第07話 宿屋と食事情
ヨーゼフさんが門番に戻り、一人になってしまったので少し心細い。
だけど頑張ると決めたばかりだ。
赤い帽子亭と書かれた看板を見上げて気合いを入れる。
そういえば別に日本語で書かれているわけでもないのに読めている。
明らかに知らない言語なのに何故か理解出来てしまうのだ。
言葉と同じく召喚時に魔法で読めるようになっているのだろう。魔法って便利すぎるよ。
そんなことを考えながら扉を開いて中に入る。
商店の倍くらいの広さがありそうな店内は、窓がたくさん開いているおかげかとても明るかった。
大きめのテーブルが三つにカウンター席も用意されているけれど、時間が中途半端なのか食事をしている人はいないようだ。
店内にいるのは扉の正面、カウンター席と繋がっている受付の中にいる店主とおぼしき人だけだった。
ヨーゼフさんと同じくらい背が高い、茶色い髪をオールバックにした三十歳ぐらいの男の人だ。
店に入ってきた僕を、髪と同じ茶色の瞳で見つめている。
受け付けに近づくと、意を決して声を掛ける。
「あ、あの~」
「食事か? 泊まりか?」
『まずは食事だな!』
「あ、えっと……食事で」
「ならこっちだ。好きなところに座りな」
「は、はい」
客がいないとはいえ広いテーブル席を一人で使うのも何なので、カウンター席の端っこの椅子に腰掛けた。
「すぐに出せるものと、時間が掛かるもの。どっちにする?」
『どれだけ時間が掛かるのか分からないし、早いほうがいいんじゃないか?』
「えっと、じゃあ……すぐ出せるヤツを」
「わかった」
僕が座るのを待ってから何を食べるか聞いてきた。
どうやらメニューのようなものはないようだ。
一人で切り盛りしているみたいだし、あまり複雑な料理は出せないのだろう。
マモルが助言してくれるおかげでスムーズに会話することが出来た。
店の主人はぶっきらぼうなので最初は少し恐かったけど、必要最低限の会話で済んだのも有り難かった。
ベラベラ喋るタイプの人だったらまたテンパってしまったことだろう。
静かな店内の中、大きな鍋がコトコトと煮込まれている音だけが響いていた。
そして数分も待たずに僕の前へ料理の皿が並べられた。
パンとシチュー、それにサラダだけの質素な食事だけど、空っ腹には堪らない匂いがシチューから立ち上っている。
ヨーゼフさんが言っていたようにどれも量が多めなのも嬉しい。
「いただきます」
小さく呟くと、さっそくパンを手に取って口に運ぶ。
うっ……硬い。
何だコレ。パンがすっごく硬い。カチコチで噛み切れないんですけど。
よく見ると焼き目だけでなく全体的に黒っぽい茶色をしている。
あぁ……そうだよね。文明レベルが中世くらいだもんね。
テレビの何かの番組でヨーロッパの昔のパンはメチャクチャ硬かったとか言ってた気がする。
でもこれ現代人の弱った歯で食べるなんて不可能じゃないのかな。
もし食べられたとしても消化出来なかったり……? お腹壊しそうだなぁ。
どうしようかと困っていると、マモルが強化魔法を使って筋力と体力を上げてくれた。防御力も高まったので歯が折れる心配もないらしい。
食事まで補助して貰うって僕は要介護者か……。
大丈夫かなと思いながらも再びパンを口にする。
ガッチィィンッ!
いい音を立てて歯が噛み合わさる。パンはサックリと簡単に噛み切れていた。
さっきの硬さが何だったのかと思えるくらい歯ごたえを感じず、柔らかな口ざわりになっている。
歯も全くダメージを受けた様子がない。味も悪くないし、これは良い感じだ。
激堅パンがサクサク食べられるのが楽しくて一つ丸々食べてしまった。
パンを食べていると店主さんが少し驚いた様子でこちらを見ていることに気付いた。
……何か変なことしたかな?
心の中で首を傾げたけれど、目が合うと「……ごゆっくり」と言って別の作業に戻っていった。
考えても分からないので、空腹に促されて食事に戻る。
湯気の立ち上るシチュー皿を手前に持って来ると、スプーンで掬い上げて一口食べる。
美味い。
昨晩からの疲労が蓄積していた身体に、じんわりと温かさが染み込んでいく。
シチューはトマトクリームのような見た目の通り、トマト風味の味がする。この世界にもトマトがあるのかも。
中に入っている具材も少し大きめだけれど、中までよく火が通っている。
二口、三口と食べるほどにスプーンが止まらない。
パンと違って野菜も肉も口の中でとろけるように柔らかい。
これはきっと魔法で補助を受けていなくても同じように感じたに違いない。
牛や豚とは違う歯ごたえだけど何の肉だろう?
