思ってるよりはあるもん!」
「…………」
いや、ないな。
「そこ!あからさまに『ないな』って目で見るな!今から証明するんだから!」
「バカやろう!こんなところでやるな!俺の家だ!」
「じゃあ、私の家に来て!そっちで証明する!」
「そういう意味じゃない!」
結局、その日はおかし作りそっちのけで、夢芽が帰ってくるまで不毛な争いを続けていた。
お兄ちゃんはいたら邪魔だから自分の部屋にいて、ということで追いやられ、その日の夜、凪は改めて俺にチョコを渡しに来てくれていた。少しばかりの反省をしながら。
しかし、この年を境に凪は2年の間俺にチョコを渡す機会がなくなってしまった。その2年があれば俺たちが付き合っていたのか?ってそういうことでもないんだろうけど。
答えを出すのはまだまだ先になりそうだ。