一度だけ食べたことがある熊肉に少し似ている気がする。
筋張っているけど噛み切れるのは筋力強化のおかげだけでなく、じっくりと何時間も煮込んだ成果なのだと思う。
ただ、煮込んである割にはジャガイモのような野菜が溶けずに原型を留めているのが少し不思議だ。
カレーとかで煮込みすぎると崩れて溶けちゃうっていうし。
それはともかくとして。
塩味が薄目だけど、このシチューには合っているように思える。
思い出したようにパンにも手を伸ばし、齧りながらシチューで胃の腑に流し込む。
一気に掻っ込みすぎたのか少しむせ、落ち着いて気を取り直すためにサラダも口にする。
種類は分からないけど野菜は瑞々しく、シャキシャキの歯ごたえが心地良い。
見た目的にはレタスやニンジン、キュウリに近いけど……微妙に食感が違うような?
深く考えると恐いので、『まだ品種改良がされていないだけだろう。気にしすぎるのもよくない』というマモルの助言に従っておくことにする。
やはりこちらも塩味は薄い。これがこの世界の普通なのかな。
この料理は十分すぎるくらいに美味しいのだから文句は何もない。
でも自分用に調味料は持ってていいかもしれない。塩とか後でどこかで買っておこう。
胡椒は……無理かなぁ。中世では胡椒一粒が砂金一粒と等価なんて話を社会の授業か何かで習った気がする。
マヨネーズってどうやって作るんだろう? 卵と油を混ぜるのか? 何で出来てるかなんて考えた事も無いよ。
僕が知らないんだからマモルも分からないよね……。
僕は料理はもちろん家事関係の知識もスキルも持ち合わせていないのだ。
出来たとしても、肉を切って焼くくらいだろう。焼き加減とか分からないから半生になる可能性もあるけど。
そんなことを考えながらも手と口は動き続けていて、いつの間にやら料理の皿は全て空になっていた。
お腹もいっぱい。満足だ。
「ご馳走様でした」
「あいよ。銅貨四枚だ」
『銅貨四枚、四百円くらいだな』
確かに安くて量もたっぷりで美味しい、ヨーゼフさんの言う通り良心的なお店だった。
食材は不明だけど、それはこの世界なら何処でも変わらない気がする。マモルが胃腸も強化してくれているので問題はないだろうし。
せっかくだから宿もここに決めてしまおう。
「あ、あの。泊まりも、お願いします」
「一泊で大銅貨二枚に銅貨五枚、朝夕の二食付きだと大銅貨三枚だ。何泊する?」
『五百円上乗せするだけでご飯が二食付くならお得だな』
「じゃあ……二食付きを三泊で」
すぐにこの町を出ていくことにはならないだろうし、とりあえず三日くらい部屋を借りても問題ないかな。ないよね?
マモルの同意も得て銀貨一枚をカウンターの上に置く。
おつりをジャラジャラと大量に貰っても困るしね。
「つりは銅貨六枚。部屋はこっちだ」
おつりをポケットにしまい、カウンターから出て入口脇の階段へ向かう店主さんに付いていく。
階段を登って二階に着くと、左右に扉の並んだ通路を一番奥まで進む。
突き当たりの左側、扉に五と数字が書かれているのが僕の部屋だった。
鍵を渡され、外に出る際にはフロントにそれを預けるなどの諸注意をすると「ごゆっくり」と言って下に戻っていった。
彼を見送って部屋に入る。
四畳ほどの部屋だけどこれくらい狭いほうが落ち着く。
ベッドが窓際の奥に、クローゼットが壁側の入口近くに設置され、テーブルと椅子がベッドの脇に置いてあった。
どれも年季が入った古いものだけど、手入れはしっかりされているしシーツは清潔そうでピッチリとしている。
『なかなか良い部屋じゃないか』
「そうだね、落ち着けそう」
窓から見上げると空に太陽が見える。
今はまだ午前中のはずだから、ここは北東の角部屋だなとマモルが教えてくれた。
宿屋の店構えは南向きで、町に入るときに通ったのは西門らしい。森は北西方面。地理も完璧だ。
オートマッピング代わりにもなるマモルってばマジ有能。僕ってばマジ無能。うぅっ……。
荷物は特に何もないので、ドアを閉めるとそのままベッドへ直行して仰向けに寝転がった。ギシリと軋んだ音が鳴る。
日本で使っていたものに比べると硬いけど、十分に許容範囲内だ。
天井を見上げながら、ふぅ……と大きく息をつく。
召喚されてからずっとドタバタしていたけど、ようやく落ち着くことが出来た。




